一般社団法人 地域創造

ステージラボ・アートミュージアムラボ三重セッション報告

多彩なアーティストが揃った充実のプログラム

 今回のステージラボは、2月21日から24日まで、三重県総合文化センターで行われました。この施設は、2004年10月にいち早く指定管理者制度を導入したほか、県派遣職員の削減、公募型年俸契約職員の採用など、積極的な運営改革で注目を集めています。

 62,224m2の広大な敷地には、三重県文化会館のほか、生涯学習センター、男女共同参画センター、県立図書館の4施設が設置されています。今回のラボでは、生涯学習センターのLLコンピュータ室を利用した企画書作成、男女共同参画センターの茶室を利用したワークショップ、生活工房の調理室を利用した各地域の名産持ち寄りランチなどが行われ、複合型文化施設の特性を存分に活かした内容となりました。共催者として全面協力をいただきました三重県文化会館のスタッフの皆様には心よりお礼申し上げます。

 

●アーティストの協力で多彩な成果

ホール入門コースでは「楽しく学ぼう!」をテーマに、演劇やダンスのワークショップなど幅広いプログラムが実施されました。なかでも6時間に及んだイデビアン・クルーの井手茂太さんによるコンテンポラリーダンス・ワークショップでは、訓練されていない身体から出てくるぎこちない動きが、笑いを誘うダンスになる楽しさを満喫しました。また、市民(NPO)との連携をテーマにした講座では、全国をリードする地域づくりの実践者の熱い話に大いに刺激されました。

  後半は「指定管理者制度に勝ち残るには」と題し、多治見市文化振興事業団の取り組みについて、菱川浩二さんから実際の作業を詳細に紹介していただきました。また、公立ホールの職員出身で、現在は民間として指定管理者に名乗りを上げている(株)ケイミックスで活躍する杉山倫啓さんにも問題提起をしていただきました。「職員一人ひとりの意識改革が最重要」という講師の言葉を受けた参加者は、最終ゼミで「地域の資源」「人財としての職員」「他館とのネットワーク」というキーワードに注目した企画案を発表しました。

 音楽コースのテーマは「舞台の匠」。三重県文化会館の館長であり、日本でただ一人の金管楽器のマイスターである梶吉宏さんなど、さまざまな音楽の“匠”たちから、ワークショップや座学などを通じて、技の奥深さや仕事に対する姿勢を学びました。後半では、講師の皆さんからいただいたヒントをもとに、アーティストと共にコンサートづくりを体験。おんかつ登録アーティストの大森智子さんのチームは、地味なコンビニ店員・ゆうじの恋愛模様を綴ったブログに絡めて、『愛の歌』(フォーレ)、『ジュ・トゥ・ヴ』(サティ)など、愛にまつわる名曲を紹介。お客さんが身近にクラシック音楽を楽しめる企画で、他コースの参加者から大きな拍手が贈られました。

 演劇コースでは、参加者全員が役者デビューを果たし、「創るということ」に挑戦しました。プログラム前半は、三重県出身で劇団太陽族主宰の岩崎正裕さん、作曲家・橋本剛さんを講師に迎え、ピアノ伴奏を使ったワークショップを実施。最後には、岩崎さんが今回のラボ会場である三重県文化会館で演出した県民参加劇を全員で熱演しました。

 後半は、大阪を拠点に全国的に活躍する南河内万歳一座座長の内藤裕敬さんの戯曲ワークショップからスタート。「演劇はルールがある中での遊び」「自分自身の中から発想を膨らまして」という内藤さんの言葉を受け、参加者は、次々と個性溢れる脚本を執筆。内藤さんが一本にまとめ上げ、最終日に全員で演じました。演劇がもつパワーや意味、社会の中での役割を考えるきっかけとなった4日間でした。

 アートミュージアムラボは、地域の資源を活かした「企画づくりの面白さ」を再発見したプログラムとなりました。参加者は三重県立美術館に出掛け、鑑賞教育ツール「アートカードみえ」を使ったアートカルタ遊びを体験。これは、美術館の所蔵作品が印刷されたB6版のカード64枚の中から、「この大根、買い物かごには、入らない」など、ユニークな読み札に当てはまる作品を探し出すもの。その発展企画を考える課題では、アートカードからお気に入りの作品を選び、川柳を考える「アートで五・七・五」など新しいアイデアがいくつも生まれました。自館でもアートカードをつくってみたい、という声が聞かれるなど、大変意義深いものとなりました。

 

●三重の伝統芸能を体験

 ラボ恒例の共通プログラムでは、地元団体の方々にご協力頂き、三重県内の地域芸能を体験しました。

 戦国武将・藤堂高虎から名付けられた迫力満点の「高虎太鼓」では、津・高虎太鼓のリーダー、水谷忍さんを招き、彼のオリジナル曲に挑戦。「チュウチュウ、おいしい、甘~い、ケーキ、1、2、3、4、食べちゃった!」など、太鼓のリズムに言葉をつけたユニークな指導を受け、僅か30分で驚くほどに腕を上げました。

 志摩半島東端の安乗(あのり)地方に伝わる「安乗文楽」は、国の重要無形民俗文化財にも指定された400年余りの歴史を持つ人形浄瑠璃で、人形の動かし方の複雑さなどを体験しました。

 江戸時代初期に日本を訪れた朝鮮通信使を真似たのが起源といわれる「唐人踊り」では、ユーモラスなお面と、黄色を基調にした派手な衣装が参加者を圧倒。最後には、ラッパや太鼓などの音に合わせ「喜びのポーズ」等の踊りを体験しました。

 

●ステージラボ・アートミュージアムラボ三重セッション カリキュラム

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コースコーディネーター

ホール入門コース

篠田信子(NPO法人ふらの演劇工房理事)、坪池栄子(株式会社文化科学研究所研究プロデューサー)

自主事業 I (音楽)コース

小澤櫻作(地域創造ディレクター)

自主事業 II (演劇)コース

津村卓(地域創造プロデューサー)

アートミュージアムラボ

大月ヒロ子(有限会社イデア代表取締役)

 

●蘇ったスタインウェイ──自主事業Ⅰ(音楽)コース「舞台の匠(1)~ピアノの匠~」より

 公共ホール音楽活性化事業をきっかけに、島根県浜田市の原井小学校の音楽室の片隅に眠る1923年製のスタインウェイが発見され、新品同様に修復された事例が、自主事業Ⅰ(音楽)コースのゼミで紹介されました。児玉真さんをはじめ、修復に関わった方々のお話をご紹介します。

 

●児玉真(NPO法人トリトン・アーツ・ネットワークディレクター)

  きっかけとなったのは、私がコーディネーターとして関わり、2004年3月に島根県浜田市で実施した公共ホール音楽活性化事業(おんかつ)です。アウトリーチ会場の原井小学校に下見に行った時、音楽室の片隅に置かれていたスタインウェイを発見しました。その時には昭和初期のものらしい、ということしかわからなかったのですが、アウトリーチ本番終了後に、ピアニストの田村緑さんに見てもらい、1923年製の名器であることがわかりました。

 このスタインウェイは損傷が激しく、1年後に廃棄することが決まっていたのですが、田村さんが浜田の方にピアノの価値を説明され、修復しようということになりました。修復には500万円はかかると言われていたのですが、実は私はそんな大金は集まらないだろうと思っていました。しかし実際に動き出したら、1,300万円の寄附金が集まり、無事修復することができました。

 2005年10月には、ピアノ復元記念コンサートを石央文化ホールで行ったのですが、遠方からご高齢の同窓生がたくさん来てくださり、1,100席のホールがほぼ満席でした。コンサート終了後には、修復運動の中心となった同窓会会長の田中瑞穂さんが「とても嬉しかった」と言ってくださり、その時の表情が忘れられなくて、何か人が幸せな気分になるようなことができたのかなと思いました。

 今回修復されたスタインウェイは、火事で焼けた原井小学校の再建記念として、1933年に当時の保護者が寄附金を集めて寄贈したものだそうです。このように、浜田の人たちは昔から、子どもの教育に大きな夢をもっていらっしゃいました。復元記念コンサートでは、演歌が好きな方もニコニコしながら聴いてくださり、プロフェッショナルな技術の結晶といえるスタインウェイやそれを弾く人など、音楽、もっと言えば芸術そのものに対する愛情をみんなが共有しているな、と感じました。

 私は仕事としてお金をいただいて浜田に関わったんですが、それを超えたエネルギーのようなものがまちの空気にはあり、それが今回たまたま、スタインウェイに集約されたように思います。この仕事を超えた部分にこそ、人間は感動し、動かされるのだと思います。このことを、文化の仕事をしている皆さんの心の片隅に残しておいていただけると、仕事に血が通うのではないかと思います。

 

●田村緑(ピアニスト)

  私が初めてこのスタインウェイに出会った時は、鍵盤が剥がれ、弦も切れていて見るも無惨な状態でした。でも1923年製のスタインウェイは職人・材料ともよく、世界的な名器といわれています。なので、廃棄になると聞いてとてももったいないと思い、つい「棄てちゃうくらいなら持って帰りたい!」と言ってしまいました。修復されて搬入された時には、浜田の方々が、自分たちの大事なものが帰ってきたように迎えていたのが印象的でした。

 

●鈴木達也(スタインウェイジャパン代表取締役)

  古いスタインウェイが修復された事例は、このほかにもいくつか聞いていますが、すべてに共通するのは“感動”と“偶然”です。文化の仕事に携わる先輩として、皆さんには、感動を起こした偶然の共通項を探し出し、それを踏まえて必然として感動を起こせるようになって欲しいと思っています。

 

原井小学校スタインウェイ修復の経緯

1873年
原井小学校創設
1933年
火事で焼けた校舎を再建。再建記念に、当時の保護者会が2,405円の寄附を集めスタインウェイを購入し、寄贈。
1973年
新しいピアノが寄贈され、音楽室の片隅に置かれたまま使われなくなる。
2004年3月
公共ホール音楽活性化事業のアウトリーチで、田村緑さんが小学校を訪問し、スタインウェイを発見、保存と修復を訴える。卒業生らでつくる「校舎改築期成同盟会」(田中瑞穂会長)が中心となり、修理費用の寄附を集め始める。
2005年4月
小学校が港町へ移転新築。松本安生・スタインウェイジャパン委託技術者(兵庫県尼崎市)に修復を依頼。
2005年10月
修復されたピアノが納入され、復元記念コンサートを開催。

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