地域創造

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地域創造レター

News Letter to Arts Crew

6月号-No.050
1999.06.10(毎月10日更新)

●常務理事インタビュー「市町村立美術館等活性化モデル事業」

●クローズアップ 〜博多座オープン(福岡市)

●制作基礎知識シリーズ<舞踊編(1)>


●「市町村立美術館等活性化モデル事業」

美術部門の文化施設活性化事業、トライアル始まる
 
 先号でもお伝えしたとおり、財団法人地域創造では、次年度からの本格実施を目指して、「市町村立美術館等活性化モデル事業」のトライアルを行います。これは、演劇部門(舞台芸術活性化事業)、クラシック音楽部門(公共ホール音楽活性化事業)と実施してきた「公立文化施設活性化シリーズ」の美術部門にあたるもので、県立美術館との連携により市町村立美術館の活性化と人材育成を図ることを目的としています。本年度は静岡県立美術館、兵庫県立美術館のご協力を得て、両館のコレクションから約60点を両地域の市町村立美術館5館に巡回展示します(詳細はデータ欄参照)。
 
 今回、財団側のプロデューサーとして現地に赴き調整を行ってきた澤井安勇常務理事にモデル事業の意図するところや現地での取り組みの模様をお話しいただきました。


――「市町村立美術館等活性化モデル事業」が企画された経緯を教えていただけますか?
 
 1997年に地域の美術館の現状について調査を行ったところ、全国に290館ある公立美術館の内、展示スペースが500平方メートル未満で収蔵品が500点未満のスモール・ミュージアムが約半数を占めていることがわかりました。こうした小規模な美術館はここ10年ぐらいの短い間に急速に整備されたものが多く、予算や学芸員の数も限られていて、人材育成の面でも課題を抱えています。
 
 一方、県立美術館などには優れたコレクションをもっているところがたくさん出てきました。今のところ自館での公開に限られていますが、こうした優れた“地域美術品”に他の地域の方々が触れられる機会がほとんどありません。そういう機会がもっとつくれないものか、という思いもありまして、県立美術館などのご協力によって市町村立美術館を活性化するという今回のモデル事業の枠組みが出来上がりました。


――今回のモデル事業の具体的な取り組み内容はどのようなものですか?
 
 地域創造としても、公立美術館としても新しい試みになりますので、初年度はモデル事業として位置づけました。次年度以降の本格的な実施に向けてさまざまなトライアルを行いたいと考えています。
 
 その一つが県域を越えた地域連携による取り組みです。県外の“地域美術品”に触れる機会を提供するという観点から、今回は兵庫県と静岡県にご協力をお願いしました。県立美術館から両地域の市町村立美術館に呼びかけをしていただきましたところ5館が手を挙げてくださり、その中の1館である尼崎市総合文化センターが事務局になって実行委員会をつくりました。
 
 この事業は基本的に市町村立美術館が主体となって取り組むというものなので、県立美術館にはそのサポート役をお願いしています。今回はモデル事業ということもあって県立美術館からの呼びかけというかたちになりましたが、実際の事業については、実行委員会事務局長の岡本健一さん(尼崎市総合文化センター)が大変精力的にコーディネート作業を行ってくださいました。地域連携での取り組みでは、こういうマネージャー役の方が本当に重要だとつくづく実感したところです。


――今回の展示内容は実行委員会で企画されたのですか?
 

今回につきましてはモデル事業ということもあって県立美術館からの提案になりました。コレクションをご提供いただく美術館の方の調整がかなり複雑ですし、市町村立美術館側にまだまだノウハウがないということもあって、しばらくは県立美術館のコレクションの一部を巡回展として展示するということになると思います。各地域の美術館に収蔵された“地域美術品”を県境を越えて紹介する機会はほとんどないため、鑑賞機会を提供するという意味ではこうした「地方美術館展」のような取り組みも重要だと思っています。
 
作品の提供やサポートをお願いする県立美術館には大変な手間をおかけすることになりますが、公立文化施設の一つの役割として、作品をできるだけ外に出して鑑賞機会を増やしていくという姿勢で取り組んでいただければと思います。公立美術館同士のネットワークで地域の美術品が循環しあうような流れがつくれるといいですね。
 
それと、力のある市町村立美術館にはぜひオリジナル企画展にチャレンジしていただきたいと思います。財団としては、そのために民間サイドからも作品調達ができるようなサポート体制が整備できればと考えているところです。


――「市町村立美術館活性化モデル事業」で一番ポイントになると考えられている点はどこですか?
 
 公立文化施設の活性化ということを考えると、単独事業では自ずからやれることに限界があります。今回の事業の一番のポイントは、その課題に県、市町村という枠を超えて地域が連携して取り組むというところにあります。各地の公立ホールではこうしたネットワークによる取り組みがすでに始まっていますが、美術館では馴染みがなく、あまり具体例を聞いたことがありません。今回の事業ではずみがつき、各地で動きが出てくればと考えています。
 
 第5次全国総合開発計画(通称五全総)の中でも掲げられているように、「地域連携」は地域活性化の基本テーマになっています。公立文化施設のネットワークという「文化の地域連携」を図ることによって、情報や人や活動が地域を循環するような新しい地域づくりが求められているのではないでしょうか。
 
 こうしたネットワークが地域の活性化につながっていくためには、各地域や文化施設が個性的であることが大前提になります。個性ある地域や文化施設が自分のところと異なる相手と連携することで相互補完していくような、そんなネットワークができればいいな、と夢を描いています。

意欲のある市町村立美術館の方、またこうした事業にご興味をおもちの県立美術館の方、ぜひ担当者までご連絡ください。


●兵庫県・静岡県美術館所蔵作品共同巡回展
[日程]尼崎市総合文化センター(9月4日〜19日)、西淡町立滝川記念美術館青玉館(9月23日〜10月11日)、氷上町立植野記念美術館(10月16日〜11月3日)、天竜市立秋野不矩美術館(11月9日〜28日)、沼津市民文化センター(12月2日〜19日)
 
●市町村立美術館等活性化事業に関する問い合わせ
財団法人地域創造 総務部 振興助成課 羽藤・長内 Tel. 03-5573-4050

クローズアップ

〜福岡市の大型再開発事業の中核施設、博多座の試み

●都市型複合施設による再開発事業の取り組み
 
 福岡市では博多地区など旧中心部の再開発が課題とされ、アジア全域からの集客を想定した都市型複合施設による大型再開発事業「キャナルシティ博多」(96年4月開業、敷地面積約34,748m2)、「博多リバレイン」(99年3月開業、敷地総面積約21,860m2)への取り組みが行われてきた。前者が民間、後者が福岡市が出資した第三セクターによるプロジェクトだが、両者とも、ホテル、物販、飲食、オフィスといった従来の複合アイテムに加え、目玉の集客施設としてエンタテイメント施設を有しているのが最大の特徴となっている。特に「博多リバレイン」では、アジアの現代美術をテーマにした「福岡アジア美術館」と、公設民営劇場「博多座」という公立文化施設としてはきわめて意欲的な取り組みが行われ、話題を集めている。


●公設民営劇場「博多座」運営の仕組み
 
 「博多座」はかつての芸どころ博多の演劇文化の復興と個性豊かな町づくりを目的として、福岡市、九州経済界、演劇興行会社5社(松竹、東宝、コマ・スタジアム、明治座、御園座)が協力し、歌舞伎からミュージカル、宝塚歌劇など、多彩な演目を月替わりで常打ち興行する、日本初の「公設民営劇場」である。
 
 「公設民営」の内容は、市が313億円(土地の収用費含む)をかけて劇場を建設し、年間の維持管理費(来年度予算では年間5億7000万円)を負担。その運営を、年間3億円で施設を借り上げる第三セクターの株式会社博多座(市が資本金の約27%、興行5社のほか、九州電力、福岡銀行、九州旅客鉄道などの地元財界が出資)に全面的に委託するというものだ。基本的には博多座の事業費(11カ月で40億円〜50億円見当)と人件費(役員を含め45名。内、市、興行各社等からの出向6名。技術スタッフは委託)をチケット収入で賄いたいとしており、そのためには月6万人の動員が必要と言われている。
 
 実際の興行については、当面5社体制での取り組みが行われ、松竹3カ月、東宝3カ月、コマ2カ月、明治座1カ月、御園座1カ月の公演が予定されている。(残りの2カ月は宝塚歌劇と市民に貸し出す12月の「市民桧舞台」)。


●特徴的な事業〜博多座会と市民檜(ひのき)舞台
 
 「博多座」では、博多の市民ひとりひとりが劇場を支えていくという問題意識で個人会員組織の「博多座会」を設立。これは、入会金5万円(退会時に返却)を預かるというもので、月会費無料で優先予約、チケットの無料郵送、会報誌のサービスが受けられる。2万人を上限に募集したところ応募者が殺到したことで話題となったが、相当額の維持費が必要となるため、今後、会員事業としての成果が問われてくるところだ。現在、会員数は約2万7000人。
 
 また、通常一般人が使用することは考えられない商業演劇の劇場を公設施設として開放するというのが、施設を所有している福岡市が12月に設けた「市民檜舞台の月」である。希望者を公募、企画委員会が選考を行い、有料で貸し出す。一般利用者と商業劇場をつなぐため、プロデューサーを立てて調整を行い、初年度は博多区民による創作ミュージカルなどで11団体が舞台に上がる。
 
 企業劇場の閉鎖(セゾン劇場)、演劇興行界の不振、芸能プロダクションの参入(ホリ・プロダクション、ジャニーズ事務所、吉本興業)、公共劇場の増加と、演劇興行界は今、大きな再編期を迎えている。公設民営劇場「博多座」もこうした流れの中で興行界の慣習を破って生まれたトライアルのひとつなのである。  (坪池栄子)


●小坂弘治総支配人に聞く
 
 「福岡市で開かれた『アジア太平洋博覧会』のプロデューサーだった故・伊藤邦輔コマ・スタジアム社長、故・永倉三郎九州電力相談役、当時の桑原敬一福岡市長がかつて博多にたくさんあった芝居小屋を復活したいと話したのがきっかけとなり、計画中だった下川端地区の再開発事業の目玉にすることになりました。
 
 私は、若い頃、帝国劇場のオープニングに関わり、『劇場の建設費をチケット代に付加して減価償却することは不可能です』と社長に進言したことがあって、以前から公設民営という運営方法に大変興味をもっていました。現在も商業劇場は東京、大阪、京都、名古屋にしかなく、公設民営で九州につくれるものならやってみるべきだと。
 
  これだけの施設を支えるには最低1000万人のマーケットが必要ですが、北部九州圏でみるとちょうど1000万人になる。交通網が整備されているので福岡への一極集中は可能だし、空路もあり都心部だから全国からの集客もできる。私はこの可能性に賭けています。
 
 株式会社博多座はまだまだ興行各社、地元経済界、市役所といった異なる組織の出身者の寄せ集め状態というのが正直なところです。これが一枚にならなければ劇場運営はできません。でもすでに、排他的な興行会社の慣習を破って松竹と東宝がノウハウを出し合って劇場建設をしたわけですし、それだけでも充分に画期的なことだと思います。こうしたプロセスを丁寧に追いかけることが公設民営の中身になっていくのではないでしょうか。
 
 町との関わりでは、“俳優のいるまち博多”をアピールしています。歌舞伎だと200人規模の俳優やスタッフが1カ月も滞在するので、行きつけの店もできる。『博多のホスピタリティが問われますよ』とよく言うんですが、劇場のある町のこうした賑わいをつくれればと思っています」


●博多座
[開館]1999年6月
[収容人員]1490人
[所在地]〒812-8615 福岡市博多区下川端町2-1

制作基礎知識シリーズVol.6 舞踊編(1)

バレエ、ダンスの構造と意味
講師 市村作知雄(芸術振興協会)

 
  千人単位で生徒、師弟、縁者という観客を集めるバレエや現代舞踊の発表会と300人を対象にしたコンテンポラリー・ダンスの公演を比較して、どちらが社会性をもっているのか。あるいは社会に開かれたアートなのか。少なくともそれに対する答えを自分の中に持つことは、公共ホールの運営を考える場合、大変に大事であると思う。
 
  どのような公演であれ、最初の観客は、親子親戚、友だち、仕事仲間から始まる。それは、全く見ず知らずの観客に劇場まで足を運ばせることがいかに困難であるかを示唆しているのだが、社会に開かれているとは、そのような困難さに立ち向かう姿勢のことだと、私は思っている。この文もその考え方を前提にして書かれている。

  ダンスあるいは舞踊という場合、最も広くとらえれば、祭儀や原始的な舞踊にまで遡るのだろうが、ここではあくまでも芸術として、それ自身が目的となり自立したものとしてあるダンスに限定して話しを進めたい。
  その範囲でダンスを分類すると、西洋において確立したバレエ、バレエの束縛からの解放を目指したダンス、そして民族舞踊から発しながらも世界的なものとなったフラメンコやタンゴなどがある。ここではバレエとダンスについてその構造と意味について概観する。


●バレエの構造と意味
 
バレエ『白鳥の湖』が初演されたのが1877年。『眠れる森の美女』が1890年、『くるみ割り人形』が1892年と、19世紀後半のわずか15年間に3大クラシックバレエと呼ばれる作品は創作されている。どれも作曲はチャイコフスキー、振付の中心人物はマリウス・プティパである。現在でもバレエ界はこの遺産によって成立していると言っていいだろう。
 
  バレエはルネッサンス期のイタリアで発生したといわれている。そして17世紀半ばフランスの ルイ14世の庇護のもとで宮廷文化の華となった。宮廷バレエが退廃した後、職業としてのバレエが確立し、初期のバレエの代表作『ラ・シルフィード』(1831年)、『ジゼル』(1841年)がうまれた(この期のバレエをロマンティックバレエと呼んでいる)。
 
  バレエの構造は単純である。人間の動きは厳格な型(ボジションと動き)に支配される。足は主として5つのポジション(バレエでは、パとよんでいる)の順列組み合わせによって決められる(ただし、現在は少し変化している)。手のボジションや回転やジャンプも、それぞれに決められた厳格な型が存在し、ダンサーはその型をマスターするために日々トレーニングしているのである。その型は世界中共通だから、バレエダンサーはどこの国に行ってもそのまま仕事に就くことができ、それがバレエの国際性を確立した。バレエとは、ひとつひとつの厳格に定められたポジションと動きの型の順列組み合わせのことである。
 
  この動きの型と並びバレエ作品において重要な構成要素となっているのが「音楽」である。音楽は、ダンサーの動きのリズムを保証するもので、むしろ動きを総合的に支配していると言ってもいいだろう。
 
  そして最後にもう1つの重要な要素とされているのが「物語」である。音楽と物語をテキストにして、ポジションと動きの型を構築することでクラシックバレエは成立しているのである。そうならば、これら3つの確立した要素を「守ること」と「壊すこと」がバレエ界の以後の歴史となるのは当然の成り行きであろう。
 
  より創造的な振付家は「破壊」を求めた。その最初が「物語」についてだった。バレエに物語は必要なのだろうか。ロシアのディアギレフバレエ団(※)にいたジョージ・バランシンは、1934年、ニューヨークに移って、その解決に着手した。『白鳥の湖』の物語を全く知らないで公演を見たなら、舞台で展開されている物語を理解することは全く不可能である。それが演劇の物語とバレエの物語の根本的な違いである。観客は、物語を見に来るのではなく、音楽に合わせた動きを見に来るのである。バランシンはバレエから「物語」を排除した。これがモダンバレエの始まりであり、 その後のモーリス・ベジャールの登場により、大きな流れとなっていった。
 
  その次の破壊は「足(パ)」についてである。1984年、フランクフルトバレエ団芸術監督に就いたウイリアム・フォーサイスはパの破壊に取りかかった。パと言う5つの足のポジションが定められたのが17世紀半ばといわれるから、実にその破壊に300年の年月がかかったことになる。これは例えて言えば、能が「すりあし」をやめて、普通に歩こうという運動を起こすことに似ている。しかし、それによって起こることは能自体の終焉である。つまり、フォーサイスは300年をかけてバレエを終わらせたということになるだろう。もはやそこにはバレエとダンスの境界はない。


●ダンスの誕生と意味
  フォーサイスに先立つこと約100年。人間の解放とバレエの束縛からの解放を旗印にイサドラ・ダンカンが登場した。足が変型するほど窮屈なトウシューズ(バレリーナがつま先立つために履くシューズ)を脱ぎ捨て、厳格な型による不自由さを嫌い、より自由な踊りを実践することでダンスは出発した。彼女は世界の女性解放のシンボルとなったのである。コルセットをはずし、ゆるやかな服を着て、あるいは服を脱ぎ捨て、はだしで踊る姿は、来るべき20世紀の社会の方向を示していた。イサドラ・ダンカンを出発点として、2人の偉大な振付家が生まれた。ひとりはアメリカンモダンダンスの基礎を築いたマーサ・グラハムで、少し前までは、モダンダンスと言えばグラハム・メソッドを意味していた。日本の現代舞踊もグラハム抜きには語ることができない。もうひとりはドイツ表現主義舞踊の基礎をつくったマリー・ヴィグマンである。ドイツ表現主義は日本固有に生まれた舞踏(butoh)に大きな影響を与え、現在でも形を変えながらピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団などに引き継がれている。
  モダンダンスの最盛期にアメリカでは新たなアートの運動があった。ジョン・ケージによる音楽の概念の拡張、ジャスパー・ジョーンズやラウシェンバーグなどのポップアートの始まりであるが、ダンス界ではそれとパラレルに、そして彼らとの共同作業の中からマース・カニングハムの作品が登場し、ポスト・モダンダンスが生まれた。
  彼は、音楽や舞台美術をダンスに従属した構成要素であることから解き放し、音楽、美術、動き(ムーブメント)を等価に、それぞれ自立した形で舞台に登場させた。「動き」はテーマからの束縛を離れ、主役によるソロダンスと群舞という既存の構成スタイルも投げ捨て、それゆえ舞台は中心も周辺もない等質の空間で、ダンサーそれぞれがバラバラな動きをするという特徴をもっている。
 
  さて、ここまでくればすでに現在進行形である。コンテンポラリー・ダンスとは、ポスト・モダンダンス以降のことである。ポスト・モダンダンス以降で最も大きな運動となったのが、フランスを中心としたヌーベル・ダンスであった。現在静岡に滞在するジャン・クロード・ガロッタやマギー・マランなど実に多くの才能が日本にも紹介されたが、いまだポスト・モダンダンスを超えるところへは到達していないように思える。


●注目しているもの
 
  クラシック・バレエは物語と音楽をテキストにしていた。バランシンからはテキストは音楽だけになった。さらにポスト・モダンダンスでは、音楽は踊りから自立することで、リズム的要素を失い、バックグラウンド・ミュージックになり、場の雰囲気をつくるだけになった。 そこでのテキストは形(かたち)であり、例えて言うならマース・カニングハムは人間を使って、動く絵画を描いているのだろう。それに対しドイツ表現主義舞踊の流れを組むピナ・パウシュはテキストを人々の日常的な動きに求めた。現在の主流となったこうした舞踊作品は、この社会(大きな社会の流れでも極私的な日常でも)そのものをテキストにして作品を生み出しているが、その意味でかなり演劇に近づいていると言うこともできる。
 
  私は、社会を作品に取り込みながらも、再び音楽をテキストとするような振付家の登場を待望している。音楽をテキストとしなくなって、振付家のレベルは極端に低下したと感じているからだ。つまり、どんなに動こうと走ろうと、ジャンプしようと、それだけではダンスではない、ということである。
 


※ セルゲイ・パヴロヴィッチ・ディアギレフ(1872年〜1929年)
ロシアのディアギレフ・バレエ団団長、プロデューサー。彼のバレエ団のプロダクションを総称して「バレエ・リュス」と呼ぶ。1909年、パリのシャトレ座に初登場し、一大センセーションをひき起こし、オリエンタリズムと、ニジンスキーという野性味あふれた伝説的ダンサーにより一夜にしてスターの頂点に登りつめた。ディアギレフはさまざまなジャンルのアーティストに参加を要請し、総合的なスペクタクル性の強い舞台をつくり出すことに成功した。 バレエ・リュスに参加した主要なアーティスト、作品は以下のとおり。
[美術・デザイン]ピカソ、ブラック、デ・キリコ、エルンスト、ローランサン、ミロ、ユトリロ、マティス、シャネル、バクスト
[文学]コクトー
[音楽]ストラヴィンスキー、ドビュッシー、プーランク、プロコフィエフ、ラヴェル、サティ、リヒャルト・シュトラウス
[ダンサー・振付家]ニジンスキー、フォーキン、マシーン、ニジンスカ、バランシン、アンナ・パブロワ、タマラ・カルサヴィナ
[作品]『ポロヴィッツの人の踊り』『シエラザード』『火の鳥』『薔薇の精』『ペトルーシュカ』『牧神の午後』『ダフニスとクロエ』『春の祭典』

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