一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.3

田村 緑(ピアニスト)

ワンコイン・ソワレ(特別編)[2020年10月]@上田市交流文化芸術センター 小ホール 写真提供:サントミューゼ.JPG

ワンコイン・ソワレ(特別編)[2020年10月]@上田市交流文化芸術センター 小ホール 写真提供:サントミューゼ

 

外は久しぶりに冷たい雨。時折、窓に叩きつけられる風音を耳にしながらこの原稿を書いています。

 

今日は3月2日。春が待ち遠しい今、最前線で私たちの命を守って下さっている医療従事者の方々や地域のアートを支えておられる方々への感謝と共に、静かにこの1年を振り返り、読んで下さる皆さんとご一緒に、この先に何が見えるか、考えてみたいと思います。

 

5台ピアノコンサート「2020年9月」@三重県文化会館大ホール 白石光隆・中川賢一・デュエットゥ・田村緑 写真提供:三重県文化会館.jpg

5台ピアノコンサート「2020年9月」@三重県文化会館大ホール 白石光隆・中川賢一・デュエットゥ・田村緑

©︎松原豊 写真提供:三重県文化会館


コロナ禍の1年。皆さんの日常や心持ち、そして皆さんのホールや地域はどのように変化してきましたか。

もし、皆さんの1年を「一文字漢字」で表すと、どの漢字が相応しいでしょうか。

 

私の一文字漢字は空っぽの「空」から始まりました。

昨年3月にはNew York旅行を予定しており、アメリカ文化にどっぷり浸かる予定でしたが、特に楽しみにしていたNew York Steinway工場から一早くメールが届きました。

「スタインウェイ工場の職人たちを守るために当面の間の見学を中止します」

その後、行くはずだったBroadwayミュージカルやLincoln Centerでのコンサートも次々にキャンセルとなり、人の行き来が難しくなる時代が到来するのかと、空恐ろしくなったことを思い出します。

 

演奏家は旅人です。

在来線に乗るように新幹線に乗り、空の上にいることを忘れるほど気楽に飛行機に乗り、お声がかかれば地球の裏側だろうといそいそと出向き、旅を楽しみながら演奏してきました。その土地の方々に出会い、その土地の空気を自分の身体に取り入れながら演奏することは至極自然なサイクルでしたし、世界と自分が住む日本の距離は縮まる一方に思えていました。突如、国境に見えない壁が立ちはだかったと思ったら、身動きの取れない不自由さは国内にも拡がっていきました。

 

しばらくは何も手につかず、何もしない「空っぽ」の日々を生きていましたが、ふと気がついたらパンを焼いていました。焼き上がったパンの香りが部屋に広がり始めると、なぜか部屋の空間が広く感じられ、ロンドンで愛聴していたCDを久しぶりに聴くと、今度は同じ空間が懐かしいロンドンの家の空気に様変わり。あの独特な間接照明の世界さえ感じられました。

 

これまでの「空間」と言えば、演奏させて頂くホールやコンサート会場のこと。毎回異なる「演奏空間」を察知するために第六感も総動員し、いかにその空間をピアノの響きで満たすか、「時間芸術」である音楽を聴衆の方々とどう共振・共有できるかをいつも考えてきました。ホール同様に、この部屋空間でさえも変幻自在な「空間箱」だったのではないかと感じ始めた瞬間から、今度はピアノを練習する音楽室が全く新たな空間に思えました。

 

人間の意識とは本当に不思議なものです。日々の様々な場面で「空間を意識し空間を彩る」ようになっていき、私の一文字漢字は「空っぽの空」から「空間の空」に変わっていきました。

 

時を同じくして「会えない代わりにリモートでアンサンブル動画を作ってみませんか」という演奏家仲間からの呼びかけに試行錯誤する日々が始まりました。

 

お客様のいない演奏。しかもデータのリレーです。時間差で音を重ねていくのです。自分の録音に乗ってくるであろう共演者の音をイメージしながら音楽と向き合い、コツコツと表現を磨き、作品として仕上げて一人収録という本番を迎える。それは、いつもの本番へのプロセスをコマ割りに細分化したものでしたが、その心持ちはいつもと何一つ変わらぬものでした。

 

時間だけはたっぷりある中、この作業は私が演奏家として命題に掲げている「表現は細部に宿る」に思わぬ形で取り組むことに繋がり、その結果、これまで感じていた表現上の不自由の一つから解放され、久しぶりに「自由」すら味わうことができたのです。

その時にベランダから見上げた空の大きかったこと。「空間の空」は「大空の空」でもあったのです。

 

緊急事態宣言下、三重県文化会館の担当の方から「今、田村さんを東京から呼べないけれど、田村さんのオリジナル企画 “マイ・ベストシート・コンサート”は、コロナ禍に実施するにふさわしい企画なので、休館を余儀なくされた後のリオープン記念事業として実施したい」とお話をいただき、企画提供・監修者として全3回シリーズ公演に関わらせて頂くことになりました。

 

ご出演下さる三重県出身の演奏家や担当の方とリモート会議を重ね、初回は東京からオンラインで公演を見守り、第2回目は幸いなことに現地に伺うことができ、司会進行。自宅の空間箱を意識し続けた思わぬ副産物だったのでしょうか。久しぶりに、この慣れ親しんだ大ホールの舞台に立った瞬間、これまで気づかなかった様々な空間情報を察知していました。

 

それはまるで、目や耳が増え、目が3つ+耳が3つ+鼻の穴が3つの人間になってしまったくらいの衝撃的な知覚変化でした。その後、演奏の現場が再開され7ヶ月が経ちます。この新たな感覚を携え、聴き手の皆さんと同じ空間を共有しながら演奏する喜びを感じながら過ごしています。
 

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第二回マイベストシートコンサート@三重県文化会館大ホール[2020年8月] 米本希(チェロ)江川智沙穂(ピアノ) 田村緑(ナビゲート) 写真提供:三重県文化会館
 

「変わらぬ音楽」があるおかげで、変わらず音楽に向き合えること。その音楽に対峙することで変わっていけること。音楽は聴いて下さる方々にとっても、すぐそばにあり続けられる音楽であってほしい。そのために何ができるのだろうか。そんな事を考え続けた1年間でした。

 

今現在、コロナの収束は見えず、未だに苦しい状況に置かれていることに変わりはありません。

最近、特に気がかりなのが、子ども達が置かれている状況です。現場は揺れています。やむを得ず全ての行事と同じようにアウトリーチが中止になったり、アウトリーチだけは実施されたり、音楽の授業で合唱・合奏ができたりできなかったり。近所の小学校では、リコーダーも鍵盤ハーモニカも使用できない中、全員合奏を諦めないために、GIGAスクール(*)で全員に配布された、iPadのGarage Bandを駆使してベートーヴェン「運命」の合奏に挑戦したり。

 

子ども達が学び続けられる環境を創出していくことに教育現場や地域の方々が尽力されていらっしゃる今、私も一演奏家として同じように、この先どんな状況になっても、いつでもどこでも必要とされた時に音楽を発信・共有できる環境を備えておきたいと思うようになりました。

 

新たな試みとして自宅の演奏基地化も始めています。2月末には、福島県いわき市の子ども達と自宅をリモートで繋ぎ、「三和小学校とリモート!ピアニスト田村緑 オンライン・コンサート」をいわきアリオスの方にご協力頂きながら初めて実施しました。そして、子ども達の参加型作品として創り、全国各地の子ども達と長年共演してきた「ハンドベルと奏でるパッヘルベルのカノン」(田村緑編曲)をオンライン共演しました。

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2021年2月 三和小とリモート!ピアニスト田村緑 オンライン・コンサート
 

何が正しいかはわかりません。でも会える日が来るまで、オンラインが持つメリットも最大限に活用し、子ども達がアートに触れる機会を減らさないようにしたいと思っています。つい先週から、同じ課題を感じておられるホールの方々と新たなカタチの模索が始まりました。「懐の深い」音楽の可能性を共に見つける機会にしていきたいと思っています。

 

私たちの日常、そして世界は目まぐるしく動いています。人間の有り様に直結するアート。つくる人も、支える人も、みる人も、一丸となってアートの未来を共に創っていけますように。

 

*GIGAスクール構想
2019年に文部科学省から発表されたプロジェクト。GIGAはGlobal and Innovation Gateway for Allの略。小・中学校、特別支援学校等の児童・生徒にひとり1台のPC端末と高速大容量の通信ネットワークを整備し、次世代の教育ICT環境を実現するというもの。

田村 緑 (ピアニスト)

東京都出身。桐朋女子高校音楽科卒業、英国・ギルドホール音楽院ピアノ科首席卒業、ロンドン・シティ大学院修士課程修了。その後、特別研究員として母校の音楽院に勤務。IC・ベートーヴェン・ピアノコンクール第1位受賞。ロンドンの名門、ウィグモア・ホール・リサイタル、BBCテレビ・ラジオ出演、ヨーロッパや中近東へ演奏活動を行う。帰国後、その躍動感に満ち、情感あふれる演奏スタイルと、在英経験を活かした独創的プログラムが注目され、全国各地でコンサート活動を行う。聴き手が、音楽を楽しめる体験とするために、様々な手法を生み出すピアニストとして貴重な存在であると同時に、普及の分野では先駆者的存在。地域と共にある新しい企画の開発、地域に貢献できる演奏家の育成など、活動は多岐に渡る。一般財団法人地域創造「公共ホール音楽活性化事業」協力アーティスト。2016〜2018年度 いわき芸術文化交流館アソシエイト・アーティスト。2020年9月、オリジナル企画の提供と監修で話題となった三重県文化会館「マイベストシート コンサート」の特集番組は、2020年9月23日NHK「まるっと三重」にて放送され、10月21日にはNHK「おはよう日本」にて全国放送される。CD「田村緑 魅惑のピアノ名曲集」「展覧会の絵」ほか。


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