一般社団法人 地域創造

開館5周年ホール特集

 地域創造は、今年9月30日に創立5周年を迎えます。そこで、10月号では地域創造と同じ年にオープンし、今年同じく5周年を迎えるホールの特集を企画しました。5年間で特に印象に残っているエピソードについて、アンケートを実施したところ、たくさんのご回答をいただきました。失敗談、感動、意外なエピソードなど、各館の5年間の「忘れられないあの場面」をご紹介します。アンケートにご協力いただいたホールの皆様、どうもありがとうございました。

 

●5年過ぎたが、まだまだ先は長い─アクトシティ浜松

 

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 1994年の10月にオープンしたアクトシティ浜松は、今年で5周年を迎えます。浜松市が「音楽のまちづくり」事業を進めているなかで、この施設はその事業の推進拠点として運営されています。また、アクトシティの大ホールは、4面舞台を備えた本格的なオペラハウスの機能を持ち、創作オペラをはじめ市民フェスティバルの企画作品が上演されてきました。オープン記念コンサートの「マゼール指揮 バイエルン放送交響楽団 第九」が開催されてから5年も経つと考えると、とても時間の流れを速く感じます。出演する地元合唱団の練習のため、公民館・科学館などを荷物を持って走ったこと、そしてマゼールのタクトでわき起こった多くの拍手は忘れられません。5年間、このホールが地域に与えてきた役割は正しかったのかと問いただされると、自信を持って「Yes」と答えることはできませんが、いくつかの成果は出せてきたと思います。地域の方が今まで目にすることや体験する機会が少なかったオペラやバレエなどの舞台芸術と、それぞれの接し方で触れ合うことによって、生活文化スタイルが変化してきたと思います。チケット発売日を楽しみにし、公演日を待ち遠しく思い、自分たちなりのおしゃれで公演を見に来るというスタイルが根付いて、はじめて芸術を吸収する土壌ができあがると思います。そういう意味では、浜松の生活文化スタイルも受け身ではなく、自分たちが楽しむアイテムのひとつとして舞台芸術を選択することができるようになってきました。必然的に、文化レベルが上がってくるとお客様の指摘が鋭くなってきます。自分たちの企画内容の意図に対し、お客様の望むものがずれてしまうことも多くあります。企画する側と、それを楽しむ側との間の隙間は、永遠のテーマだと思います。自己満足の企画内容は、押し売りの舞台芸術になる危険性を含んでいるため、アンケート等を利用し、なるべく見る側の立場に立っての企画が必要と実感しています。両者の隙間が無くなるのは、よく言われる「芸術振興は100年単位の努力」が必要かもしれません。5/100を過ぎた段階で、ほんの少しだけ本質が分かった気がします。

(財)アクトシティ浜松運営財団 後藤康志

 

◎1994年10月開場
大ホール(2336席)、中ホール(1030席)、会議室、展示イベントホール、研修交流センターなどを持つ、コンベンション施設と大型文化施設の複合開発。

 

●オープニングの熱狂体験は貴重な財産─彩の国さいたま芸術劇場

 

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  1994年10月のオープン以来、舞踊、演劇、コンサート、映像、レクチャー、シンポジウムなど、様々なジャンルの公演に携わってきました。この機会に数えてみましたら、その数は自分が直接担当したものだけで195、劇場全体では950近くに及びます。この「多彩性」が、大ホール、音楽ホール、小ホール、映像ホールという4つの専用ホールをもつ当劇場の特色のひとつです。もうひとつの特色は、「創造性」。単に出来合いの作品をとりあげるのではなく、演出家の蜷川幸雄さんを芸術監督に迎えシェイクスピアの戯曲全37本の上演を目指す「彩の国シェイクスピア・シリーズ」や、当劇場が共同製作者として参加した、カナダのダンス・カンパニー、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの新作世界初演、10年間で100名のピアニストを紹介する「ピアニスト100・シリーズ」など、オリジナルで創造的な事業を展開してきました。これらの活動の結果、この5年間で、国内外で高く評価される劇場になったのではないでしょうか。最近では、ぜひこの劇場で公演を行いたいという海外からの売り込みも増えています。これらの自主事業はすべて、諸井誠芸術総監督の強力なリーダーシップのもと、企画・実行されています。こんなことが本当に可能なのだろうか、と時には思えるような企画の実現に向けて、諸井芸術総監督の指導のもと自己の非力を痛感しつつ努力するという5年間でした。個人的には、オープニング前後の混沌とした熱狂状態を経験できたことが、貴重な財産だと考えています。この時の経験には、今後仕事をしていくうえでの可能性の核のようなものが含まれているように思います。

彩の国さいたま芸術劇場事業課 小島信之

 

◎1994年10月開場
大ホール(776席)、音楽ホール(604席)、小ホール(可動式最大346席)、映像ホール、練習室、工房などを持つ大型複合文化施設。

 

データの見方 所在地、オープン月、ホール名、5年間を振り返ってのエピソードの順に紹介してあります。★は、5周年記念事業です。

 

●北海道朝日町 94年9月

 

朝日町サンライズホール

 

◎アルバンベルク弦楽四重奏団(97年5月23日)
クラシックファン皆無のこの町で、ようやくクラシックコンサートが満員になった。

 

◎ロシア・サンクトペテルブルク
バレエ『白鳥の湖(全幕)』(97年9月30日) 舞台のサイズから無理をおして公演したバレエ。ダンサーは踊りにくそうだった。

 

◎某クラシックコンサート
終演後ロビーに若い女性が1人。東京から来たと言う。ホテル、コンビニ、JRなどの全くないこの町で宿泊も移動もできず途方にくれていた。あわてて既に出発した出演者送迎用バスを呼び戻し、出演者と同じホテルを確保して送り出した。こんなことが1年に1度はある。こんな不便なところだとは思わなかった都会人の好例。

 

◎山本晋也講演会(98年1月15日)
雪のため飛行機が飛ばず帰京できない。深夜のTV放送は札幌のTV局からの出演。だけど本番中に3回も町の宣伝をしてくれた(係長 漢幸雄)。

 

●山形県川西町 94年8月

 

川西町フレンドリープラザ

 

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◎1998年5月に開催したロビーイベント「異種朗読格闘技戦」。詩のボクシングからヒントを得て、詩はもちろん、小説、法律文などの文字媒体を即興演奏に合わせ、朗読を競うパフォーマンス・バトルを企画した。県内のテレビ局、新聞全社が取り上げてくれ、大盛況。隣の福島県の現職県議会議員まで参加して下さった。表現したいという欲求が潜在的にあるということ、自由に表現できる場があれば楽しい祝祭空間になりうることを教えられた。5周年記念事業の協賛イベントとして、12月に再び開催する計画だ(係長 栗田政弘)。

 

★「プラザ演劇祭'99」プロ6作品、アマ6劇団が参加。協賛イベントも3つ。(99年8月~2000年3月)。

 

●福島県会津若松市 94年6月

 

會津風雅堂

 

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◎2年目に中国雑技団公演を開催した時のこと。市の公共施設に宿泊することになり、使用する名目として交流会を催しました。人を集めさえすれば、仕切は全て公演団体側が行う予定だったのですが、担当者が都合で来れなくなり、誰も段取りを知らず、急遽形式的でつまらない集いになってしまいました。相手側に全て任せるのは危険だと初めて思いました(それまで担当したものは大丈夫だったので)。公演自体は大盛況でした(企画事業係主事 大竹一弘)。

 

★第2回会津若松市民参加のてづくり舞台「虹 の譜(にじのうた)~板東の会津人松江豊寿」。スタッフ、キャストは全て公募。(10月30日、31日)

 

●群馬県藤岡市 95年2月

 

群馬県みかぼみらい館

 

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◎ラーメン祭りとみかぼ寄席(97年6月1日)。林家木久蔵さんが出演した97年のみかぼ寄席では、「ラーメンの町」藤岡の「ラーメン祭り」と組み合わせて、食事券付きの入場券を販売。入場者全員と出演者にラーメンを提供しました。地元ラーメン屋主人有志による「ラーメン会」が「全部無料でいいよ」と、大盤ぶるまい。道具一式を店から運び、どんぶりで出す本格ラーメンで、大好評でした(事業係 田口宣雄)。

 

★「ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ歌劇場公演」(2000年2月5日)

 

★トトロと井上あずみのファミリーコンサート」市民無料招待(2000年2月6日)

 

●新潟県佐和田町 94年11月

 

佐渡中央文化会館(アミューズメント佐渡)

 

◎96年スタートした「さどぷれぜんつ」。
和太鼓集団「鼓童」と会館の共同企画で、鼓童の人脈によりゲストを呼び、佐渡でしか見ることができない公演を毎年春に開催しています。会館職員のレベルアップにもつながっています(菊田和人)。

 

★「ワンステップ・トゥー・ミュージカル」
宝田明主演のミュージカル。地元アミューズメント合唱団出演の住民参加型の公演(10月24日)。

 

●福井県宮崎村 94年5月

 

越前陶芸村文化交流会館

 

◎94年8月に実施したケチャ公演。バリ島の150人位が、小学校体育館に泊まり、プールをシャワーがわりにしていた事、覚えてます。出演者の中の1人がけがをして病院に運んだ事、なかなか大変でした(宮崎村商工観光課課長補佐 橋本直視)。

 

●岐阜県上石津町 94年5月

 

日本昭和音楽村 江口夜詩記念館音楽ホール

 

◎0年目11月まで「音楽村大変そうやなー」役場別セクションから高見の見物。
11月から「急にそんなこと任されても・・・。工事と備品と、パンフとオープニングイベントと・・・1日24時間では時間が足りない!」
1年目「はじまった!冷房がきかない?あれがない、これはどこ?いつまで続くオープニングイベント。レストランの建設?カヌーの開業?4級船舶免許を取れ??」
2年目「いらっしゃいませ。Bコースですね。このワインはイタリア南部です...」。経営?文化事業?生涯学習?
3年目「コテージのお客様もうチェックイン?シーツがまだセットしてない!」「現代美術って何?」
4年目「素人ばかりでオペレッタ?できるかなー。できたじゃん」
5年目「中学生から70歳まで町民100人のメサイア大合唱?できるかなー。できたじゃん。」
6年目「今年からが勝負?!しかし予算こんなに削られた」(事業担当 辻下尚毅)。

 

★「東西うたの広場『よし、歌にしよう!』(仮)」200人以上の大合唱団による「21世紀を迎える上石津町祝祭合唱」ほか(2000年10月7日~22日)。
*日本昭和音楽村~13000m2の敷地の中に宿泊施設とFN音楽館、江口夜詩記念館(ホール)、レストランがあり、カヌー体験もできる。

 

●滋賀県安土町 94年5月

 

文芸セミナリヨ

 

◎98年6月6日開催の「古楽器の世界」。
コレギウム・ムジウム・テレマンを招聘しての古楽器によるコンサート。同日同時刻に同じ敷地内で行われた野外コンサートの音がホール内にもれてクラシックとロックの音楽が入り乱れ、最悪でした。(松浦純子)

 

★オルガン完成5周年記念企画「マンダー社推薦のオルガニストたち」全3回(10月31日、11月21日、2000年2月20日)。

 

●島根県浜田市 94年4月

 

石央文化ホール

 

◎96年12月11日に「アルフィー」のコンサートを開催しました。そのチケット発売日の1週間前から、チケット購入のために若い女性たちが数人ずつ並び始め、ホールの近くに段ボール箱を敷いて寝泊まりするように・・・。こちらも心配になり、夜間警備を依頼。町中では、若い女性のホームレスが何人もいるという噂が流れました(事業担当 寺本清寿)。

 

●福岡県筑後市 95年3月

 

サザンクス筑後

 

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◎当初オープニング記念コンサートとして、地元出身の指揮者熊谷弘氏と“第九”を企画していたが、単なるコンサートでは・・・と思い、第九の前にオリジナルの合唱曲(演奏時間10分程度)を制作しようということになり、作詞を地元出身の川崎洋氏に依頼。10分程度の曲で、全国でも歌われるように“筑後”の名は含まれなくて良いが、筑後の雰囲気が出るものを、と頼んだ。ところが出来上がった詞は4部作から成る“いのちの祝祭”。第九どころではない。作曲を菅野由弘氏に依頼。ピアノ曲とオーケストラ曲による実に35分位の大曲となった。これでオープニングの企画は変更。オープニング記念コンサートは、熊谷弘指揮、東京混声合唱団(ピアノ伴奏)で、そして1年がかりで合唱団を公募、練習し、1周年記念として熊谷弘指揮、九州交響楽団、東京混声合唱団と歌う会でを披露した。5周年記念では、オープニングで予定していた第九がようやく演奏される(事務局長 黒田洋一)。

 

★「開館5周年記念演奏会 第九と皇帝」(2000年3月19日)
[指揮]熊谷弘、[管弦楽]九州交響楽団、[ピアノ]今井顕、[出演]日下部裕子(ソプラノ)伊藤英二(テノール)東京混声合唱団、サザンクス第九を歌う会(公募)ほか

 

●大分県別府市 95年3月

 

ビーコンプラザ

 

◎柿落としには、宝塚歌劇団のステージを間近で存分に味わう事が出来ました。団員1人1人が心と魂を込めてビーコンのために力を尽くして下さった姿は華やかでまさしく柿落とし事業にふさわしいものでした。

 

 又、オープン以来3年間にわたり開催された世界のアルゲリッチ女史による音楽祭は、県・市をはじめ地域のサポーター、他様々な方々のつながりや、皆様の熱意により支えられ、地方から全国、世界に向けて豊かで濃密な情報を発信できたと自負しております。

 

 スタッフ一同が、やる気や、感動を持つとき、その劇場が活き活きする事を身をもって感じました。この提供する側の持つべき姿勢というものを常に思いにとめ今後の運営に携わっていきたいと考えています(総務課 倉永裕枝)。

 

●沖縄県佐敷町 94年6月

 

佐敷町文化センター(シュガーホール)

 

◎「金をかけずに一流のアーティストを直に招く」なんと素晴らしい響きでしょう。これは企画担当者の目指すところであります。我がホールでも何回かやっておりますが、あの事件だけはいい教訓です。1995年、ロスから1通の手紙がホールに届きました。「素晴らしいピアニストがいるから是非呼んで下さい」という内容である。その名は、コンスタンチン・シルニアンおじさん。早速資料を検討、芸術監督のゴーサインで招くことが決定した。外国から招くということは、入国ビザの手続きもホール側でやらねばならない。初めての経験だけど自由の国アメリカからの招へいだから手続き期間も十分であると判断した。

 

 だが状況が一転、なんと彼がアメリカに住んでいても国籍はロシア人だということが判明、旧ソ連、社会主義国の人だったのである。外務省の旧ソ連担当は手強い。審査に最低3ヶ月はかかるとのこと。チョーやばい。それからのスタッフの動きはご想像におまかせします。ほんと大変でした。そのときはじめて、音楽事務所のありがたさが身にしみたものです。でも、空港に降り立った「でかい身体と愛くるしい笑顔」を見た瞬間、本当に嬉しくてみんなで喜びあったものです。同時に、幸か不幸かこれまでの苦労をすべて忘れ、懲りもせずに今年はパキスタンから呼んでしまいました(生涯学習課 宮城光也)。

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