一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.15

 公益財団法人静岡県舞台芸術センター(Shizuoka Performing Arts Center:SPAC)は、専用の劇場や稽古場を拠点とし、俳優、舞台技術・制作スタッフを抱えて活動を行う公立文化事業集団だ。1997年に鈴木忠志・初代芸術総監督の下でスタートし、2代目として2007年にバトンを引き継いだのが現在の宮城聰・芸術総監督である。
 SPACでの演出作品の上演だけでなく、国際演劇祭「ふじのくに⇄せかい演劇祭」、中高生を劇場で行われるSPAC公演に招待する鑑賞事業(年間100ステージ・35000人が目標)、人材育成事業(2021年にスタートした高校生対象の1年制演劇学校「SPACアカデミー」等)、就任以来力を入れてきた各種アウトリーチを意欲的に展開。また、2023年度には伊豆の景色を映像として組み込んだ観光演劇『伊豆の踊子』(台本・演出:多田淳之介)を県内巡演するなど、公立劇場運営と創造集団としての取り組みの両立を図ってきた。
 震災やコロナ、世界情勢の悪化、公立劇場に求められる役割の変化などを踏まえ、芸術総監督としての今の思いを寄稿していただいた。

 

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(c)Takashi Kato

宮城 聰(演出家/SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督、静岡県コンベンションアーツセンターグランシップ館長

 5年前といまを比べてみると、わたしたちを取り巻く状況はかなり急速に厳しいものになっていると感じます。地球環境、国際情勢(軍事的緊張)、国内の少子化。どれもかなり前から進行していた危機ではありますが、この5~6年はその危機の顕現がきわめて急になっています。軍事的緊張(世界の分断)や少子化は、コロナ禍によってアクセルを踏まれた部分も間違いなくあったでしょう。
 

 こうしたなかで公立劇場は何をせねばならないでしょうか。何ができるのでしょうか。

 

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『天守物語』(演出:宮城聰 作:泉鏡花 音楽:棚川寛子)

毎年ゴールデンウィークに実施する「ふじのくに⇌せかい演劇祭」および「ふじのくに野外芸術フェスタ静岡」では宮城演出作品を発表。2023年は駿府城公園に特設会場を設置して『天守物語』を野外上演した。

 

1、全体主義への歯止め

 と書くと、おいおいそんなことが劇場にやれるのかい、と思われる方も多いと思います。なにしろ劇場には数百人、多くても千数百人しか入れません。「全体」から見ればあまりにもわずかな人数ですね。

 

 しかし、じゃあマスを相手にするなにかが、人々の全体主義への傾斜をいくらかでもとどめることができるのか、と考えてみると、そのほうがもっと難しいようにも思います。

 

 いま世界のあちこちで勢力を増している全体主義は、「自分がいま持っているものをおびやかす他者を排除したい」という気分が社会全体に広まったものだと言えるでしょう。なぜ「自分がいま持っているもの」に人々が固執するようになるかといえば、それは端的に、「この先、いまよりもこの国は豊かにならない」あるいは「この先、この国は自分の私の人生を楽しいものにしてくれない」と人々が感じるからでしょう。

 

 日本も、その条件にはぴったり合致しています。ただし、日本における全体主義は、強力なリーダーに引っ張られるそれではなく、「下からの全体主義」として世間の空気が覆われてゆくものでしょう。

 

 それゆえ、政治のトップが変わっても社会の空気は変わらないわけですが、このことは逆から見ると、「過半数を取らなくても」世の中を(いくらか)変えられる可能性がある、ということでもあります。つまり、日本における世間の空気なるものは、必ずしも過半数で決まるわけではなく、「みんな」がそうなびくから自分も「まあそうだな」と思っている多数の人によって形成されているので、この多数の人々が「『みんな』がそう思ってるわけでもないんだな」と感じれば、それだけでかなり事情は変わります。
 

 こんにちの喫緊の課題に具体的に対処する作業は、かなり地道なものになるはずです。しかし人々の危機感がその地道さを辛抱できなくなったとき、一種の熱狂とともに全体主義の強風が吹くリスクが高まります。そしてこの熱狂こそが、過去、われわれにカタストロフをもたらしたものにほかなりません。であるなら、数百人しか入らない劇場が、それでもその人々に冷静さを提供できるなら、その地域の安全性は高まると思うのです。

 

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不朽の名作オペラをオリジナル音楽による軽快な演劇作品にした『ばらの騎士』(演出:宮城聰、寺内亜矢子 作:フーゴー・フォン・ホーフマンスタール 音楽:根本卓也)
2023年度中高生鑑賞事業でも上演。本作品では、観客がクリエーションの現場に立ち会い、創作過程を共有する「『ばらの騎士』サロン」を立ち上げた。

 

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『伊豆の踊子』(台本・演出:多田淳之介 作:川端康成 映像監修:本広克行)
2023年度中高生鑑賞事業のプログラム。作中に登場する風光明媚な伊豆地域の撮り下ろし映像を組み込み、新感覚の「観光演劇」として制作し、県内5ヶ所を巡演。

 

2、人生を楽しんでいい、というマインドセット

 これまた大風呂敷、公立劇場に人々のマインドセットを変えることなど到底無理、という印象もあろうかと思いますが、しかし人々のマインドセットを動かすのは民間の仕事だ、とも言えないでしょう。少なくとも日本では。
 

 日本人のまじめさ、というのは、単なる勤勉とは異なり、なんらか「オーソライズ」されていることを求めるものです。それが結果として「ルールを守る」「時間を守る」「納期を守る」といったかたちに現れるわけですね。ですから、少子化からの脱却の最大のポイントである「人生は楽しい」という価値観の伝播においても、それがオーソライズされていないとなかなか広まらないだろうと思います。(なにしろいまの日本では「みんな我慢しているんだ」という規範が圧倒的なので。)
 

 「公立」であることが、劇場という施設にとっては「親しみが持てない」というデメリットだと感じる劇場関係者は多いと思いますが、(そして「親しみを持ってもらう」努力はもちろん大切ですが、)人々に向けて「皆さん、人生を楽しんでいいんですよ」とアナウンスしてゆくことは、公立施設ならではの機能だと言えるのではないでしょうか。公立劇場にとって、弱点克服も大事ですが、巨大な社会課題の解決に向けて「強みを活かす」ことももっと考えるべきだと思います。

 

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SPAC演劇アカデミー成果発表会 2023年度は『卒塔婆小町』を上演した。

 

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SPAC演劇アカデミー修了式 2023年度は16名の高校生が参加した。

 

3、舞台芸術の「基礎研究」

 これは、科学における基礎研究と同じ役割を持つものが芸術にもある、という意味です。
 

 コロナ禍で「舞台芸術をやっている人がなんとか生活できるように」という方向での国からの補助がありましたが、いまやその反動として、「コロナ禍が終わったのだから、今後、国の補助金は『いずれ儲かる』ものへの呼び水としてのみ支出する」という方向にくるっと変わった感があります。


 これはコロナのせいばかりでなく、日本全体が「すぐに結果の出るもの」を欲しがる傾向を強めてきた結果とも思います。(そしてこの、せいぜい5年先の得しか考えない、という社会の態度が、いよいよ少子化に拍車をかけているのではないでしょうか。「おとなたちが20年後のことを考えていまの選択をしているぞ」と感じられるようになればずいぶん日本の状況は変わるでしょう。)


 上述した「人生を楽しんでいい」という価値観が広く“定着”するためには、実際「楽しいな」と感じられるコンテンツの充実が重要であることは言うまでもありません。そこでは民間が大活躍してくれることと思います。そしてそのコンテンツが生まれる呼び水として国がお金を出すことも有効だと思います。


 ただし、「観る側にもかなりのエネルギーが要る」タイプの舞台は、市場経済ではおいそれと流通しません。高度成長期の日本人なら「背伸びをしているうちに自分が成長する」というイメージを持てたので、そうした「観る側の努力」を求める舞台芸術もある程度流通しましたが、こんにちではそういう観客は多くありません。ですから、市場原理に任せていれば、観る側にもエネルギーが求められる舞台作品は淘汰されてしまうことでしょう。そして、市場原理がすべて、とならないために国からの補助金が芸術分野にも出されていたはずが、昨今はむしろ市場原理に乗るものだけに国が補助をするという様相を呈しています。
 

 しかしここで言う鑑賞者にエネルギーが求められる作品とは、「現実世界の苦さ」あるいは「人間の愚かさ」と目をそらさずに向き合って、限りなく絶望に近いところからかすかな希望を見つけ出そうとする苦闘の成果として生まれたものであり、そういう舞台こそ、観るものを諦念から救出し、のちのちまでも人に影響を与え、歴史を作ってきたわけです。それは「癒やし」ではなく、「希望」というべきものでしょう。他者と理解し合うことが人間にとってどれほど困難なことかをよくよく見つめたうえで、それでも普遍的な美というものの前では「共感」という奇跡が可能になる、という希望を伝える作品たちです。
 

 こうした作品がいまも生まれるために、公立劇場があるのだとは言えないでしょうか。こうした基礎研究のような作品が土台をなすことで、その土台の上に、楽しく消費することのできるハイクオリティな作品群の花が咲くのではないかと僕は思っています。

宮城 聰 プロフィール

1959年東京生まれ。演出家。2007年4月よりSPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡邊守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。17年『アンティゴネ』を仏・アヴィニョン演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演、同演劇祭史上初めてアジアの劇団が開幕を飾った。他の代表作に『王女メデイア』『マハーバーラタ』『ペール・ギュント』など。近年はオペラの演出も手がけ、22年6月に世界的なオペラの祭典、仏・エクサン・プロヴァンス音楽祭において『イドメネオ』、同年12月には独・ベルリン国立歌劇場において初の日本人演出家として『ポントの王ミトリダーテ』を演出し大きな反響を呼んだ。第3回朝日舞台芸術賞受賞(04年)、第2回アサヒビール芸術賞受賞(05年)、平成29年度第68回芸術選奨文部科学大臣賞受賞(18年)、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章(19年)、第50回国際交流基金賞(23年)を受賞。
https://spac.or.jp/