出演地域伝統芸能

盛岡さんさ踊り 熊本新町獅子舞 八木節
花輪ばやし 三作神楽 早稲谷鹿踊 長崎くんち 龍踊

盛岡さんさ踊りもりおか           おど    [岩手県・盛岡市]

さんさ踊りは、藩政時代から受け継がれてきた踊りで、地域ごとに踊りや太鼓のリズムが異なり、盆踊りとして盛んに踊られてきました。1978年からは踊りを統一した「盛岡さんさ踊り」が毎年8月1日から4日まで開催され、今ではすっかり盛岡の夏のメインイベントとして定着しています。町内、職場、学校と老若男女の様々な団体が参加して、4日間で、踊り手、笛、太鼓あわせてのべ3万5千人ほどの群衆となります。勇壮な太鼓パレードと優雅な舞いが,盛岡の夏の夜を彩ります。また、2014年には「和太鼓同時演奏の世界記録」を奪還し、再び世界一の太鼓の祭りとなりました。

熊本新町獅子舞くまもとしんまちししまい[熊本県・熊本市]

1607年熊本城築城の折、城内の町人町として新町は生まれました。そこで住民がお祝いとして奉納したのが新町獅子舞のはじまりと伝えられています。後に、江戸中期の享保年間から藤崎八旛宮の秋季大祭に奉納されてきたもので、地域の人々の尽力により、今日まで伝承されています。藤崎八旛宮例大祭では、先ず奉納諸行事の先頭を切って、「獅子の飾卸」と称する清めのお祓いがあり、ベンガラ色の社殿にのぞむ境内で「天拝」と称する神事の舞が厳かに演じられます。更に牡丹の花車を中央に引き出して、雄獅子と雌獅子が牡丹の花の回りで戯れながら「牡丹の舞」が豪華絢爛且つ勇壮に演じられます。「牡丹の舞」は、地元の役者らによってあらたな獅子舞が伝授されたことが始まりで、後に歌舞伎役者市川右団次によって手直しされ、明治期に完成し今日に至っています。

八木節やぎぶし[栃木県・足利市]


八木節の発祥は、例弊使街道の宿場『八木宿』で、江戸末期から明治初期にかけて遊女の間で歌われていた『くどき節』を、現在の栃木県足利市堀込町に住んでいた渡辺源太郎(初代堀込源太)が荷馬車を引きながら早口に唄い替えたものがそのルーツといわれています。
源太は稀な美声の持ち主で、街道沿いの人々は仕事の手を休めて聞き惚れたと伝えられています。 こうして八木節は評判となり、大正初期には、レコードが発売され、当時としては驚異的な枚数の売上げを記録。さらにはラジオ放送の効果で八木節は全国に広まることとなりました。独特のリズムテンポは特出した個性的な民謡で、今でも多くの人々に愛されています。

花輪ばやしはなわ        [秋田県・鹿角市]

花輪ばやしは、土地の守り神「産土神(うぶすな)さん」として古くから地域の信仰を集める、幸稲荷神社の祭礼において奉納される祭礼ばやしで、昭和35年から花輪神明社の祭礼が合流し現在の10町内による運行形式になった日本一の祭り囃子とも称賛される鹿角市最大の祭りです。祭りの期間の中で、8月19日・20日は、絢爛豪華な十の屋台が集合し、二日間に渡り競演を繰り広げます。地元の人はもちろん観光客も訪れて、華やかな賑わいを見せます。平成26年3月に「花輪祭の屋台行事」として国の重要無形民俗文化財に指定。平成28年11月に「山・鉾・屋台行事」のうちの一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

三作神楽みつくりかぐら[山口県・周南市]

三作神楽は、和田三作地区(林・原赤・中村の三自治会を合わせて三作という)に古くから伝承され、7年目ごと(卯年・酉年)の式年祭で地元河内社に奉納されている神楽舞。その起源については定かではありませんが、大宝年間(701〜703年)に飢饉と疫病にみまわれた際に、河内社に五穀豊穣と疫病退散を祈願したところ、村に平和が訪れたため、そのお礼に三村落総出で神楽を奉納するようになったのが始まりと伝えられています。神殿を設け、神迎えをして23の神楽舞を奉納するこの神楽は、神祭りの古風な形をとどめ、中世の華やかな芸能を取り入れて祭りの興奮を高めています。国指定重要無形民俗文化財。

早稲谷鹿踊わせやししおどり[宮城県・気仙沼市]

気仙沼市早稲谷地区に伝わる8頭の鹿踊りです。記録には1827年 (文政10年)、東磐井郡大原山口(現岩手県一関市大東町)の喜左衛門よりこの地に伝承されたものといわれています。毎年旧暦6月24日の前後に、地区内にある「甘酒地蔵尊」の祭典に奉納されています。災厄や疫病をはらう魔除けの踊りといわれていますが、本来は祖先の霊を供養する念仏踊りです。背中に竹を削って結束した4メートル以上のササラを立て、腰太鼓をさげ、唄いながら勇壮に踊ります。この太鼓のリズムは躍動的で、早稲谷鹿踊独特のものといわれています。宮城県指定無形民俗文化財。

長崎くんち 龍踊ながさき          じゃおどり[長崎県・長崎市]

龍踊は、日本三大祭の一つとして全国的に有名な諏訪神社の大祭「長崎くんち」の奉納踊(国指定重要無形民俗文化財)の一つで、勇壮な伝統芸能として広く知られています。龍踊は、中国で五穀豊穣を祈る雨乞い神事に始まったものといわれており、唐人屋敷と密接な関係にあった当時の本籠町の町民が唐人達の指導をうけ、三百余年の間に踊り方が非常に巧みになり、日本独特の巧妙な演技を見せるに至りました。長さ20mの龍体が唐服を着た玉使いが操る玉を追って独特な唐楽拍子に合わせて、まるで生きているかのように舞う様は実に壮観です。

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