一般社団法人 地域創造

岩手県花巻市 萬鉄五郎記念美術館 35周年企画「萬鉄五郎と歩んだ35年」

 東北新幹線の新花巻駅から車で10分ほど。美しい田園が広がる花巻市東和町(2006年1月花巻市と合併)の丘に萬よろず鉄五郎記念美術館はある。萬鉄五郎(1885-1927)は、同町の土沢地区に生まれ、大正から昭和初期にかけて前衛的な作風で日本近代美術に大きな影響を与えた画家だ。同館は、1984年に地元住民の熱烈な運動の末に建てられ、以後、住民と美術館の二人三脚で萬の顕彰と地域の活性化を行ってきた。開館から35年を迎えた現在を取材した。

 

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左:展覧会会場風景
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右:美術館前での萬鉄五郎祭の餅まき

 取材日の5月3日、美術館に隣接する土沢幼稚園では「第39回萬鉄五郎祭」が開催されていた。地元住民や遺族、関係者らが集う中、中学生が萬の言葉を朗読。100年前に生きた画家の精神が中学生の身体を通して伝わってきた。

 美術館で開催中の「萬鉄五郎と歩んだ35年」展では、萬作品を収集順に展示していた。そもそも開館時の収蔵作品は5点のみ。以来、住民が作品を購入しては美術館に寄託、予算が付けば町が購入。コレクションが揃うまでは、町民が技術やアイデアを持ち寄り、萬の生涯などを紹介するハイビジョン映像などを制作してコンテンツを補完。現在、遺族の協力も得て、250点余りを収蔵するまでになり、今回はその全作品を美術館の歩みや資料と共に総覧した。

 この日、館の前庭は「土澤アートクラフトフェア」の工芸や食の出店で賑わっていた。現在では、駅前の商店街から美術館前まで全国から320組もの出店が集まり、6万人が来場するこのフェアも、2005年に町の有志と当時の美術館館長、学芸員が協働した「街かど美術館 アート@つちざわ〈土澤〉」がきっかけになったものだ。

 86年から美術館学芸員を務める平澤広さんは、「この美術館の活動は萬作品をいかに収集するかという運動でもありました。文字どおり町民がつくった美術館なので、地元の誇りである萬の顕彰、彼の精神である前衛的な美術家の発掘と育成、町民と一体化したまちを元気にする活動という3つのミッションを大切にしてきました。当時は岩手県立美術館(2001年開館)も存在せず、県内唯一の公立美術館としての役割も求められており、岩手の美術史を掘り起こし、作家に光を当てることも行ってきました」と振り返る。

 現代美術の紹介、岩手の美術家を研究して再評価する展覧会は全国でも注目され、東和町に移住する彫刻家や画家も現れるようになった。一方、人口は減り、商店街も空店舗が目立つようになる。アートでまちが活性化できないだろうか、と企画されたのが美術館、支援組織の鉄人会、土澤まちづくり会社、住民ボランティア約300名が手を携えた「街かど美術館 アート@つちざわ〈土澤〉」(2005年10月)だった。

 1カ月にわたり130名もの公募アーティストが空店舗から生活空間まで77カ所でインスタレーションを展開。移住していた彫刻家の菅沼緑さんが招待アーティストに声を掛けるとともに、町民の絵画や手芸品も展示した。「美術館が思う良い作品を、観客に一方的に見せるだけでは人々に美を判断する力がつかない。まちに隙間なく無審査でAからZまで多様な作品を展示し、見歩いて観客が自分なりの見方を獲得してもらえればと考えました」と平澤さん。

 街かど美術館は、以後足かけ10年にわたり趣向を変えながら計6回開催。その合間に始めたクラフトフェアが多くの来場者を集めたことから、現在の土澤アートクラフトフェアへと繋がっていった。実行委員会代表の武政文彦さんは、「街かど美術館は2014年を最後に休止しましたが、萬鉄五郎や街かど美術館が町の誇りや個性を育ててきたことは間違いありません。東北の小さなまちでも挑戦する反骨精神を萬はもっていましたし、クラフトフェアも次の挑戦をしなければと思っています」と語る。

 最後に「地域の価値を美術の側面から発掘し、全国・世界に向けて発信することは地域美術館の使命です。このバトンを次の世代に渡すことが今の課題です」と言った平澤さんに、地域美術館を支えてきた学芸員の矜持を見る思いだった。地域住民と美術館が互いに相手に向けてできることはないかを考え、実行する幸福な関係が岩手の小さなまちに根づいていた。

(アートジャーナリスト・山下里加)

萬鉄五郎記念美術館35周年企画「萬鉄五郎と歩んだ35年」

[主催]萬鉄五郎記念美術館
[会期]2019年4月20日~6月30日

萬鉄五郎記念美術館の歩み

 1978年に町の有志で「萬鉄五郎を偲ぶ会」が開催され、翌年、正式に萬鉄五郎記念館建設委員会発足。同会では80年から町内個別募金を募り、最終的に町内外から約5,300万円を集め、建設資金として東和町に寄付。だが、町は建築推進派と時期尚早派に分かれて激しく対立し、町長選に波及。わずか30数票差で推進派が勝利したが、計画を縮小し、1階を現代美術ギャラリー、2階を記念館として84年5月1日に開館。85年に、東和町に移住してきたミュージシャンの姫神がコンサートを行い、収益金を作品収集のために寄附。86年には時期尚早派の町長が就任したが、活動を充実させる方針を取り、事業予算も増額した。90年に博物館法上の登録博物館認定。91年には、元岩手日報社の記者で萬の研究者でもある千葉瑞夫氏が館長に就任。92年、萬の生家にあった八丁土蔵を美術館横に移築し、ギャラリーとハイビジョンミュージアムとして活用した。95年、名称を萬鉄五郎記念美術館と改称。

 

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