一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.4

村田眞宏(前 豊田市美術館 館長)

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 新型コロナウイルス感染症の世界的な流行は、今もまだ収束の見通しがたっていません。ようやく日本でもワクチンの接種が始まりましたが、それによって期待されている効果が得られるまでには、まだまだ相当の時間がかかりそうです。

 

 今回の新型コロナウイルスのような感染症が、これほど大きな社会的な影響をもたらす危険性があるということを予見していた人はほとんどいなかったでしょう。私も20世紀の初頭に起きたインフルエンザ感染症(通称:スペイン風邪)の世界的な流行によって、4000万人とも5000万人ともいわれる人々が犠牲になったこと。そのなかに例えばオーストリアの画家、エゴン・シーレ(1890-1918)がいたというようなことを、おぼろげながら知っているに過ぎませんでした。

 

 そして当時と比べて医療レベルが格段に進歩した現代においては、もうあのようなことは起こらないだろうと考えていました。実際にエボラやサーズ(SARS)、マーズ(MERS)といったウイルス性の感染症は、その流行を一部地域に封じ込めるための対策によってコントロールされてきました。そのため新たな感染症の世界的な大流行といったことは、もう自分たちの身にまでは降りかかってこないと思っていました。ところが、この想定外の世界的な流行が、実際には起きてしまったのです。

 

 人類の歴史を顧みれば、それは感染症との闘いであったといっても過言でないということが分かります。世界各地で、そして日本でもさまざまな疫病(感染症)の大流行が繰り返して発生し、そのたびに多くの人たちが犠牲になり、苦しめられてきました。感染症の流行によって命を落とした人の数は、戦争や災害による犠牲者の数と比べものにならないほど多かったのです。

 

 日本での記録は、日本最古の歴史書である『日本書紀』に第10代崇神天皇の時代に疫病が流行し、民の半分以上が亡くなったという記述から始まります。崇神天皇が実在であれば、弥生時代後期頃のことと考えられます。そして西暦700年頃からは、たびたび天然痘が流行し、多くの人がその犠牲になりました。その後もコレラやペスト、麻疹、梅毒、結核などの感染症が日本の人々を襲ってきました。人類が撲滅にまで追い込むことができた感染症は天然痘だけですから、これからも各種の感染症ウイルスは変異を繰り返すなどして私たちに襲いかかってくることでしょう。

 

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エゴン・シーレ《カール・グリュンヴァルトの肖像》1917年(豊田市美術館)


 今回の新型コロナウイルスの世界的な流行をさして、しばしば「未曽有のできごと」という表現が使われます。しかし、それは決して未曽有のことではないのです。むしろ感染症の脅威に極めて鈍感になってしまっていた私たちが、それを想定していなかっただけです。

 

 東日本大震災をはじめとする大災害が発生するたびに、同じように「未曽有のできごと」という表現が使われてきましたが、歴史に学べばそれが未曽有のことではないということはすぐにわかります。現代に生きる私たちが、そのようなことを経験していないということだけを頼りに「まさかそのようなことは起きない、起きるはずがない」と自分に信じ込ませて、都合の悪いことを想定していなかっただけです。

 

 マイクロソフトの共同創業者であるビル・ゲイツ氏が2015年に行った講演で、アフリカで流行したエボラを例にしながら、このウイルスは空気感染しないことなどの要因から流行をアフリカの一部の国だけに抑え込むことができた。しかし、空気感染する何らかのウイルスが流行すれば瞬く間に世界に広がり、深刻な事態をもたらすことになると指摘しました。そしてそれに対して必要な対策と体制を構築することの必要性を訴えました。まるで数年後に発生する、今回の新型コロナウイルスの世界的な流行を予言し、それへの対策を急がねばならないと警鐘を鳴らしていたようでした。

 

 阪神・淡路大震災以降、頻発する自然災害に直面するようになって、私たちはいつまた起きるかわからない災害にも備えなければならないと考え、行動するようになってきました。それと同様に、これからの社会は、そして文化施設の運営や事業の計画と実施にあたっても、リスクマネージメントの一環として、感染症対策についても必要な想定をしていかなければならないということを、今回の新型コロナウイルスの流行は教えてくれているように思っています。

 

 現在もその収束を見通すことができない新型コロナウイルス感染症と向かい合うなかで、文化芸術活動の領域では何が期待でき、何を成しえることができるのでしょうか。少しはポジティブなことを考えてみたいと思います。

 

 まずは、この状況に応答するかたちで、何らかの創作活動などが起こってくるのだろうということです。これも過去を振り返ってみると、数々の感染症の流行はその時代や地域の人々にとっては悲しく過酷な現実ではありました。しかし一方で、各時代や地域を代表するような文化遺産や芸術作品のなかには、感染症の流行をはじめとして、戦争や災害などの災禍を背景として生み出されてきたものが少なからずあることも忘れることができません。

 

 例えば、奈良時代に聖武天皇が主導した東大寺の造営と廬舎那仏(奈良の大仏)建立の背景には、735年から737年にかけて大流行した天然痘があったといわれています。この時の天然痘の大流行では当時の日本の人口の25%~35%、およそ100万人から150万人が死亡したと推計されています。そのため聖武天皇は疲弊した社会と人心を安定させさることを目的として、743年に大仏の建立を発願したとされています。

 

 また、同じ743年には墾田永世私財法が定められていますが、これも天然痘の流行によって疲弊した人々の生活を立て直すための施策だったということです。この大仏建立と東大寺の造営には莫大な労力と費用が必要だったため、未だ疫病の災禍から立ち直っていなかった人々には、かえって大きな負担となってしまったようです。しかし、こうして造営、建立された東大寺の伽藍や大仏をはじめとする諸仏は、奈良時代を代表する文化的遺産となって今日にまで伝わっているのです。

 

 奈良の大仏に限らず、それぞれの時代を代表するような文化遺産のなかには、疫病の流行が背景となっているものが少なくありません。例を挙げればきりがありませんが、京都宇治の平等院鳳凰堂に象徴される平安時代後期の浄土信仰とそれに関連する美術の流行は、度重なる疫病や戦乱、災害を背景とした末法思想のたかまりによって、阿弥陀仏の救済を強く願うことによってもたらされたものです。また、夏の京都を彩る祇園祭は、もとは貞観時代(9世紀)に祈祷によって疫病退散を祈った祇園御霊会が起源といわれています。

 

 20世紀初めのスペイン風邪の世界的な流行からおよそ100年ぶりに発生した今回のコロナウイルス感染症の世界的な大流行は、今の時代だからこその芸術表現や新しい文化活動を生み出す契機となる可能性があるのです。

 

 たとえば、今回の新型コロナウイルスの大流行は、インターネットをはじめとする現代に普及した情報通信技術を活用するまたとない機会となっています。既にその環境は整えられながらも、その活用への取り組みは必ずしも十分ではなかったインターネットでの発信、配信やオンライン会議の開催は、今回の大流行で一気に拡大しました。

 

 その多くはこのコロナウイルスへの対応として、リアルでの実施が困難である事業などの代替えとして始まったことでした。しかし、実際にそれを体験してみると、そこには大きな可能性があることにも気づかされました。

 

 それは私が参加した文化財防災に関するシンポジウムのことでした。このシンポジウムは実際の会場にパネリストや聴講者も集まって開催されましたが、同時にオンラインでの参加も可能としたものでした。その結果は実際に会場に集まった人数より、オンラインでの参加の方がはるかに多くなりました。これはすべての参加者が会場に集まることで生じる密集状態を回避するためのものでしたが、それによってより多くの人が参加可能となりました。

 

 このようにリアルでもオンラインでも参加を可能とすることは、単にコロナウイルス対策だけにとどまらず、文化施設や教育機関が実施する事業のバリアフリー化のひとつの方策となりうるものです。例えば健康上の理由から、あるいは仕事や育児などの制約があって、実際に会場まで出かけることは難しいがオンラインなら参加できるという人にも、これまでは閉ざされていた扉を開くことができるのです。

 

 最近ではコンサートなどもリアルとオンラインのハイブリッド型で開催されるものもあります。とはいえコンサートや展覧会は、やはり実演や実物に接してこそ、伝わるもの、受け取れるものがあるから、それを何よりも大切にしたいと考えている人は少なくないはずです。また、オンライン配信にも経費や手間がかかりますから、何もかもというわけにはいかないでしょう。でもインターネットの積極的な活用や、リアルとオンラインのハイブリッド型の事業運営は、単にコロナウイルス対策のために致し方なく採用するというだけにとどまらない、より積極的な意義を見出すことができるはずです。

 

 この新型コロナウイルスの世界的な流行という歴史的な出来事をただの災禍として終わらせるだけでなく、むしろチャンスにして、芸術領域の様々な表現活動や、文化施設の事業運営などにも新たな可能性が開かれていくことを期待しています。

村田眞宏 プロフィール

1954年三重県生まれ。関西大学大学院文学研究科博士課程前期修了(美学美術史)。1982年に福島県職員となり県立美術館の開設準備に従事。1984年福島県立美術館の開館にともない同館の学芸員となる。1989年愛知県新文化会館建設事務局に移り、再び美術館の開設準備に携わる。1992年愛知芸術文化センター愛知県美術館の開館とともに同館学芸員となり、安田靭彦展、菱田春草展、北川民次展、関根正二展などの展覧会を担当。2011年愛知芸術文化センター愛知県美術館館長に就任。2015年豊田市美術館館長。2021年豊田市博物館準備室参与。

1995年阪神・淡路大震災における文化財レスキュー活動に全国美術館会議から参加したのを契機に美術館や文化財の防災にもかかわる。2011年全国美術館会議東日本大震災復興対策委員会副委員長。2015年同会議保存研究部会会長、2017年同会議災害対策委員会委員長に就任。一般社団法人全国美術館会議理事、美術館連絡協議会理事、一般財団法人地域創造理事。