出演地域伝統芸能

野田のつく舞 鬼太鼓 津野山神楽
中野獅子舞 鬼剣舞 伊作太鼓踊 石見神楽

野田のつく舞のだ         まい[千葉県・野田市]

「野田のつく舞」は、7月中旬に行われる、野田市野田の三ヶ町夏まつり(上町、仲町、下町)の中日に演じられる民俗芸能で、水神信仰にもとづく雨乞の神事といわれています。先端に一斗樽をかぶせた、高さ14.5メートルの白木綿で巻かれた柱を立てて、「ジュウジロウサン」と呼ばれる白装束に雨蛙の面を被った演者が、柱や樽の上、柱から張った綱の上などで妙技を披露します。平成5年に千葉県の『無形民俗文化財』に指定され、平成11年には国の『選択無形民俗文化財』となりました。

鬼太鼓おんでこ[新潟県・佐渡市]

江戸時代初めに始まったとされる鬼太鼓は、悪魔を払い、商売繁盛、五穀豊穣を祈って神社の祭礼に奉納される佐渡独自の伝統芸能です。佐渡島内には120を超える各集落で、それぞれ独特の様式で伝承されています。能の舞にルーツを持ち、面は能面のシカミ面とベシミ面を使用し、洗練された太鼓と独特の振り付け、そして獅子が加わるのが特徴です。毎年4月15日の神社の祭礼に、五穀豊穣を祈って神社に奉納するほか、集落内約150軒、一軒一軒を早朝から深夜まで悪魔を払い、家内安全を祈って巡ります。

津野山神楽つのやまかぐら[高知県・梼原町]


津野山神楽は、延喜13年(913年)藤原経高が津野山郷に入国した際、伊豆の国より三島神社を勧請し守護神として祀られたときから、代々の神職によって歌い舞い継がれたものと伝えられています。神楽習得者の減少により一時衰退しますが、その後神楽復興の気運が起こり、村内各地から選ばれた青年らにより伝承されることになりました。神楽は18の節からなり、リズミカルな囃子に合わせて舞われる優美荘重さが魅力です。昭和55年1月、土佐の神楽の一つとして、国の重要無形民俗文化財に指定されました。

中野獅子舞なかのししまい[兵庫県・姫路市]

中野獅子舞は、姫路市船津町中野地区に古くから伝わる奉納神事で、記録によると安土桃山時代から行っています。雄・雌二頭が勇壮に、しなやかに乱舞する獅子舞全11曲が今に伝承されています。中でも最後に演じられる「梯子」は、天上に雨乞いを祈願する舞で、三間の梯子2本(高さ約5メートル)を組み合わせて舞われます。雄獅子が宮参りの舞を行い、猿とひょっとこに釣られて梯子を登っていき、頂上に昇ると周囲を睥睨して、釣り子と共に軽業を演じます。そして梯子を下っていくところも雄獅子の技の見せどころです。

鬼剣舞おにけんばい[岩手県・北上市]

鬼剣舞は、北上市とその周辺に伝わる民俗芸能で、盆の精霊供養のために踊る風流念仏踊りの一種です。威嚇的な鬼のような面(仏の化身)をつけ、勇壮に踊るところから『鬼剣舞』と呼ばれ親しまれています。その由来は、大宝年間(701~704年)に天下泰平を願い念仏を広めるために踊ったのが始まりとも、大同年間(806~810年)に大日如来の化身から悪霊退散・衆生済度の念仏踊りとして伝えられたのが始まりともいわれています。太刀や扇を使いながら毛ザイ(頭部)を激しく振り、大地を踏みしめながら華麗に踊ります。

伊作太鼓踊いざくたいこおどり[鹿児島県・日置市]

伊作太鼓踊の由来には諸説あり、一説には、応永13(1406)年、伊作島津氏4代当主の久義が、田布施の二階堂氏を降伏させた際に考案された戦勝の踊りと伝えられています。矢旗を背負って勇壮に踊るのが「平打ち」で、竹を編んだ2メートルほどの矢旗を高く掲げ、薩摩鶏の羽を背負い、胸に太鼓をつけて踊ります。平打ちの輪の中で踊る「中打ち」は、華やかで可愛らしい姿の子供たちが鉦や小太鼓を鳴らします。太鼓の音で稲の害虫を追い払う「虫送り」の意味や、豊作祈願の踊りとも伝えられています。鹿児島県無形民俗文化財。

石見神楽いわみかぐら[島根県・浜田市]

島根県西部に位置する浜田市を中心とした石見地方で伝承されているのが「石見神楽」です。約500年前までには現在の原形が成立し、今日では例祭への奉納や各種催事、祝事の場での披露など、活動は多岐にわたります。演目は30種類以上にのぼり、速いテンポで豪華絢爛な衣裳を身に纏って演舞する姿は、多くの観客を魅了します。地域の物語などを神楽化した社中ごとの創作神楽や、舞台演出を凝らしたステージ神楽も台頭しており、伝統芸能としては希な広がりを見せてきているのも石見神楽の特徴です。

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