地域創造

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地域創造レター

News Letter to Arts Crew

2月号-No.046
1999.02.10(毎月10日更新)

●「公立ホールの舞台技術に関する調査」専門委員インタビュー

●トピックス〜セゾン美術館の閉館と今後

●制作基礎知識シリーズ<ホール・劇場機構編(2)>


「公立ホールの舞台技術に関する調査研究」番外企画

●専門委員からのメッセージ「ものをつくるための組織づくりを考えよう」
 
 いつも地域創造の調査研究事業にご協力いただき、ありがとうございます。本年度も「公立ホールの舞台技術に関する調査研究」「ホールにおける市民参加型事業に関する調査研究」の2つのテーマで専門委員を交えた委員会とアンケート調査・ヒアリング調査を実施し、現在、最終報告書の作成に向けて準備を進めているところです。今回は、報告書を身近に感じていただくための調査研究「番外企画」として、「公立ホールの舞台技術に関する調査研究」の専門委員としてご協力いただきました世田谷パブリックシアターの桑谷哲男さんに、調査研究についての感想やホールの技術職員としての歩みなどをうかがいました。


◎技術職員の現状にびっくり
 
――まずはアンケート結果の感想を。
 
 技術職員と事業担当を兼務しているようなレベルのホールが多いのにびっくりしました。それでいいと思っているところと僕らのようにものづくりをやるためにもっと先に進みたいと思っているところが同じレベルで議論するのはとても難しいと感じました。
 
 公共劇場だからその程度でいいとか、アマチュアが使うんだから技術もアマチュアでいいというのではなく、専門施設として必要なレベルというのがあるはず。例えば、病院は公立でも私立でも同じことをやってますよね。公立でも民間でも劇場である限り、劇場らしくすべきなのに、現状はとてもそこまでいっていないのがよくわかりました。


◎世田谷の試みと技術職員の役割
 
――世田谷パブリックシアターの技術部門ではどのような試みをされていますか。
 
 日本の公共ホールは貸館型で運営されてきた経緯があって、劇場をつくる時に建築物としての視察はするんですが、運営組織をきちんと勉強してこなかったところがあります。ものをつくるための劇場を目指した世田谷パブリックシアターでは、建築スペースの中に練習場や工房などの製作スペースをもつところから始めて、組織的にも少しでもものがつくれるように見直しました。
 
 その中でやれたことは、1つが芸術監督が置けたこと、2つ目が技術部門に音響、照明のプランナーが採用できたこと(技術職員をホールの安全管理をやるだけではなく、ものをつくる表現者だと認めさせたこと)、3つ目が財団職員と委託職員を同じシステムで仕事ができるようにしたことです。世田谷の技術部は委託も含めると全部で19名になりますが、全員が安全管理はもちろん、オペレーションやワークショップの講師、依頼されればプランニングなどの表現活動をやります。 
 
 それと公共劇場として人を育てて民間に補充するぐらいのことはやるべきだ、というのでインターンの受け入れや講座など技術スタッフの育成をはじめました。現状の技術教育では操作(術)を学ぶ専門学校と理論(芸)を学ぶ大学が分かれているので、両者を繋ぐような研修ができればと考えています。
 
――技術職員の劇場における役割とはどのようなものだと考えていらっしゃいますか。
 
 車とドライバーとの関係に似てると思います。ドライバーがいないと車が動かないように、技術スタッフなしで劇場は機能しません。僕はよく劇場を病院にたとえるんですが、病院はハコで評価されるのではなくて、腕のいい医者や腕のいいスタッフがいるかどうかで評価されるわけです。劇場も同じで、最新の機器が揃っていても腕のいいスタッフがいなければ役に立たない。どう運営するのかという志とそこで表現されるものと技術の三位一体が劇場には必要不可欠なんです。


◎照明家への道〜桑谷さんの場合
 
――桑谷さんが照明家を志したきっかけと歩みを聞かせていただけますか?
 
 子どもの頃に学校回りの演劇公演がたくさんあって、その照明がすごくきれいだったんです。ただの白い幕を明かりひとつで夕焼けや青空に変えられる照明に、とても憧れました。それで大学に入る時に学校の先生か照明家になろうと思って、結局、日大芸術学部の舞台美術コースに進みました。
 
 プロの照明家としてのデビューは学生時代にやった日生劇場のモスクワ芸術座公演です。どうしても公演を見たくて、当時、日生の照明をされていた沢田祐二さんのところにおしかけてスタッフに雇って貰ってギャラをもらいながら裏から見た(笑)。僕は学生だろうと何だろうと、プロになるために勉強してるんだからプロの端くれだと思っていて、自分をアマチュアだと思ったことがない。だからいきなりモスクワ芸術座でも全然平気でした。
 
 プランナー志望だったんで、卒業してもオペレーターとして就職する気はありませんでした。大学闘争が終わって精神的に打ちひしがれていた時に、六本木の地下で公演をしていた自由劇場と出会い、そこで4年間、無報酬で照明の勉強をしました。その後、黒テントに照明プランナーとして参加しましたが、プロのプランナーたるものフリーでいるべきだという美意識があったので(笑)、劇団員にはなりませんでしたね。


◎課題はものをつくるための組織づくり
 
――公共ホールの最初の印象は?
 
 公演に同行して地方に行く機会も多かったのですが、どこのホールも似たり寄ったりで劇場としての魅力がないなあと思ってましたね。技術スタッフに何か頼むと「ダメだ、やらせない」としか言わないし。だから、長野県県民文化会館のスタッフを引き受ける時に、劇場らしい劇場になるよう努力しようと思いました。プランナーも東京の技術スタッフと対等にやりとりができるオペレーターもいなかったので、僕の技術を伝えるところからはじめましたが、行政の管理部門の人たちに僕ら技術スタッフの仕事を理解してもらうのに一番時間がかかった(笑)。
 

――公共ホールの運営システムづくりについて、アドバイスがあれば聞かせてください。
 
 世田谷パブリックシアターでも、結局、ものをつくるための要、カンパニーをもってくることはできませんでした。これが相変わらず劇場の中から大きく欠けているのは何とかならないものでしょうか。日本の劇場が貸館と創作の両方のシステムを持たざるを得ないからだと思いますが、これだけ各地に公共ホールができているんですから、そこにいろいろな付属カンパニーがあって多彩な活動をやるようになってもいいころです。
 
 公共ホールがものづくりをはじめたにもかかわらず、公会堂、公民館、文化会館から芸術劇場に名称が変わっただけ。組織と人数はそのままで、貸館(不動産屋)をやって利益を上げるシステムからちっとも変わっていない。その代わりといっては何ですが、行政は劇場のプロとしての要求もしてこないというか。僕たちは劇場のプロなのに、弁護士や医者のようなカリキュラムもなければ、プロとして毎日、鍛錬することを求められるシステムにもなっていない。だから最後は感性と個性に頼るみたいな、アマチュアなところにいってしまう。
 
 ですからこれからの課題は、ものづくりにふさわしい組織づくりということに尽きます。技術部門がどうかとか、プロデューサーがどうかとか、部分的に取り出して議論する前に、館長の職能・責任権限から議論するような全体的な見直しをやらないといけないんじゃないでしょうか。これからは公共劇場が演劇シーンをつくる時代が必ず来ます。そのためにもものをつくる組織とはどういうものかを問い直すべきだと思います。


●桑谷哲男プロフィール
1946年生まれ。照明プランナー。世田谷パブリックシアター テクニカルマネージャー。日本大学芸術学部演劇科卒業。大学在学中から日生劇場で吉井澄雄、沢田祐二に師事。82年より長野県県民文化会館照明チーフ、92年より世田谷区「文化・生活情報センター」(現・世田谷パブリックシアター)の専門調査員を経て、現職。代表作:佐藤信作・演出『キネマと怪人』『ブランキ殺し上海の春』など劇団「黒色テント68/71」の一連の話題作。
 

●「公立ホールの舞台技術に関する調査研究」
公立ホールにおける舞台技術部門の現状と課題を整理し、ホール運営上、望まれる技術部の管理、運営システムのあり方についての検討を行った。
[調査コーディネーター]草加叔也(劇場コンサルタント)
[専門委員(五十音順)]大野晃(神奈川県民ホール館長)、桑谷哲男(世田谷パブリックシアター テクニカルマネージャー)、端洋一(滋賀県立八日市文化芸術会館主任技師)、平田尚文(岡谷市カノラホール館長)、真野幸明(愛知県舞台設備管理事業協同組合理事)
[ヒアリング調査]北海道文化財団、盛岡市文化振興事業団、會津風雅堂、喜多方プラザ文化センター、富山県教育文化会館、広島市文化創造・中区民文化センター
 

●調査研究に関する問い合わせ
芸術環境部調査担当 御園生和彦
Tel. 03-5573-4069 Fax. 03-5573-4060

トピックス

セゾン美術館の閉館と今後の活動
 
●企業メセナの先駆者
 
 西武美術館から数えれば四半世紀近い歴史をもつセゾン美術館が、この2月に閉館する。現在では当たり前になったデパート美術館の草分けであるだけでなく、その先進的な活動内容においても内外から高く評価されてきただけに、閉館のニュースは波紋を呼んだ。
 
 セゾン美術館は、1975年、西武百貨店社長(当時)の堤清二氏の「時代精神の根拠地たれ」との掛け声のもと、増床した西武百貨店池袋店12階にオープン。89年には隣のビルに移転し、セゾン美術館と改称。コレクションをもたずに斬新な企画展を次々と打ち、70〜80年代には西武セゾングループの発展と相まって注目され、模範的な「企業の文化戦略」としてもてはやされたものだ。
 
 だが堤氏は、美術館活動を「文化戦略」と見られることが不本意だったようだ。「美術館設立の動機は純粋に文化のパトロネージュ精神に基づくものだった」と、難波英夫館長は代弁する。
 
 「美術館がスタートしたのは75年ですが、展覧会は60年代前半からパウル・クレー展をやっていたし、70年代前半にはルノワール展やミレー展なども開いていた。その頃から堤さんには、日本にも文化支援のグローバル・スタンダードを根づかせたいという意識があったんです。それがたまたま西武百貨店の成長と重なって、美術館活動が文化戦略という言葉の中に刈り取られてしまったような気がします」
 
 実際、文化戦略とかシャワー効果(階上の展覧会を見に行った客が階下で買い物をすること)を期待するのだったら、催事場でルノワール展やミレー展といった人気展を開いていればよかったはず。それをあえて美術館と名乗って、開館記念展に8000人弱しか入らなかった「日本現代美術の展望」展をもってきたのは、美術館というオーソライズされた場所で同時代の美術を見せる必要性を感じていたからにほかならない。つまり、「文化戦略」として評価するのは矛盾しており、評価するとしたら、「メセナ」という言葉がなかった時代から企業メセナを実践していたことである。


●セゾン美術館の果たした役割
 
 開館以来24年間に開かれた展覧会は計264本。その内訳を見ると、内外の近現代美術が半数近くの117本を占めており、また、建築・デザインなどの周辺ジャンルが76本にのぼっている。合わせて7割以上だ。
 
 動員数とは別に、先駆性で話題になった展覧会を挙げてみよう。「アメリカ現代美術の巨匠たち」(1978)、「レニ・リーフェンシュタール写真展」(80)、「マルセル・デュシャン展」(81)、「芸術と革命」(82)、「ヨーゼフ・ボイス展」(84)、「もの派とポストもの派の展開」(87)、「ウィーン世紀末」(89)、「表現としての写真150年の歴史」(90)、「芸術と広告」(91)、「アンゼルム・キーファー展」(93)、「バウハウス 1919-1933」(95)、「ル・コルビュジエ展」(96)など、枚挙にいとまがない。
 
 今でこそ国公立美術館での現代美術展や周辺ジャンルの展覧会も珍しくなくなったが、それを20年以上も前からやってきたのである。逆に言えば、ようやく国公立美術館が時代に追いついてきたわけで、その意味では西武・セゾン美術館の役割は一応果たし終えたと言えるかもしれない。とはいえ、日本の芸術文化に与えた影響の大きさを考えれば、やはり閉館は惜しまれるところだ。
 
 閉館の最大の理由は、いうまでもなく母体企業のセゾングループの経営悪化による。バブル崩壊後の91年には堤氏がグループ代表を退き、美術館の運営も西武百貨店から西友に移管。それまで年に10本前後開いていた展覧会数を以後6〜7本に減らし、コストダウンを図ってきたものの、とうとう力尽きたかたちだ。セゾンコーポレーション副会長の絹村和夫氏は言う。
 
 「いくらメセナ活動といっても、赤字を減らそうとするのは経営として当然のこと。そんな中で堤さんの精神を守っていくのは大変なわけで、このまま美術館を継続させても息切れがする。我々には、日本有数の現代美術コレクションをもつ財団法人セゾン現代美術館(軽井沢)もあるので、セゾン美術館のほうを閉館することにしました」


●美術館なき美術活動「SAP」
 
 さて、気になる今後だが、閉館といっても美術活動を全面停止するわけではない。学芸員はすでに半減しているものの、これまで培ってきた企画力や技術を生かして「美術館なき美術活動」を行っていくというのだ。難波館長によれば、「美術館というのは、美(コレクション)、術(展覧会ノウハウ)、館(建物)の3つが一体化したもの。セゾン美術館には術しかないので、これからはセゾン現代美術館を拠点に、セゾンアートプログラム(SAP)として、術=ノウハウを生かしていく」とのこと。
 
 SAPの具体的なプログラムとしては、まず展覧会活動が挙げられる。これには、セゾン現代美術館をはじめ全国の美術館に展覧会を供給していくほか、例えば都内20〜30軒の貸画廊を借りて同時に現代美術展を開くなど、ゲリラ的な活動も含まれる。これは東京だけでなく、翌年は関西の貸画廊、その翌年には福岡、といった具合に全国展開も計画しているという。まさに「地域創造」である。
 
 次に、定期的なレクチャーやシンポジウムの開催。オープンな場で現代美術を巡る議論を行うことによって視野を拡げ、理解を深めるのが目的だ。そのほか、ネット上でのサイバーミュージアム、季刊の美術誌の出版、全国の学校への美術教育の出前、内外の展覧会ツアーをはじめとする友の会活動、などが計画されている。
 
 コレクションもハコももたない分、身軽に攻めの体勢に出られる「美術館なき美術活動」。あるいはこうした形態が21世紀には常識になっているかもしれない。ちょうど今、デパート美術館が当たり前になったように。
(美術ジャーナリスト・村田真)


●「アルヴァー・アールト1998-1976展」
2月15日まで。20世紀モダニズム建築を代表するフィンランドの建築家、アルヴァー・アールトの大規模な回顧展。この企画展を最後にセゾン美術館は閉館。

制作基礎知識シリーズ ホール・劇場機構編(2)

コンサートホールの分類と特長

音響的アプローチからライブホールとしての魅力の時代へ
講師 草加叔也(劇場コンサルタント/空間創造研究所代表)
 
  ある年代以上にとって、コンサートといえば当然クラシック音楽のことと考えるのが一般的です。しかし、今日では必ずしもそうではなく、ポピュラー音楽からロックまでを含めてコンサートと呼ぶようになってきています。少なくとも、我が国の音楽業界では、ポピュラー音楽やロックのコンサートが動員する観客数が、クラシック音楽のものより約5割近く多いという統計データもあります。今後この種の音楽を楽しむホールについても十分考えていく必要がありますが、ここでは、いわゆるクラシック音楽のためのホール、コンサートホールを中心に整理をします。


●コンサートホール成立の背景〜古代から近世の音楽事情
 
  古代ギリシアの時代から今日に至るまで、音楽はそれぞれの時代によって異なった役割を担ってきました。
 
  周知の通り有史以前の時代においては、宗教的な役割や祝祭的な役割を主に担ってきました。しかし、中世になると、時の領主が権力示威のために音楽を用いるということも少なくなかったようです。例えば、宮廷で催される祝祭の宴などでは支配者の権威をあらわす具体的な手段として音楽が用いられたようです。ただし、宮廷音楽家に求められたのは、舞踏や祝宴のための音楽を奏でる労働行為であり、決して芸術的な行為としては認められていませんでした。
 
  その後、ルネサンス期の知識教育を経て、音楽はそれ自体が目的をもった芸術活動として認知されるようになってきます。また、音楽が教会と結びつくことは、さらに音楽のあり方を今日的に変化させていく要因となりました。もちろん当初は神に対する奉仕者としての音楽家の役割がそのすべてでしたが、時代とともに教会での演奏活動を都市のインフラとして公開することが義務づけられるようになってきます。音楽家は、その対価として財政的な支援を受ける事ができるようになり、職能としての認知がされるようになります。
 
  さらに、今日のような会費をとる音楽演奏会が催されるようになるのは、17世紀になってからであり、18世紀になって初めて営利を目的としたコンサートが催されるようになってきました。我々は、この時代につくられた音楽のためのいくつかのホールに、今日のコンサートホールにつながる脈絡を見つけることができます。


●我が国のコンサートホールの歩み
 
  我が国でつくられた最初のコンサートホールが、神奈川県立音楽堂(1954年・1331席)です。これに続いて61年には群馬音楽センター(2202席)がつくられました。しかし、何といっても今日の音楽専用ホールの流れをつくる先駆けとなったのは、81年につくられた中新田町文化会館・バッハホール(780席)です。これに続いて、熊本県立劇場・コンサートホールやザ・シンフォニーホールなどの音楽専用ホールが次々につくられるようになりました。その後、時代の経済的な後押しもあり、今日までに数多くのコンサートホールが全国各地に整備されました。
 
  しかし、我が国の多くのコンサートホールが欧米のものと決定的に異なるのがレジデンシャルなオーケストラをもたないことです。96年に開館したすみだトリフォニーホールや札幌コンサートホールなどは、そういった中でもレジデンシャルなオーケストラをもつということで、最も欧米型のコンサートホールに近いものかもしれません。少なくとも、ハードのみ専用化ということではなく、活動や運営、そして組織も含めて音楽に特化していこうということは、当然評価されてしかるべきです。しかし、ことはまだ端緒についたばかりで、十分な評価をしていくには、もうしばらく時間が必要なように思います。
 
  加えて、これからのホールでは、音楽作品の生産環境を如何に整えていくのか、地域文化としてホールをどのように根づかせていくのか、さらには音楽に関わる人材の育成を観客の育成も含めて如何に行っていくのかということも、切迫した課題となっています。


●コンサートホールの分類
 
  コンサートホールの建築的な特色は、基本的に音楽を演奏するための舞台とそれを鑑賞するための客席とが同じ空間の中にあることです。これは、演劇を上演するためにつくられたプロセニアム形式の舞台と大きく異なる点です。
 
  コンサートホールは、その平面形の特長から、前回説明した演劇のための劇場と同様に、いくつかのタイプに分類することができます。その分類方法と個々の呼称については研究者によって意見が分かれるところですが、一般的には右ページの図のように、シューボックス形式、アリーナ形式、扇型形式の大きく3つに分類されます。
 
●コンサートホールの分類図へ

 
●音響についての考え方
 
  コンサートホールが、コンサートホールである所以は、ホールで奏でられる生音がどのような状態で聴衆の耳に届けられるかということに尽きるといっても過言ではありません。そこで問題とされるのが音響です。音響を図る尺度の一つがよく皆さんが耳にされる「残響時間」です。何秒と数字で示しやすいため、残響時間ばかりが取り上げられますが、近年、音響技術も発達し、コンサートホールに求められる建築音響の与件はもっと繊細化されるようになってきました。
 
  ある建築音響の研究者は、「音楽の音響の質の主観的属性」について18項目の用語を定義しています。その中には、「親密感または臨場感」「残響感」「暖かさ」…「拡散」「バランス」「融合」…「騒音のないこと」「音色の質」「均一性」などが挙げられています。これらの内、いくつかの項目についてはデジタルに評価していこうという研究も行われてきています。残響時間だけを取り出して、ホールの特性として話題になることが多いですが、このことだけがホールの性能を評価する唯一の指標ではありません。まして、主観的属性としての残響感となると、デジタルな評価だけでは十分に補えない部分もあります。加えて、演奏される音楽の種類や楽器によっても評価が異なってきます。
 
  録音や再生技術が飛躍的に進歩してきた今日では、ホールの音響的な特性ばかりを取り出す前に、観客が支払う対価に対して、ライブホールとしての魅力とその付加価値をどのようにして示していくのかが新たに求められるようになってきました。音響的な魅力もさることながら、視覚的な魅力、サービス、ホスピタリティ、あるいは食欲や物欲なども含めて、コンサートホールで観客が過ごす時間をトータルに満足のいくものとして演出していくことが望まれているのではないでしょうか。
 

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