那覇文化芸術劇場なはーとは、2021年秋の開場以来、現代の観客に地域の伝統芸能を近づける新創作を行い、子どもたちにわかりやすく体感してもらう「組踊たいそう」や組踊の演目を現代演劇として新解釈した『花売の縁オン(ザ)ライン』を発表。その最新作として23年から3年かけてブレヒトの『ゼチュアンの善人』を沖縄芝居にする取り組みを行い、25年12月14日に完成版の『花はなずみぐゎーぬ染小の美ちゅらんみーら姉』を披露した。



『花染小の美ら姉』(上:三人の神/中:カミー小と松金/下:カーテンコール)
撮影:大城洋平
原作は、善人を探す神々に親切にした娼婦のシェン・テが褒美でタバコ屋を開くが、その善意につけ込んだ人々に追い詰められていく物語。今回の沖縄芝居は原作を踏まえた筋書きながら、タバコ屋は遊郭に置き換え、霊媒師のユタが人間界での出来事を神々に報告し、遊郭の主になった主人公が没落士族と身分違いの恋をするなど、沖縄ならではの設定となっていた。また、夜空の星々と人々の暮らしを重ねた台詞を盛り込むなど、これまでのブレヒト劇とは異なる情緒を舞台にもたらした。
企画を担当したなはーとの土屋わかこさんは、「沖縄芝居では、女性の登場人物の多くがひどい目に遭います。でも、お客さんはそれを観て、泣いて、パワーをもらって帰っていく。『なぜこんな悲劇に希望を感じられるのか』という驚きが、『ゼチュアンの善人』を沖縄芝居のフィルターを通してやってみたいというアイデアに繋がりました。苦境に陥るたびに、私はこの作品のことを思い起こしてきました。この物語では神が匙を投げ、どういう結末が善人に相応しいかは観客に委ねられます。こうした試練をどう乗り越えていくのかは現代の社会でも同じだと思います」と話す。
1年目には同劇場企画制作グループ統括を務める林立騎さんの新訳を基に、沖縄の劇団ビーチ・ロック主宰の新井章仁さんが構成・演出したリーディングを上演。沖縄芝居版の作・演出を担う琉球芸能実演家の嘉数道彦さんをはじめ参加するスタッフ、キャストは、この上演を参照して2年目の朗読劇版を創作、3年目の本公演に向けてブラッシュアップを続けた。
林さんは、「できるだけニュートラルな状態で原作に向き合えるよう翻訳しました。従来の翻訳では、身分の低い労働者は『わし』で、話し方も『~だべ』。しかしドイツ語ではそうした表現は存在しません。また、戯曲の中で使われている経済用語も話すには不自然だとして別の言い方になっている。ですから今回はむしろそのまま訳すことにこだわりました」と話す。
演出で最も印象的だったのがラストシーンだ。人を騙したのに幸せを手にした者、裏切らた者などすべての登場人物と市井の人々(市民参加出演者)が舞台に揃い、それぞれに暮らしている様は、世の不条理を映していた。そして、全員が客席に背を向け、出演者と観客の目線が同じになったところで、幕は下りた。
嘉数さんは、「沖縄芝居は大衆演劇ですから、『楽しかった』『泣いた、よかった』と喜んでもらうのが基本。ただ、この作品をやるからには、最後に拍手しながら『あれ?』と考えてもらいたかった。沖縄芝居の中でそれが叶ったなら、ブレヒトに対する新しい挑戦にもなるかなと思いました。舞台上の役者はもちろん、どんな人でも生きてそれぞれの道を歩いている、そんな幕切れを客席のみなさんと一緒に迎えたいと考えました」と最後の場面を振り返る。
沖縄芝居定番の楽曲やそのエッセンスで音楽を構成し、今回は珍しい和音を用いた曲づくりも行ったのは、嘉数さんの盟友である歌三線の仲村逸夫さん。「創作活動は苦しいけど、楽しい。ただ、自分は作曲家ではなくて実演家で、立ち返る場所はいつも古典だと思っています」。嘉数さんも同じで、足場は古典にあり、二人とも新作は自ら手がけるより「依頼されるもの」だと断言する。だが、だからこそ伝統芸能としての構造や考え方をすり減らすことなく、試行錯誤もできるのだろう。幾つもの公演、稽古を掛け持ちする実演家た ちとの創作ペースの調整、大劇場公演としての集客など、今プロジェクトで見つかった課題も多 いと土屋さんは言う。だが、3年をかけて将来の古典ともなりうる「現代の沖縄芝居」が誕生したことは紛れもない事実だ。
(鈴木理映子)
ブレヒト×沖縄芝居新作プロジェクト 2023-2025 沖縄芝居『花染小の美ら姉』(はなずみぐゎーぬちゅらんみー)
[主催]那覇市
[企画制作]那覇文化芸術劇場なはーと、シアター・クリエイト株式会社
[会期]2025年12月14日
[会場]那覇文化芸術劇場なはーと 大劇場
[原作]ベルトルト・ブレヒト『ゼチュアンの善人』(翻訳:林立騎、構成:新井章仁)
[作・演出]嘉数道彦
[振付]阿嘉修
[音楽]仲村逸夫
[協力]沖縄芝居研究会
沖縄芝居
沖縄方言(うちなーぐち)による大衆演劇。廃藩置県以後、芸能の担い手であった士族が、組踊など琉球王朝の芸能を庶民向けに上演したのが始まりで、歴史物、恋愛ものなど観客のニーズを取り入れながら商業演劇として発展していった
