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1日目[2/25]: 谷汲踊福田十二神楽三重の獅子舞 菅窪鹿踊・剣舞加賀獅子舞

2日目[2/26]: 小園臼太鼓踊鷺舞小國神社 十二段舞楽雄勝法印神楽沼田祇園囃子 おぎょん

谷汲踊 (岐阜県 揖斐川町) [2/25上演]

「谷汲踊」は、約800年前、源平合戦「壇ノ浦の戦い」の勝利を祝った武者踊りから始まったと伝えられています。昭和27年には、谷汲踊保存会の発足により現在の形として復活し、昭和33年に県の重要無形民俗文化財第1号に指定されました。12人の太鼓打ちが胸先に吊るした大太鼓を打ちならし、背に負った「シナイ」を豪華に揺さぶりながら踊ります。シナイは4m程の竹を細く割り裂いて広げ、扇状に束ねて作ってあり、竹の1本1本には切り紙をびっしりと巻いて、華やかな縞模様になっています。2月の豊年祈願祭のほか、春のさくらまつり、秋のもみじまつりのときに上演されています。

福田十二神楽 (福島県 新地町) [2/25上演]

「福田十二神楽」は、音楽も舞いもすべて少年が演ずるというところに神楽としての特色があります。1865年(慶応元年)前後に、宮城県丸森町から伝授されたといわれており、もとは大人たちにより演じられていましたが、当地に伝承の際、少年たちにより演じられる様になりました。神楽は12種から成り、「徐災招福」「五穀豊穣」「家内安全」「無病息災」「勧善懲悪」がこめられています。毎年5月3日と11月3日の諏訪神社の例祭において奉納されています。中でも「三本剣(つるぎ)」の太刀くぐりは特に見事であり、昔の修験の芸能の面影を残すものであるといわれています。

三重の獅子舞 (佐賀県 佐賀市) [2/25上演]

三重の獅子舞は約 600年前に、越後の国から肥前の蓮池の地に伝わったものといわれています。毎年10月19日に近い日曜日に、佐賀市の諸富町にある新北神社において奉納されています。 樹齢 1600年の楠を背に、赤・青の色鮮やかな2頭の獅子が、太鼓や笛の音にあわせて勇壮な舞を披露しています。全国各地には、梯子の上などで舞ったりする曲芸的獅子舞は数多く見られますが、二段つぎ、三段つぎに見られるような曲芸的かつ勇壮な獅子は稀であり、現在では貴重な存在といわれています。

菅窪鹿踊・剣舞 (岩手県 田野畑村) [2/25 上演]

「菅窪鹿踊」は、常陸の国(茨城県)の武甕槌ノ尊 (たけみかづちのみこと) が国造りの最中、鹿に助けられ、その報謝の為に踊った鹿島鹿踊の流れをくむものと伝えられています。その起源は、1191年(建久二年)に蝦夷に備えるため武蔵野国秩父から田野畑村入りした畠山一族が、田野畑村大芦の地に伝承したといわれています。他の地方の鹿踊が大陸から渡ってきた獅子と鹿の中間であるのに対して、菅窪のそれは、鹿頭が野生鹿を象っており、この特徴は田野畑村と四国宇和島だけとされています。 また、菅窪流は、同一の踊組が鹿踊りから早替わりして剣舞を踊るという珍しい芸態をもっています。

加賀獅子舞 (石川県 金沢市) [2/25上演]

金沢の獅子舞は、大きな獅子と武術の技を取り入れた棒振りの演技と囃子方で構成されています。豪華で大振りの獅子頭には牡丹や獣毛の模様が描かれた長大な蚊帳(麻布で作られた胴体)が着くという獅子全体の巨大性と、棒振り手が獅子を討って演技を終えること(獅子殺し)が大きな特徴といえます。その歴史は、江戸時代以前、一向一揆の民が加賀の国を治めていた頃から存在したといわれ、以来、城下の各町では町の守護として獅子頭を持ち、特に江戸時代後期には、祭りや行事があるたびに、各町が競って獅子舞を繰り出したといわれています。現在でも、多数の団体が活躍しており、「百万石まつり」はもちろん、春や秋の祭りで、その勇姿を楽しむことができます。

小園臼太鼓踊 (宮崎県 門川町) [2/26上演]

小園臼太鼓踊の起源は、およそ400年以上前、戦勝祈願や戦勝祝いの踊りとして舞われたのがその起源と伝えられています。のちに門川村小園に伝わり、現在では、五穀豊穣を祈願して、門川神社の秋祭り(11月23日)に奉納されています。踊りはトウチワ・旗などを背負い、鐘・太鼓を打ち鳴らす勇壮なもので、各所に静と動の動きが見事に表現されています。昭和30年代には一時衰退しますが、昭和49年、村の人々のきずなを示す郷土芸能として、小園地区の青年たちによって復活され、現在では小園臼太鼓踊り保存会の手によって受け継がれ奉納されています。

鷺舞 (島根県 津和野町) [2/26上演]

鷺舞は津和野の弥栄神社に伝わる古典芸能神事です。毎年祇園祭りの7月20日(ご神幸の日)、27日(ご還幸の日)に町内11ヶ所の昔から定められた場所で舞います。鷺舞は天文11年(1542年)に時の津和野城主吉見正頼(11代)が山口の祇園会から移し入れた芸能神事ですが、本元は京都の八坂神社祇園会に伝えられたもので、京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられました。戦乱の世に伴い、一時中絶しましたが、亀井氏の時代になって茲政(2代藩主)は、寛永20年(1643年)坂田兵左衛門、柴屋彦両人を京都に派して京都祇園会の鷺舞を直接習得させ、今日まで受け継がれています。

小國神社 十二段舞楽 (静岡県 森町) [2/26上演]

遠州一宮小國神社の例祭に奉納される十二段舞楽は、平安末期~鎌倉期の諸相を伝えるもので、天正18年(1590年)には、大祢宜鈴木太郎左衛門家が舞楽役となりました。以来近世を通して鈴木家が指南家を世襲し、明治以降は、これに続く氏子達によって伝承されています。稚児舞六段と太舞(ふとまい)六段から構成され、天下太平、国土安穏、五穀豊穣などの願いが込められています。舞楽の奉納は、毎年4月18日に近い土、日に行われます。また、その昔、勅使参向により舞楽が奉納されたということから、勅使行列も行われています。

雄勝法印神楽 (宮城県 石巻市) [2/26上演]

「雄勝法印神楽」は、宮城県石巻市雄勝町に室町時代から伝わる伝統芸能で、およそ600年の歴史を刻んでいます。その内容は主に「日本書紀」「古事記」の神話を基に構成され、地球の成り立ちから、日本の神々の誕生、その神々の活躍などを題材としています。現在伝わっている演目は二十八番あり、うち二十四番を舞うことが出来ます。躍動感に溢れた豪快で勇壮な中にも古風な舞を伝える一方で、アクロバティックな動きや、滑稽な所作など、見る人を楽しませる娯楽性に富んだ神楽です。

沼田祇園囃子 おぎょん (群馬県 沼田市) [2/26上演]

沼田祇園祭は、京都の八坂神社祇園祭に発しています。8月3日から5日にかけて開かれる「おぎょん」で氏神様の御神輿を迎え、附け祭として華麗に引き回される山車で優雅に奏でられるお囃子が「沼田祇園囃子」です。気品を醸した荘重典雅な趣は、祭礼を抜きにしても独立した音楽として鑑賞に充分耐え得るお囃子といえましょう。 そして、お祭に華を添えるのが「天狗みこし」です。沼田の北東部にある迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)に長く伝わる神通力の権化である天狗をみこしに仕立てたもので、大勢の若い女性たちによって担がれ、今では「おぎょん」のシンボル的存在となっています。

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