一般社団法人 地域創造

福岡市 福岡アジア映画祭2001

 「地元に映画祭運営のソフトを残したいんですよ」
 今年で15回目となった「福岡アジア映画祭」のディレクター、前田秀一郎さんはインタビューの間に何度かこう繰り返した。

 

 

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会場の模様(あじびホール)

 福岡の夏を彩る祇園山笠の直前、7月第1週、第2週の週末を使って開催されているのがこの「福岡アジア映画祭」である。今年は7月7日から行われ、実行委員会が選考したアジアおよびアジア系アメリカ人の作家による劇映画、ドキュメンタリー、短編映画など8カ国16本が上映された(日本映画以外すべて日本初上映)。

 この映画祭がユニークなのは、前田さんら14名の実行委員はじめ、映画祭宣伝、上映作品の日本語字幕制作、パンフレット制作、翻訳・通訳などを担う映画祭の運営スタッフ総勢150人がすべてボランティアだという点。

 世界には最低でも200を超える国際映画祭があるが、それらはほとんど地元の自治体やメディア産業を中心とした企業のサポートを受けて実施されているものばかり。オリジナルのプログラムを持ち(つまり、自国内で手に入る作品だけではなく、映画祭のために独自に海外からフィルムを輸入し)、海外からゲストを招待している映画祭で、完全に市民のボランティアによって運営されているのはここだけだ。

 この映画祭はもともと福岡で自主上映活動を行っていたメンバーが中心となり、87年に立ち上げたもの。徐々に地元の新聞社や福岡市の協力が得られるようになっていったが、福岡市が映画祭をアジア文化・産業のセンターとして市をアピールするイベントと考え始めたことで両者の思いは微妙にずれていった。市はシティセールスとして新しいアジア映画祭の開催を決定し、その運営を東京の専門家に委託する。

 それ以降、福岡には2つのアジア映画祭が存在することになった。では、なぜ、前田さんたちはボランティアという方法を採ってまでも映画祭を続けてきたのだろうか。ひとつは、地元の人間でも国際映画祭を実行できることを証明したかったから、もうひとつはそれまで培ってきたアジア各地のつくり手や映画祭関係者とのネットワークをゼロにしたくなかったから、と言う。当初、福岡には映画祭運営のノウハウは全くと言っていいほどなかった。字幕の翻訳と制作、プリントの輸入には東京の専門業者の手を借りた。しかし、現在ではこれらの作業も地元で行っており、コストも時間も大幅に節約できるようになったと言う。

 また、インターネットの普及も映画祭の自主運営にとって追い風となった。映画祭と世界各地のつくり手を結ぶのにインターネットの威力は大きい。前田さんは上映作品を探して、毎年、香港、プサン、シンガポールなどの映画祭を回って300本くらいのアジア映画を見るが、それ以外にもインターネットを通して150本ほどの応募があるという。98年のアカデミー賞を受賞した日系アメリカ人監督、クリス・タシマの『ビザと美徳』などもこうして応募された1本である。

 映画祭の予算は450万円から500万円程度。約半分をチケット売上で、残り半分をパンフレットへの協賛広告料と全国各地からの募金「福岡アジア映画基金」で賄う。赤字が出たら実行委員会メンバーの負担となる。しかし、この映画祭で上映された『ビザと美徳』が話題となり、各地から上映希望が寄せられたことで新しい可能性が開かれることになった。

 現在、この作品は福岡アジア映画祭実行委員会によって日本での配給がなされており、短編映画は日本では商業的な公開が困難なため、この結果は映画製作者にとって大きなメリットとなった。同時に映画祭としても上演作品の配給で経済的基盤を確立できるターニングポイントが訪れる。ただ、当たるとは限らない上に、日本配給を狙って上映作品を決めたのでは、映画祭のプログラムづくりをゆがめることにもなりかねない。今のところ次作の配給は未定とのことだった。

西村隆(映画プロデューサー)

 

●福岡アジア映画祭2001

[主催]福岡アジア映画祭実行委員会
[日程]2001年7月7日~15日
[会場]NTT夢天神ホール、福岡アジア美術館・あじびホール
[上映作品]
『ハル(一日)』(韓国/2001年)、『イル・マーレ/時を越える愛』(韓国/2000年)、『ミラー・イメージ』(台湾/2001年)、『検死官コップス』(香港/2000年)、『スピニング・ガシン』(マレーシア/2000年)ほか

 

地域創造レター 今月のレポート
2001年8月号--No.76

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