一般社団法人 地域創造

制作基礎知識シリーズVol.34 音楽アウトリーチの基礎知識④ 音楽アウトリーチの事例[3]

講師 中川賢一
(ピアニスト/指揮者)

普及活動のきっかけと考え方

 

製造業から創造産業への転換

 創造都市が注目される背景には、製造業を中心とした20世紀型の経済が衰退し、知識集約型の産業や経済が台頭してきたことがある。実際、かつて鉄鋼や造船などの重厚長大産業で栄えた地域が失業率15~20%までになるほど衰退し、芸術文化や創造産業の振興に力を入れて活力を取り戻した事例が、欧州の代表的な創造都市には多い。
  今では創造都市と対で語られることが多いこの「創造産業」という言葉は、英国労働党が1997年の選挙キャンペーンで用いた「クール・ブリタニア」が発端とされている(*5)。ブリタニアはブリテンのラテン名。つまり、英国の古くさいイメージを一新し、カッコよさ(クール)をアピールしようというものである。
  実際、ブレア政権の誕生後、古いイメージを払拭するために新しい政策が次々に打ち出された。まず、文化遺産省を文化・メディア・スポーツ省に改編(*6)。翌98年には、創造産業を「個人の創造性や技術、才能に起源をもち、知的財産の創造と市場開発を通して財と雇用を生み出す可能性を有する産業」と定義し、該当する13分野の産業規模や就業者数の調査結果を発表した(*7)。
  この創造産業の考え方も瞬く間に世界に広がり、各国が同様の調査を実施した。また、2008年には国連貿易開発会議(UNCTAD)が「クリエイティブ・エコノミー・レポート2008」を発表した。2000~05年の間にクリエイティブ産業の貿易額は、年平均で8.7%という前例を見ないペースで増加。途上国にとっては経済成長や雇用創出、貿易収支の改善だけではなく、社会的包摂や文化的多様性のためにも創造産業のポテンシャルを引き出すべきだとした。
  音楽、演劇、美術などの「芸術」も創造産業に位置づけられるが、ここで重要なのは、「創造産業の中でも最も強く創造性が問われる芸術が、創造産業全体を牽引する」という考え方である。佐々木は、創造産業の同心円モデル(図表1)によってそれを図式化した。すなわち、「創造的コアに位置づけられる芸術は、先端的であるがゆえに評価が難しく市場で成立しにくい。しかし、創造産業を育成できるかどうかは、創造的コアに対する支援施策を持てるか否かにかかっている。先端的な仕事に従事するアーティストやクリエーターが存分に活躍できる条件を備えた都市でなければ、創造産業は発展しない」というのである。
  芸術や文化は長らく「金食い虫」だと揶揄され、市場では成立しないから公的支援が必要とされてきた。しかし、その芸術を振興しなければ、今後成長の期待できる創造産業は育まれない。言い換えれば、芸術への投資は周辺の創造産業群を通じて大きな経済的リターンをもたらす、そんなパラダイムの転換が起きているのである。

 

*5 当時23歳でブレア陣営のブレーンを務めたマーク・レナードが書いた「Britain TM」(トレードマーク・ブリテン)というレポートがきっかけになったとされている。ちなみに、このクール・ブリタニアですぐ連想するのが、今ではTV番組のタイトルにもなったクール・ジャパンだろう。そのルーツは、米国のジャーナリスト、ダグラス・マクグレイ(Douglas McGray)が2002年に外交専門誌『Foreign Policy』に発表した「Japan’s Gross National Cool」という論文である。彼はその中で、アニメやゲームをはじめとした日本の文化的潜在力が世界に大きな影響を与え始めたと日本を再評価した。グロス・ナショナル・クール(GNC)は、GNP(国民総生産)にならった表現で、「国民総クール度」といった意味である。
*6 1992年に設立された文化遺産省(Department of National Heritages)を1997年7月に文化・メディア・スポーツ省(Department of Culture, Media and Sports, DCMS)に改編。
*7 ①広告、②建築、③美術・骨董品市場、④工芸、⑤デザイン、⑥デザイナーズ・ファッション、⑦映画・ビデオ、⑧TV・コンピュータゲームソフト、⑨音楽、⑩舞台芸術、⑪出版、⑫コンピュータソフトウエア・コンピュータサービス、⑬テレビ・ラジオ

安土町・文芸セミナリヨでの試み

 僕の考えていた普及活動のすべてを注ぎ込んだプログラムが、2002年に滋賀県安土町の文芸セミナリヨで行ったアクティビティだ(下記参照)。担当者の希望がホールでのアクティビティだったことから、1日1グループの子どもたちに、前半はピアノの構造(1時間)、後半は即興による音楽づくり(2時間)の両方を体験してもらった。
  前半は、まず『月の光』など3曲を演奏し、照明を暗めにして聴いてもらうなど、自分なりの聴き方でいいというのを体験してもらった。楽器の構造を知るワークショップは、今でも定番でやっているが、調律師の方がとても協力的だったこともあり、演奏中に素手で弦や鍵盤に触ってもらうこともできた。セミナリヨではやらなかったが、今では最後に一筋縄ではいかないヘビーなムソルグスキーの『展覧会の絵』から「キエフの大門」を演奏している。これは友人の画家ガルトマンが亡くなった時に色々な思いを込めて作曲したものだ。友人を思う気持ちでこれだけの曲が生まれ、それが140年後の今も受け継がれている。そういう人の思いの凄さ、色々なものが蓄積された長いストーリーの凄さを伝えたくて追加した。生きることは簡単ではないが、そういう一筋縄ではいかない感情のある曲を色々な回路で楽しむことが大人になる面白さだというのを感じてほしいと思っている。
  後半は、楽譜が読めなくても、楽器が演奏できなくても音楽はつくれるという表現の体験をしてもらった。例えば、子どもに「ド」を3回弾いてもらって、僕がそれに和音を付けて競演したり、4人の子どもたちが僕の合図(指揮)で色紙を貼った鍵盤を叩き、音の波をつくることで曲にしたり。また、ワークショップの成果をコンサートに繋げる試みも行った。
  人が考え抜いた楽器の凄さをわかってもらうにはどうすればいいか? クラシックに対するハードルを低くするにはどうすればいいか? 楽譜を介在させずに曲をつくるにはどうすればいいか? ピアノを弾く技術がない子どもたちと競演するにはどうすればいいか?─限定した鍵盤から子どもたちが自由に選んで音を出すことはできるし、そこから生まれた極めて複雑で高度な和音をプロの僕が繋げれば曲としてのストーリーが生まれる。ぐちゃぐちゃだった音がみんなで一緒にやると凄い音楽になるし、みんなで会話しながら音楽をつくると楽しい。それはドレミファのしっかりした曲だと難しいけど、フリーな現代音楽のアプローチなら子どもとも競演できる。そんな風にして人としての感性を全部開放して複雑なものを楽しんでほしい。そうすれば人生の楽しみが増えるし、豊かになる─クラシック音楽の中にある人間の叡智と美的感性、動物的感性のすべてを構造的に子どもたちに伝えたいと思って考え抜いた安土でのプログラムが、僕が行う普及活動の原点になっている。

 

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平成14年度「公共ホール音楽活性化事業」
文芸セミナリヨでのアクティビティ
ワークショップ「この夏はピアノがおもしろい!」(滋賀県安土町)

 

文芸セミナリヨでのアクティビティ

  • 「ピアノのひみつ!」(1時間)
    楽器の構造に焦点を当てたワークショップ。演奏の後、アクションモデルを用いてピアノの鍵盤の仕組みを説明。続いて反響板(フレームをマレットで叩く)、弦の振動(ピンポン球を飛ばす)、場所による響きの違い(演奏に合わせて行進)を体感。最後にムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』から「キエフの大門」を演奏。
  • 「音楽の可能性」(2時間)
    音符や専門用語を一切用いず、声や音の出るおもちゃを使いながら楽器以外のもので集団即興による音楽をつくり、みんなで『安土組曲Ⅰ』を演奏。子どもたちが描いてきた絵を楽譜に見立てた中川さんの即興演奏を聴きながら、全員でコンサート本番にステージを飾る墨絵を作成。
  • 「コンサート本番」(2時間30分)
    墨絵を飾り、クラシックの名曲の1部と現代音楽の2部で構成。2部ではロビーに展示した巨大五線譜に来場者が自由に記入した音符や言葉を元にした中川さんの即興演奏、墨絵を楽譜に見立てた即興演奏、客席の聴衆が音の出るおもちゃで参加した『安土組曲Ⅱ』など。

アナリーゼの可能性

 最近、特に力を入れているのが「アナリーゼ」だ。よく行われているレクチャーコンサートというのは、聴衆の理解を助けるために楽曲や作曲家について解説するというもの。それに対してアナリーゼは、楽曲のパートを細かく分けて演奏しながら解説し、まるで楽譜が読める演奏家のように、楽曲を分析しながら聴くための助けをする試みだ。
  クラシック音楽においては、ある音型(メロディ)がどう変容していくかがとても重要だ。それを僕が弾いて聴かせながら説明し、耳で音型を覚えてもらうことで、積極的に分析的な聴き方をすることを促していく。言葉でいくら説明されてもわからないが、少しずつ聴いてもらえば聞き分けることができる。
  クラシック音楽の普及を考える場合、子どもだけでなく、大人に対してどのようにアプローチするかを考える必要がある。僕は大人の聴衆にはロジックでその面白さを伝えたいと思っていて、専門家がどこまでディテールにこだわっているかを専門家と同じように追体験できるアナリーゼには大きな可能性がある。人が音の秩序を見つける凄さ、その快感の凄さを感じてほしいと思っている。

 

*アンサンブル・ノマド
1997年に現代音楽をリードするギタリスト佐藤紀雄によって結成。若手の才能あるプレーヤーを集めた自在な編成により、斬新なアイデアのプログラムを取り上げて演奏活動を行う、現代音楽を語る上で欠かせないアンサンブル。98年から2001年までは東京オペラシティ文化財団の主催により年5回の定期演奏会を行う。

 

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●中川賢一プロフィール
桐朋学園大学音楽学部でピアノ・指揮を学ぶ。ベルギーのアントワープ音楽院ピアノ科最高課程、特別課程を修了。1997年オランダのガウデアムス国際現代音楽コンクール第3位。ヨーロッパで演奏活動を行い、1998年帰国。アンサンブル・ノマドのメンバーとして活動するほか、室内楽奏者、指揮者として活発な演奏活動を行う。オーケストラとの競演、ダンスや他分野とのコラボレーションも多い。夏木マリ「印象派」シリーズ音楽監督、東京フィルハーモニー交響楽団では“ドクトル中川”としてさまざまな曲のアナリーゼをライブ、ウェブ上で展開。地域創造の公共ホール音楽活性化事業(おんかつ)登録アーティスト(平成14・15年度)・おんかつ支援登録アーティストとして各地の公立ホールで活動。また、指揮者・編曲者として地元参加型の創作舞台「神楽オペラ」(大分県豊後大野市)、「アワビ伝説」(宮城県七ケ浜町)、「愛の歌」(沖縄県名護市)などに参加。東日本大震災後は地元仙台など被災地での慰問活動を積極的に展開。

 

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