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    1日目[2/22]: 熊襲踊佐陀神能上羽太天道念仏踊り仙台すずめ踊り鹿野山のはしご獅子舞

    2日目[2/23]: 小倉祇園太鼓蹴鞠おらんだ楽隊阿波人形浄瑠璃西嶋神楽布団太鼓台

    熊襲踊 (宮崎県 都城市)  [2/22上演]

    熊襲踊は、太鼓を使用せず竹で編まれたバラ太鼓を使用することから、「バラ太鼓踊り」とも呼ばれ、賑やかかつユーモラスな動きは日本の民俗芸能の中でも特異なものとされています。ズベ、ミツベ、イツツベ、コヤシベ、フセベ、カヤシベの6つの踊りで構成されており、頭に棕櫚皮(しゅろかわ)作りの髷を冠る鉦組4人を中輪とし、「高い丘居ら熊襲じゃないか  鬼か鬼人か化け物か」などと唄います。終盤のカヤシベではバラ太鼓組が走りながらバラを叩き、次々と折り重なりながら倒れて行く場面があり、ユーモラスなしぐさや乱舞が特徴的です。

    佐陀神能 (島根県 松江市) [2/22上演]

    毎年 9月24日の夜、佐太神社で行われる御座替(ござかえ)祭と翌25日に奉納される神楽で、七座神事の舞、式三番、神能の3部で構成されています。3部のうち、神能はその構成がシテ、ワキ、ツレ、トモなどの役立ちになり、台詞の間を謡(うたい)でつなぎ、お囃子として笛、小鼓、大鼓、太鼓を主とした全くの能形式をとっており、出雲神楽だけでなく他の里神楽にも影響を与えたと言われています。佐陀神能は年とともに知名度も高まり、昭和51(1976)年5月には国の重要無形民俗文化財に指定され、平成23(2011)年11月にはユネスコの無形文化遺産へ登録されました。

    上羽太天道念仏踊り (福島県 西郷村) [2/22上演]

    太陽に豊作を祈る天道念仏踊りの一つで、踊りの場に太陽と三日月をかたどった飾りを掲げ、念仏を含む歌に合わせて踊ります。踊りは、太鼓を叩きながら上げ念仏を歌う歌い手2・3名と、下げ念仏を唱えながら踊る十数名からなり、注連縄内で籾殻を敷いた上で素足で踊ります。踊りは7種類あり、神祀りに始まり、地起こし、種子まきから収穫まで一連の農耕生活を表現しています。上羽太天道念仏踊りは、関東中心に伝承が確認される天道念仏のなかで、芸能を中心とした伝承の一つとして貴重なもので、芸能の変遷および地域的特色を示しています。

    仙台すずめ踊り (宮城県 仙台市) [2/22 上演]

    慶長8(1603)年、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から移り住んだ石工たちが即興で披露した踊りが起源と言われています。小気味よいテンポ、躍動的あふれる身振り、跳ね踊る様子が雀の姿に似ていることと、伊達家の家紋「竹に雀」にちなんで 「すずめ踊り」と呼ばれるようになりました。戦後には次第に継承者を失いましたが、仙台・青葉まつりでコンテストを開催したり、学校をはじめ各地で講習会を行うなど伝承・普及に力を注ぎ、市民に広く踊られています。青葉まつりでは、のべ5000名がすずめ踊りに参加しています。

    鹿野山のはしご獅子舞 (千葉県 君津市) [2/22上演]

    毎年4月28日の祭礼で、九十九谷を一望する白鳥神社前の広場において奉納されています。今からおよそ500年前の永正元(1504)年、名僧弘範上人が真言密教を布教するために霊地鹿野山を訪れた際、上人の徳を慕って移り住んだ木こりたちが故郷の奥高野をしのび、獅子に託して舞ったのがはしご獅子舞の始まりであると伝えられています。高さ約10mの梯子の上で、高野山に住む牡獅子を慕う牝獅子が舞う姿はスリルと迫力があり、頂上では獅子が片足になる「てんぐるま」や梯子を降りながら「しゃちほこだち」「はらわたり」「でんぐり」が行われます。

    小倉祇園太鼓 (福岡県 北九州市) [2/23上演]

    祇園祭は平安時代、夏になると流行する悪疫を悪霊の仕業と考え、この悪霊を慰め退散させることを神に祈ったことが発祥です。祭は「小倉のおぎおんさん」とも呼ばれ、鉦・鼓・笛を用いた「能」の形式であったという記録があります。明治以降、祭りは次第に変化し、山鉾に追従した山車や踊り屋台が今日の山車になりました。「ヤッサヤレヤレ」と山車綱を曳く子どもたちのお囃子、ヂャンガラ(摺り鉦)の音、ドロ・カンと呼ばれる太鼓が一つの塊となります。ゆったりと移動しながらの両面歩行打ちこそ、全国に類のない小倉祇園太鼓の魅力なのです。

    蹴鞠 (京都府 京都市) [2/23上演]

    約1400年前、中国から伝わったとされる蹴鞠は、平安時代に貴族が愛好するスポーツとして普及しました。明治維新後に一度は廃れたものの、明治40(1907)年に蹴鞠保存会が設立されて以来、京都市左京区の世界遺産・神社での奉納行事をはじめ、各所で受け継がれています。蹴鞠を行う「鞠庭」(12.6m四方)には6.6m四方の隅々に青竹が立てられ、鮮やかな色の鞠水干、葛袴、烏帽子を身に付けた鞠足らが入庭すると、長老が松の枝から鞠を解き放ち、8人1組で蹴鞠が始まります。鹿革で作られた鞠は、直径20㎝、重さ100g、相手が受けやすい鞠を蹴ることが"蹴鞠の道"とされています。

    おらんだ楽隊(千葉県 香取市) [2/23上演]

    香取市扇島地区に伝承される囃子です。香取神宮で毎年執り行われる4月14・15日の神幸祭と11月30日の大饗祭、12年ごとの午年に行われる式年神幸祭で演奏されます。幕末から明治初年に伝わった洋楽の要素を、古来からの囃子に巧みにとりいれた囃子です。浅葱の小手袖に矢羽模様のぶっさき袴、丸に扇の白紋を打った緋色の陣羽織という風流ないでたちで、笛、大太鼓、小太鼓で「ナミアシ」「ハヤアシ」「カケアシ」「ガイセン」のテンポの異なる曲を演奏しながら行進します。先頭の大太鼓が囃しながら踊るのが特徴のひとつです。

    阿波人形浄瑠璃 (徳島県 徳島市) [2/23上演]

    江戸時代に淡路島が徳島藩の所領になり、当時淡路島で盛んだった人形浄瑠璃が徳島に伝えられて以来、400年の歴史と伝統を持ち、平成11(1999)年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、三人遣いの人形の三者によって演じられる人形芝居で、徳島県が全国に誇る伝統芸能として現在まで受け継がれています。徳島では小屋掛けの仮設舞台や常設の農村舞台など、屋外での公演がほとんどであったため、文楽より大きな光沢のある塗りの人形を使い、観客にアピールするため前方に突きだし、大きな振りで演じられます。

    西嶋神楽 (山梨県 身延町) [2/23上演]

    西嶋神楽は、天正年間武田氏滅亡の頃、戦禍と水害等で悲歎にくれる人の心を神楽によって奮い立たせ、霊を鎮めようと鎮守の神主たちの手で始められたのが起源と言われています。出雲神楽の流れを汲み、天の岩戸をはじめ、記紀神話にもとづいて筋立てしたものが多いのが特徴で、6つの集団舞と御反閉など16の個人舞、笛・太鼓による20曲のお囃子を伝えています。また、少年神楽団による神楽囃子や、「巫女の舞(扇の舞・太刀の舞など)」があり、毎年諏訪社及び若宮社の祭礼と天照大神の祭礼に奉納しています。

    布団太鼓台 (大阪府 東大阪市) [2/23上演]

    毎年 10月14・15日、河内国一の宮として知られる枚岡神社では布団太鼓台が勇ましく宮入りします。枚岡秋郷祭は秋の収穫を神に感謝して太鼓台を奉納する大阪の代表的な祭であり、9地区23台の布団太鼓台が宮入りします。河内地方には江戸時代中期頃にだんじりが登場し、明治に入り神賑行事の中心が布団太鼓台に変化していきました。太鼓台一台の重さは大きいもので約1.5tもあり、約40名で担ぎます。枚岡神社は生駒山の裾野の高台に鎮座し、太鼓台は麓の一の鳥居から急な坂道を登り奉納され、夜間は参道で担ぎ合わせが行われます。その勇壮さは見る者を魅了して止みません。

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