地域創造

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制作基礎知識シリーズVol.34
音楽アウトリーチの基礎知識@
「おんかつ」の歩みと公立ホールの取り組み

講師 児玉真
(いわき芸術文化交流館アリオス・チーフプロデューサー、地域創造プロデューサー)

●公共ホール音楽活性化事業の歩み

 地域創造が1998年に「公共ホール音楽活性化事業(おんかつ)」をスタートした当初、私はプロデューサーとして「クラシック音楽の普及」を主な目的として考えていた。公立ホール主催のクラシック・コンサートが集客に苦しんでおり、ホールを応援する地域創造としてこうした悩みを何とかしたいと思ったからだ。
  クラシック音楽は、古典芸能などと同様に楽しめるようになるにはそれなりの知識や経験が必要だ。ホールの鑑賞型プログラムとしては、ピアニストの仲道郁代さんや劇作家・演出家の内藤裕敬さんと共に、演奏家が何を考えて演奏しているかを演劇形式を取り入れてコンサートにした「仲道郁代の音楽学校」を1996年に立ち上げていた。しかし、ホールに集まってもらうだけではまだまだ足りない。そこで、演奏家が地域に出掛け、コンサートに来ない人(来られない人)に直接働きかけ、どうすれば興味がもてて面白くなるのかを体験してもらう、ということを主体に考えておんかつが企画された。
  学校などで演奏する鑑賞型の出前コンサートは、オーケストラを中心に1940年代終わり頃から行われていた。ただ、演奏家自らがアーティストとしてアクティビティの内容を考え、聴き手とコミュニケーションを取りながら体験してもらうアウトリーチは、おんかつ以前には少なくとも系統立ててはなかったように思う。そのため、まずはその考え方を演奏家、ホール、受け入れ先に理解していただくところからスタートした。
  また、効果的なアクティビティとするため、「少人数」「長くない時間(小さい時間)」「小さいスペース」という「3つの小」を方針としてつくり、実務の専門家であるコーディネーターと演奏家を地域に派遣する枠組みにした。
  2004年には、地域創造と県との共催による「公共ホール音楽活性化アウトリーチ・フォーラム事業」を立ち上げた。アウトリーチが各地で行われるようになり、その質をどのように維持していくかが課題となり、地域のコーディネーターを育てるためにも県とおんかつのノウハウを共有できればと考えて始めた事業である。このほか、05年からはおんかつを経験した公共ホールが継続して事業を行うための財政的な支援を行う「公共ホール音楽活性化支援事業」もスタートした。
  おんかつが始まって13年になり、アウトリーチの重要性や「3つの小」のアクティビティ効果も広く認められるようになった。クラシック音楽の普及を目的とした当初に比べ、年を重ねるに連れて目的もアクティビティの内容もどんどん広がっていった。それは、アウトリーチ先の養護学校や老人ホームや小学校などで、人に活力を与え、癒すといったより根源的な「音楽の力」に演奏家も私たちも気づかされたからだ。芸術が社会においてもっと積極的な役割を果たすべきだ、芸術は社会が抱える諸問題を解決するツールになると考えるようになり、プログラムがどんどん欲張りになっていった。
  ただ、音楽という芸術を社会に役立つという観点から過度に機能的にとらえることにはやや危惧もしている。ピアニストの田村緑さんのアクティビティに、参加者と一緒にハンドベルとピアノで『カノン』を演奏するというものがあるが、ハンドベルは相手の音をよく聴かないと音が出せない。そういう、音を聴くことの充実感があって初めて音を出すことの楽しみに気づくような、「個人の深い音楽体験」としてとらえることを忘れてはいけないと思っている。
  私は、おんかつのアウトリーチで行っているのは基本的に「聴くワークショップ」だと考えている。聴くことは受け身だと思われるが、聴き手の内面で想像力が働いてたくさんのイメージが生まれ再構成されていく。そのことはとても創造的な作業だと思う。そのとき心に感じているものをさまざまな方法で外に出したり、演奏家とコミュニケートすることで聴き手の中にイメージが定着していくのである。例えば、演奏を聴きながら感じたことを「絵」「詩」「漢字ひと文字」で表すなど、演奏家もコーディネーターもこうした作業をかなり意識してプログラムをつくっている。
  一方、おんかつは登録アーティストを派遣するという枠組みだが、それだけでは地域が簡単には活性化できないという気持ちもある。地域のホール、県、登録アーティストにノウハウが蓄積されたとしても、最終的には、地域のコーディネーターやアーティストが育ち、彼らがいきいきと地域で生きていける環境ができない限り、地域に根づいた活力は生まれない。地域にいるアーティストが自分たちの役割と可能性に気づくことによってやりがいが生まれ、地域のホールと同じミッションをもって自分たちのまちのために共に行動できるよう、私としてはお手伝いしていきたいと考えている。



おんかつでのアウトリーチ(2010年11月/岩手県塩竃市)。ピアニストの新崎誠実さんが浦戸第二小学校・浦戸中学校の生徒を対象に行った。


●具体例〜いわき芸術文化交流館アリオス「おでかけアリオス」

 いわき芸術文化交流館アリオスでは、2008年に開館した当初から地域へのアウトリーチをホールのミッションとして行ってきた。いわき市は03年まで日本一だったという広大な面積をもつ市であり、その真ん中に新しい施設が出来ても遠方の市民に興味をもってもらうことは難しい。それで、企画のセクションの中に、広大な地域との関係をつくりアウトリーチ事業を行う「コミュニティサービス」と、劇場以外のスペースも活用し、市民がアリオスと公演以外でも出会えるようマーケティングイベントを行う担当を設けた。アウトリーチは「おでかけアリオス」という名称でいわき市に定着しつつある。
  おでかけアリオスには、クラシック音楽を中心に学校や社会福祉施設などに出掛けていく「施設型」と、地域と相談しながらいろいろなジャンルのアーティストが枠に捕らわれずにさまざまな交流を行う「コミュニティ型」がある。予算は施設型・コミュニティ型を合わせてアリオスの全事業予算の2割弱で、年間約40回(うち学校が約30回)ほど実施している。コミュニティ型の取り組みは市民にかなり浸透しており、行った学校などから100%に近い高い評価をいただいており、今ではアリオスを所管しているいわき市市民協働課だけでなく、さまざまな関係者から要請されるようになっている。
  こうしたアウトリーチについて、私自身は、基本的に「公共ホールがアーティストとどのように関わっていくのか」という問題だと理解している。東京から招聘する演奏家との関係だけでなく、地元に立脚している演奏家との関係も大事だという認識から、昨年初めてオーディションを行い、実際に田村緑さんたちのアウトリーチを見てもらった上で、勉強会という形でプログラムづくりや意見交換会、ランスルーなどの研修を行い、小学校へのアウトリーチとロビーコンサートを行ってもらった。研修では、公立ホールのミッションや学校にアウトリーチすることの意義などについてのレクチャー、ひとりひとりのプログラムに関するカウンセリングのようなことまでやったが、ここまで丁寧にすると演奏家の意識はかなり変わってくる。
  地域には、演奏する場はあるかもしれないが、「アーティストとしての競い合い」「専門家からのアドバイス」など成長していくための機会とアーティストとしての仕事がほとんどない。地域の演奏家の人にも、こういった「極める自分」と「伝える自分」(田村さんの言葉)がいる感覚をもってもらうことも地域のホールの役割のひとつだと考えている。そのために、最も厳しい聴き手である子どもたちに向けて真剣勝負をするというアウトリーチの現場はとても良い機会になり、それが地域を活性化するとともに演奏のレベル観にも繋がっていくと考えている。
  私が地元演奏家の活用についてこうした問題意識をもつようになったのは、長崎ブリックホールで手がけた事業がきっかけとなっている。当時直営だった長崎市の事業をアドバイスした時に、鑑賞事業は民間に任せ、普及を市の役割にしたらどうかと提案したことから、02年に東京から演奏家を招いた「アウトリーチ・フェスティバル」を行った。その時に「地元の演奏家も」という声があがり、新しい仕組みをつくった(*)。東京の演奏家と共に活動することで刺激もあるようだ。
  加えて、ホールのサポーターを中心にアウトリーチのコーディネーター講座も行い、今では3人ほどだが手づくりで現場ができる人が育っている。地元の人材だと地域の事情もわかるし、地域密着型の取り組みが可能となる。こうした長崎モデルはこれからの公立ホールの音楽アウトリーチのひとつの方向性を示すものだと思う。


*地元のアーティストとして年間3組を選考し、2年間登録。研修を行い、小学校を中心に各3カ所でのアウトリーチと、最後に東京のアーティストと一緒に出演するガラコンサートを実施。


●東日本大震災を経て
  いわき市は東日本大震災で被災し、アリオスは現在も避難所となっている。事業予算は凍結され、事業の再開は8月以降となる見通しだ。こうした状況になって、改めて「おでかけアリオス」がやってきたことの意義、地域と直接繋がってきたことの意義を痛感している。平時と非常時ではできること、やるべきことの内容は同じではないと思うので、いまスタッフ総出でご用聞きにでかけようと言っているところだ。
  これまで芸術が普及することで少しでも市民のみなさんの生活が豊かになればという思いでやってきたが、そのことは決して間違いではないけど、被災状況の中でもう一度なぜ人間にとって芸術が必要なのかを探り出していかなければならないと感じている。答えは見つからないのかもしれないけど、それが何なのか、みんなの話に耳を傾けながら、ずっとずっと考え続けていきたいと思っている。

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