一般社団法人 地域創造

熊本県高森町 高森湧水トンネル納涼七夕まつり

 阿蘇山五岳と外輪山に見守られるのどかな田園地帯にある人口6,800人余りの高森町で、20年前から地元の人たちが参加するイベントが行われている。会場は、なんと工事が中断し、放棄されたトンネルの中。負の遺産とも言えるその場所に、夏は七夕飾り、冬はクリスマスのイルミネーションという、町の人たちの創意工夫を凝らした手づくりの大型オブジェが何十と並ぶのだ。アーティストもアートプロデューサーもいない手づくりの“アートプロジェクト”で活力を生み出す高森町を訪ねた。

 7月4日、「第20回高森湧水トンネル納涼七夕まつり」の初日。真ん中を豊かな水が流れる水路が走り、夏でも涼しい550メートルのトンネル内には、60基以上の輝く七夕飾りが吊るされていた。しかも、身近な素材をリユースしたアイデア溢れるものが多く、毎年出展している地元中学校のステンドグラス風の作品、小さな折り紙を繋ぎ合わせた老人会の作品、カラフルな洗濯バサミを繋いだ洒落た飾り、園児の顔を流行のキャラクターに見立てた保育園の力作など。地元企業や社会福祉協議会、さらには熊本市内の病院や海辺の子ども会まで見事な飾りを出展。子ども連れやカップル、車椅子の老人など多くの人で賑わい、出口にはお気に入りの飾りを選ぶコンテスト用の投票箱も設けられていた。4日間のコンテスト期間中には、毎年延べ6,000人が訪れるという。

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トンネル内にずらりと展示された七夕飾り
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トンネルの突き当たりには、ストロボを当てて珠が連なっているように見せる噴水「ウォーターパール」が常設され、人気となっている。ここから奥に1.5kmトンネルが続いているが未公開

 そもそも高森トンネルは、日清戦争直後の軍事産業路線として鉄道敷設が計画されたことに始まる。諸般の事情で1978年に高森・高千穂間でのトンネル工事が始まったが、2年後、高森側の入口から2キロの坑内で毎分36トンもの大量出水がおこる。豊かな水源で水に困ったことにない町にもかかわらず、その影響で湧水が枯れ、水道も断水。住民は自衛隊の給水車にもらい水をする日々が半年も続いた。長い争議の末、国鉄民営化に伴い、93年に町が水源ごと譲り受け、国からの賠償金で周辺を公園として整備。翌年からトンネルの一部、550メートルを一般公開することになった。
  同時に、飲み水にも不自由する原因となった恨みのトンネルを「どぎゃんかして、人を集めて町を活性化する場所にせねば」という当時の町長の発案で、95年から七夕まつりがスタート。現在、高森町企画観光係の職員を中心に運営が行われている。
  参加団体は公募、希望者には七夕飾り用の竹枠(星形、たいこ型、球体など)を配布し、制作費1万円を補助。大型オブジェのため町役場の職員が手分けして搬入をサポートする。ただし、「飾りつけ自体は、自分で納得して仕上げたい方が多いので各団体が行っています」と今年から役場の担当になった入江辰哉さん。
  その竹枠を第1回からつくっている有志が「六笑会」だ。高森町には江戸時代から続く「風鎮祭」という伝統があり、五穀豊穣などを祈って、茶碗やタワシなどの生活雑貨を組み合わせ、動物などを象った巨大な「造り物」を制作し、台車に乗せて町を練り歩く。七夕まつりを始めるにあたって、その手練れに竹細工を依頼したのだ。メンバーの橋本重幸さん(84歳)、本田陸奥雄さん(83歳)は、「竹から切り出して、毎年、200個ぐらいつくる。コンテストがあるでみんな競い合って、特賞を逃したチームは悔しがって今年こそはと思うからどんどん力が入る。保育園からはこういうのをつくりたいからって特注されとる」と笑う。
  風鎮祭の造り物は、日用品を材料にし、祭り終了後は再利用できるよう制作するといったルールがあり、旧町内5組がその出来を競い合う。「設計図もないし、年寄りも若いもんも混じって、ああしよ、こうしよとその場で話しながらつくるから技量がいる。太ったから狸にしようかということもある」と橋本さん。福岡からの移住者である入江さんも、「学生時代から憧れていた阿蘇の町で、風鎮祭を経験することで、この町の住民の仲間入りができたという気持ちになりました」という。
  身の周りにあるものを自分たちで使って、自分たちで楽しむ。トンネルの七夕まつりの20年は、この造り物の伝統に支えられているのだと強く感じた。

 

(アートジャーナリスト・山下里加)

 

●第20回高森湧水トンネル納涼七夕まつり
[会期]2015年7月4日~7日(七夕飾り展示:7月4日~8月30日)
[会場]高森湧水トンネル公園(阿蘇郡高森町高森1034-2)
[主催]高森町

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