地域創造

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地域創造レター

News Letter to Arts Crew

1月号-No.045
1999.01.10(毎月10日更新)

●理事長新年あいさつ

●クローズアップ〜飯田文化会館(長野県飯田市)

●制作基礎知識シリーズ<ホール・劇場機構編(1)>


新年あけましておめでとうございます。

1999年1月1日 財団法人地域創造
 
理事長あいさつ
 
◆昨年の2月に着任して、約1年が過ぎました。この間、財団が行っている事業を一参加者として体験したり、地域の方々、有識者の方々と意見交換をしたり、いろいろと勉強させていただきました。私にとって芸術文化は未知の分野だったこともあり、すべてが新しい経験でとても刺激的でした。設立準備の時から、人材育成がこの財団の大きな仕事になるだろうと思っていましたが、ステージラボの講師陣や受講生の問題意識をもった取り組みをみていて、大きな成果を上げているのがよくわかりました。文化の世界、芸術の世界で仕事をやりやすくするためには、顔見知りになることが必須です。財団の事業を通じて、地域を越えてこうした顔見知りが増え、非常な潤滑油になっているなあという思いを強くしました。創設以来、がんばってくれた職員に感謝するとともに、ご協力をいただいた方々に心よりお礼申しあげます。
 
◆皆さんとお話をする中で最も印象に残ったのが、私が想像していた以上に、芸術文化を楽しむためのソフト面の基礎ができていないのではないかということです。クラシックの演奏家の方にお会いした時に「私はピアノ曲の聴き方がわからない」と言われたのには驚きました。日本には音楽をどのように聴けばいいかを教える鑑賞教育がないので、自分のカンで聴くしかないと言われるわけです。こういうお話をうかがうと、地域の方々が音楽を楽めるようになるためには、ただ単に演奏会を提供するだけではなく、その前段階から考える必要があると痛感しました。当財団として取り組めることには自ずと限界がありますが、今年度から新しく試みている「公共ホール音楽活性化事業」のように、プレイヤーの方がここをこういう風に聴いてくださいと住民に語りかけるような、音楽を聴くための基礎をつくる事業を今後も続けていきたいと思っています。
 
◆勝ち負けのはっきりしているスポーツと違い、個人の感性に働きかける芸術文化は人によって評価が異なり、結果が出ない分伝わりにくいところがあります。こうした芸術文化の普及を考えるためには、感性のレベルで話す前に、観客や聴衆が共通してもつべき鑑賞の基礎をつくることから始めるということではないでしょうか。そこをレベルアップしていくことが、我々の仕事の方向性としてあるのかなあと考えているところです。この不況下で地方財政も苦しく、財団としては地域の活動をトータルにカバーしていかなければなりませんが、こうした教育普及活動も念頭に入れながら活動してまいりたいと思っております。
 
◆着任早々のご挨拶でも申しあげましたが、芸術もスポーツも基本は同じで「感動する」ということではないでしょうか。感動するということは、自分の感覚に非常に素直になれるということで、これは人間形成の基礎です。こういう「感動できる力」をもった感性豊かな人間こそ、価値観の多様化に対応できる21世紀を担う人材として、とても大切になってくると思います。行政とか施策とか言っても、基本はすべて人です。人を得ないと飛躍的な発展はありえません。それを考えると、感動できる力を養うこれからの文化行政は、福祉や環境と並ぶ重要な行政になることは間違いありません。九州の方言に「いのちき」という言葉があります。これは、生きるためには他の動物の命を削るのも致し方ないという、生活することの厳しさを表現したものです。こういう言葉があるほど、かつての生活は厳しいものでしたが、高度成長を経て、豊かになった日本では「感動する」ことをベースにしたもっと豊かな社会が実現できるようになりました。日本のどこにいても感動と出会える地域づくりのために、皆さんとともに歩んでいきたいものです。
 
◆今年、地域創造は5周年という区切りを迎えます。施設面ではかなり地域的な広がりが生まれてきており、これからはソフト面のベースを全体的に上げていく時期にきているのではないかと思っています。これまでの事業を踏まえながら、気が付いたことを少しずつやっていきたいと、担当者が脳に汗して企画を練っているところです。新しい事業としては、市町村の美術館・博物館を対象にした活性化事業や公共ホール4館による共同演劇創作事業、また静岡で行われる「シアター・オリンピックス」にもご協力をさせていただきたいと考えています。各地域の首長におかれましては、こうした芸術文化による地域づくりの重要性をご理解いただき、地域の推進役としてさらなるご活躍をお願いしたいと思っております。微力ではありますが、職員一同、できる限りのご協力をさせていただきます。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
(聞き手・坪池栄子)


●遠藤安彦(えんどう・やすひこ)

昭和15年(1940年)生まれ。中学時代はバスケット、大学時代はゴルフとスポーツ好き。「昨年、プライベートでミラノ・スカラ座を訪れ、初めて2階のボックス席から見学したらステージがとても見づらい。でもお忍びデートの場所だと説明されて納得しました(笑)」とのこと。「音楽でも演劇でもスポーツでも何でもいい。要は感動と出会うチャンスをできるだけ持てる地域づくりが必要」と言われる理事長に、昨年一番の感動は何ですかと訊ねたら、「びわ湖ホールで観たオペラ『フェドーラ』の終幕場面」と答えてくださいました。
 
◎1998年1月に自治省事務次官を退官、2月1日に財団法人地域創造理事長就任。

クローズアップ

人形劇カーニバルを軸にした飯田文化会館の活動
 
 広場を囲んで並び建つ飯田文化会館と飯田人形劇場。ここが、毎年夏には、全国的な人形劇の祭典として有名になった「人形劇カーニバル飯田」の主会場となる。飯田文化会館では、人形劇カーニバルで蓄積されたノウハウや評価を元に、この10年人形劇関連の事業はもちろん、「アフィニス夏の音楽祭」の受け入れ、市民構成劇など幅広い自主事業を展開してきた。人形劇カーニバルとの関わりを軸に、飯田文化会館の歩みをたどってみよう。


●「人形劇カーニバル飯田」のスタート
 
 「全国の人形劇団が集まって人形劇を上演する祭典を開催したい」。1978年、国際児童年の記念事業を検討していた飯田市が、そうした人形劇人の提案を受けるかたちでカーニバルがスタートする。当初、飯田市側で運営の核となったのは、市内に18ある公民館だった。「各公民館の職員が積極的に地域の人に呼びかけて、いろいろな取り組みを行いました」と、かつて公民館でカーニバルに関わり、現在、文化会館の事業係長を務める原国人さん。そうした取り組みの中で、市民の中にも「人形劇の町、飯田」という意識が生まれ、行政も町づくりの資源として人形劇に注目するようになる。10年目の88年には、世界人形劇フェスティバルが盛大に催され、あわせて文化会館の隣に人形劇専用劇場が建設された。


●貸館から事業館へ
 
 その人形劇場の開設が、文化会館の運営にも転機をもたらす。1972年に開館した文化会館は、それまで貸館業務のみで自主事業は行っていなかった。しかし、人形劇の専用劇場を文化会館が管理することになったことで、飯田市でも文化施設の運営が見直されることになる。当時は、全国的にも公立ホールが自主事業を積極的に展開しはじめた時期。長野県内にも、岡谷市のカノラホールなど事業館としての姿勢を明確にしたホールがオープンする。そうした動きも追い風となり、飯田文化会館は人形劇場とともに事業館として再スタートすることになった。カーニバルの事務局も文化会館に移管。新たに事業係が設けられ、公民館でカーニバルの運営を経験したことのある職員を含め、3人が配置された。


●自主事業の展開
 
 こうした経緯から、自主事業の方針は、「(1)人形劇の育成・振興事業」と、公民館で市民の文化活動を身近に見てきた職員の問題意識を反映した「(2)全市的な視点で市民の文化活動をコーディネートし、レベルアップを図る事業」、の2本柱となる。
 
(1)については、鑑賞事業、市民人形劇団の育成事業に加え、指導者研修事業に力を入れている。対象は市内の小・中学校の先生、保母さんなど。教育委員会が積極的に働きかけたこともあり、96年には市内の小・中学校全てに人形劇クラブが揃った。(2)については、事業館に転換した当初から「市民構成劇」構想が浮上していた。専門家の指導を受けながら、出演は全て市民による音楽劇を上演しようというものだ。93年、文化庁の地方拠点都市文化推進事業の認定を受け(〜97年)、この構想が実現する。脚本・演出は、人形劇カーニバルの縁でふじたあさや氏に依頼。2年間の稽古・準備期間を経て、96年2月に上演された市民創作ミュージカル『かざこし姫となかまたち』は、追加公演まででる大成功をおさめた。これを機に市民劇団が結成され、毎年公演を重ねている。さらに、ふじた氏の所属する日本演出者協会から、「アマチュア演劇人の育成を目的としたワークショップができないか」という話があり、98年度から「演劇大学 in 飯田」が開講されることになった。市民劇団の参加者も、受講生として参加、スキルアップをめざしている。
 
 主催事業ではないが、88年から飯田文化会館を主会場に開催されている「アフィニス夏の音楽祭」も事業の大きな柱だ。プロの若手オーケストラ団員の育成を目指す滞在型のセミナーで、海外の一流奏者が講師として飯田を訪れ、公開セミナーや、地元奏者との共演による小中学生のためのコンサート「あいうえ音楽館」なども開催される。93年には、音楽祭の刺激を受け、市民オーケストラも誕生した。「こんな事業は文化会館単独ではとてもできません。事業館へと転換した年に偶然、アフィニス文化財団から受け入れの打診があったんです。『人形劇カーニバル飯田』を知った関係者が、飯田は文化に理解がある、と候補地にあげていただいたそうです」。「振り返ると、タイミングよく外から話を持ちかけられて、いろんな事業が実現してきた気がします」と原係長。「人形劇カーニバル」を通じて蓄積されたノウハウと評価、人脈が、結果としてさまざまな事業を呼び込み、現在の幅広い事業展開につながっていることが見えてくる。


●カーニバルの再出発
 
 その「人形劇カーニバル」が、大きな曲がり角を迎えている。膨れ上がる一方の規模、手弁当方式の限界、マンネリ化などの問題に加え、カーニバルが地域のお祭りとして定着する中、行政と人形劇人との間に意識のずれが生じてきたようだ。第20回のカーニバル終了後、人形劇人側の調整を行ってきた「人形劇人委員会」が解散。これを受けて、来年以降は、「市民主導」をテーマに、新たな組織づくりから取り組むことになった。20年間の蓄積を元に、どんな再出発をすることになるのか。99年の飯田の夏に注目したい。


●飯田文化会館
[開館]1972年
[施設概要]大ホール(多目的、固定席1288)、展示室3室、会議室5室、和室4室、講習室、人形工作室、楽屋3室
 
●飯田人形劇場
[開館]1988年
[施設概要]ホール(可動席200)、楽屋2室
 
●主な事業
人形劇カーニバル(事務局)、人形劇指導者育成事業、地域舞台芸術家育成事業(文化団体の要望に応じ、指導者招聘費用を負担)、市民構成劇(93年〜97年)、演劇大学(98年〜)、アフィニス夏の音楽祭(協賛)
 
●事業費と体制
事業費約2500万円(カーニバル負担金は別に2000万円)。市教育委員会の直営。職員数:事業係3名、人形劇のまちづくり係(94年〜)5名。

 

制作基礎知識シリーズ ホール・劇場機構編(1)

劇場の分類と特長

講師 草加叔也(劇場コンサルタント/空間創造研究所代表)

 
  「ホール・劇場機構編」では職員が基本的に知っておくべきハードの基礎知識についてご紹介します。今回の「劇場」に続いて、第2回では「クラシックホール」、第3回目以降は音響・照明といった舞台技術について取り上げる予定です。どうぞお楽しみに。


●はじめに
 
  有史以前の古代社会では、宗教的な様式や政治的な儀礼が、今日の舞台芸術を生み出す要因となり、また劇場という上演空間を生み出すきっかけとなってきたと考えられています。古代ヨーロッパ文明の源と考えられるギリシア文明は、この劇場という建築形態を人類史上いち早く構築してきました。例えば、半円形に開いた野外劇場の客席段床というのは、誰もが見聞きしたことのある古代ギリシアの代表的な劇場形態のひとつです。
 
  このような劇場が古代ヨーロッパに誕生してから二千有余年の間、この地で培われてきた演劇と劇場の長い歴史は、我が国の劇場芸術にも大きな影響を与えてきたと考えられています。もちろん劇場という施設形態にとっても、その影響は少なくありません。
 
  もちろん今日に至る間、舞台芸術そのものや演出の可能性ということが、劇場という建築形態の変遷に多大なる影響を及ぼしてきたということは言うまでもありません。しかし、そのほかにも見逃せない、いくつかの要因が考えられます。例えば、貨幣の誕生にともなう有料化は、古代ギリシアの円形劇場を平面に閉じたものへと変えてきました。また、舞台や客席に対するホスピタリティの追求は、野外劇場に屋根をかけるきっかけとなりました。このことは、自然界から劇場という空間を切り取ることを意味し、舞台照明をはじめとした舞台技術の必要性への一因に繋がったと考えられます。さらに、王族や貴族などという舞台芸術の支援者の獲得は、特に施設面での充足を高めました。私たちが今日でもその豪華さに驚嘆するオペラハウスのいくつかは、このような時代の支援者に負うところが少なくありません。


●劇場の分類
 
  劇場をいくつかに分類する方法として、大きく2つの方法が考えられます。その一つは、劇場の活動による分類です。例えば、何を上演しているかということでの分類が考えられます。また、どのように劇場運営が行われているかという分類も考えられるでしょう。次に考えられるもう一つの分類というのは、劇場の形態による分類です。例えば施設規模や舞台機能による分類などが考えられます。加えて、劇場の特長や性格を表す上で根元的な意味をもつ分類方法として、舞台形式による分類が考えられます。
 
  以下には、この舞台形式による分類についてもう少し詳しく説明を加えたいと思います。劇場は、この舞台形式による分類によって、大きく2つの形式に大別することができます。その一つが「プロセニアム形式の舞台」で、もう一つが「オープン形式の舞台」です。
 
  「プロセニアム形式」の舞台は、ルネサンス期にイタリアの劇場で生まれたと考えられています。この形式の舞台の特長は、作品を上演する舞台と、それを鑑賞する観客がプロセニアムという額縁によって基本的に区分けされていることです。また、このプロセニアムによって舞台照明や舞台機構を客席から見えなくする工夫、大規模な舞台転換や仕掛けを隠すことによりスペクタクルな演出をも可能にしています。このことは、客席から見ることができる主舞台周辺に側舞台や後舞台などの副舞台をもつこと、フライロフトや奈落などのように舞台の演出を支援する空間を併せもつことによっても可能になります。

●劇場断面(図)へ


  次に「オープン形式の舞台」ですが、古代ギリシア・ローマ時代から、シェイクスピア劇場の時代を経て今日までさまざまな劇場形態が試みられてきました。この舞台形式は「ノン・プロセニアム形式の舞台」と呼ばれることがあるように、上演する側の空間と鑑賞する側の空間が明確な区画をもたない、オープンな舞台形式のことをいいます。例えば、青山円形劇場や世田谷パブリックシアターのシアタートラムなどもこの一例です。 この「オープン形式の舞台」は、舞台と客席の関係によって、左記の図に示したようにいくつかに分類ができます。ただし、実際の劇場計画では、ここに示した舞台形式のいくつかに可変できるような舞台機構を計画することが少なくありません。さらに、プロセニアム形式の舞台でも、前舞台の一部を可変させることによってオープン形式に類似した舞台形式とすることが一般的に行われています。

●舞台形式による分類(図)へ


●劇場断面の特長
 
  舞台形式の分類は、主に舞台と客席の平面的な関係に特色があります。しかし、劇場を特徴づける上で、断面的な要素もいくつか考えられます。
 
  先ず、その一つが客席の断面計画です。比較的規模の小さな客席では、ワンスロープの傾斜をもつ単床式の客席計画が一般的です。我が国では、花道をもち歌舞伎の上演が可能な劇場形式に長い歴史があることから、比較的傾斜の緩やかな客席計画が往々に計画されてきました。しかし、ダンスのようにより足元まで見えることや、より舞台に客席を近づけることが望まれるようになってくると、今までよりはるかに傾斜のある客席が計画されることが多くなってきました。
 
  また、客席の規模が大きくなるに従って、視距離の問題から複数のバルコニー席をもつ複床式の客席がつくられるようになります。このバルコニー席も単に舞台間口と平行に並べた客席を多層化するだけではなく、欧米の劇場客席に見られるような馬蹄形のバルコニー席や、数席単位に区画したボックス席のような客席がつくられる例もあります。
 
  ただし、この多層化が可能になるのは、舞台を見下ろす視線の角度の点から、やはり「プロセニアム形式の舞台」のほうが制約が少なく、「オープン形式の舞台」では、単床あるいは二層程度の客席が限界になります。さらに「プロセニアム形式の舞台」では、主舞台の上部や下部に舞台演出を支援する空間をもち、加えて主舞台面と水平面に複数の副舞台をもつことができることも舞台演出の可能性を高める上で有効な役割を果たすことになります。

●劇場平面(図)へ

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