一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.5

 新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、2020年2月26日に政府による自粛要請が行われて以降、舞台芸術界は多大な影響を受けてきました。公演の中止・延期などによる損額の実態を把握するための調査を行い、その危機的状況を受けて、同年5月に立ち上がったのが「緊急事態舞台芸術ネットワーク」です。世話人には日本を代表する舞台系団体の代表らが名前を連ね、参加団体は公立・民間の劇場、劇団、制作会社、チケット販売会社、舞台技術会社などこれまで横の繋がりのなかった舞台芸術関連事業者約240団体が参加しています。世話人のひとりとして、公演再開やオンライン配信などの体制づくりに奔走されてきた「骨董通り法律事務所」代表パートナーの福井健策さんに、この間のネットワークの動きについて寄稿していただきました。

福井健策(骨董通り法律事務所 For the Arts 代表パートナー)

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執筆日:2021年6月11日

緊急事態舞台芸術ネットワークの立ち上げと活動

 まだ1年しか経っていないということ自体、目まいがしそうな思いですが、あくまで主観からの報告を試みたいと思います。とは言っても、ネットワークについては去る6月9日、1年間を振り返るまさに事務局労作の活動報告書を発行したばかりであり、また事務局長である伊藤達哉さんなど複数の報告も公開されていますので、詳しくはそちらに譲ります。以下、2020年中の動きはごく簡単にとどめます。

 きっかけは言うまでもなくコロナ禍で、特に2020年2月26日のほぼ事前予告なき安倍首相(当時)のイベント自粛要請です。これによりほとんどのイベントは開幕直前に自粛中止を迫られ、経費は損失と化し、多くの主催者・関係者が高額の負債を抱えることになりました。更に活動を続けようとする個人・団体にはバッシング、「イベントは危険」という風評被害、活動の場を失った舞台人とファン達の精神的な危機が追い打ちをかけます。4月に入り、野田秀樹さんから「この状況を何とかしたい」とご相談があり、高萩宏さん(東京芸術劇場)や渡辺弘さん(彩の国さいたま芸術劇場)とご相談して、5月に立ち上げたのが「緊急事態舞台芸術ネットワーク」(以下、ネットワーク)でした。

 主な活動は、政府への各種支援の要請と(当初まったく使えなかった)支援内容の改善協議、支援策についての情報発信や無料相談、公演開催のガイドライン策定と政府交渉、安全な開催の呼びかけ、税務相談などなどです。ジャンルを超えて主要な舞台系団体が集った参加団体数は240を超え、これほどの連帯はおそらく明治以降空前かと思います。支えて来たのは各社から集ったボランティアの事務局とプロジェクトチーム(PT)メンバー、世話人の皆さんでした。

 

2021年以降の最近の動き

 多くの課題を抱えつつも公演再開も政府支援も軌道に乗りかけたと見えた20年末、再びの感染拡大が日本を襲います。1月の再度の緊急事態宣言に備えて政府との交渉を加速させました。この時点で、ネットワーク加盟団体では徹底した感染対策を進めた結果、客席でのクラスターはほぼ抑え込んでいた状況でした*1。なぜ事あるごとに、会話も飲食もないコンサートや舞台が名指しされるのか、感染リスクが高くない以上は通常の企業活動と同じはずなので、名指しすること自体を避けて頂きたいと強く申し入れ、動員5000人までは100%入場可を勝ち取ることができました。

 が、4月23日に発出された3度目の緊急事態宣言では、「人流自体の抑制」を理由にイベントは完全中止要請へと後退。他産業との比較データもない「人流抑制論」に現場には無力感が募りました。ここから、音楽系4団体やWe Need Cultureなどの皆さんと連携しての声明や文化芸術振興フォーラムでの訴え、協力議員や文化庁・経産省とも連携しながらの政府コロナ室・西村担当大臣との直談判に再び挑みました。

 協議のさなかに、名古屋市での劇場クラスター発生の報道の直撃を受けます(今回も「演劇クラスター」をあえて強調する記事が散見されました)。開催緩和の交渉がもっとも危機的だった瞬間です。「不合理な制約を強いればモラルダウンや造反を招くだけ。合理的な制約のもとで業界と協力して状況をコントロールすべき」と、世話人*2やPTメンバーが各方面で訴え、政府基準を50%・5000人に戻させ、東京都にもどうにかこれに合わせて頂きました。そして、最大の難敵である大阪府とのあらゆるチャンネルを使った協議が続いている、というのが本稿執筆時の状況です(※)。

 協議と並行して、感染予防策の現場への徹底呼びかけと共に、来日条件の緩和、ワクチン集団接種のフリーランスへの拡大など、粘り強く交渉を続け、少しずつ改善を勝ち取っていきました。また、補助金の交付スピード化などの交渉も続き、「新たな事業の経費補助は限界であり、個人から団体まで損失の規模の応じた補償を」と訴え、補償は未達成ながら固定費補助などに結び付けることができました。これまで決定されたイベント・芸術文化への政府支援の総額は、約2500億円に及びます*3

 こうした支援制度の受け皿にネットワーク自体がなることも求められ(=逃げられず)、行ったのが、後述する「EPAD」事業、そして先日採択が決まった文化庁「アートキャラバン」事業です。後者は特に全国的な公演事業や地域団体に向けた支援で、ARTS for the future!(AFF)を補完する性格があります。ネットワークは一般社団法人演劇興行協会と実行委員会を組み、全国で公演事業を展開して行きます。

 そしてこうした事業の受け皿となるためには、ネットワーク自体の法人化も急務となり、現在その検討と準備を、伊藤事務局長や特設のPTが急ピッチで進めているところです。以上がネットワークの今の状況です。
※6月21日からのまん延防止当重点措置への移行にともない制限緩和。
 

*1 20年7月の新宿の事例は観客参加のゲームイベントだった旨の公文協報告書あり。
*2 野田秀樹、吉田智誉樹(劇団四季社長)、池田篤郎(東宝常務)の3代表世話人ほか、世話人のリストは緊急事態舞台芸術ネットワークHP(http://www.jpasn.net/)参照。
*3 カウント法による。上記は予備費を含むJ-LODlive補助金、文化庁継続支援、AFF予算などを含み、他方、Go Toイベントは除く。

 

舞台芸術のデジタルアーカイブ「EPAD」事業

 次いで、ネットワークが支援制度の受け皿となった舞台芸術のアーカイブ+デジタルシアター化事業(EPAD)を紹介しましょう。これは、文化庁委託事業として、寺田倉庫との実行委員会形式で採択されたものです。これまた、伊藤さんや私自身のインタビュー記事、EPAD事務局による精緻な報告書などがあるので、ご覧頂ければ幸いです*4。ざっくり言えば、支援のために新たな事業を求めるのではなく、コロナ禍で公演が出来なくても、舞台映像などの過去資産をコンテンツとして二次展開可能にすることで収益につなげられないか、という発想の事業です。

 様々なジャンルの主催者に過去の公演映像を提供して頂き、1283本収集。これを早稲田大学演劇博物館が所蔵し、メタデータと共に公開(予約により館内視聴可)*5。そのうち権利処理可能な映像をセレクトし、専従スタッフや弁護士らのチームが権利者からの了承を集め、約290本を協力プラットフォームで商用配信可能にしました。同時に、日本劇作家協会や日本舞台美術家協会、日本演出者協会ほかとの協業で、過去の戯曲553本、舞台美術2500点をデジタル公開。また消えて行くスタッフ技術継承のためのeラーニング動画も66本製作しました*6

 特に舞台映像の配信可能化は、関わる権利者があまりに多いこと、既存の音源を多用することからレコード会社などの「原盤権」、外国曲の「シンクロ権」といわれる追加の権利処理が困難を極めるなど、「権利の壁」に直面します。これを権利者団体など業際・業界横断的な協力関係で乗り越え、将来も活用可能なコンテンツとして残すことがプロジェクトの眼目でした。

 幸い、事務局の努力で、短期間でこれだけのコンテンツの集積・公開をしつつ、事業予算全体の72%までを権利対価(及び一部は新規収録の補助)などとして現場に直接還元できました。舞台芸術界だけでなく政府においても、ライブイベントのDX化*7対応にブレークスルーをもたらしたという評価を受けることができ、現在、後継プロジェクトの議論が進んでいます。

 課題としては、前述した「権利の壁」を今後いかに低くできるか、そのための法や業界ルールの見直し、各関係者の権利知識や契約スキルの向上、一点一点は必ずしも多くの視聴を集めないアーカイブ作品について各関係者にどううまく小口の収益を還元するか(マイクロペイメント)、の問題があげられるでしょう。言うまでもなく、こうした過去映像などと、現実のライブビジネスをどう幸福に結び付けて行くかという、マーケティングの進化は最も重要となります。
 

*4 EPAD事業報告書や各インタビュー記事の紹介は、EPADポータルサイト(https://epad.terrada.co.jp/)を参照。
*5 https://enpaku-jdta.jp/
*6 以上、全体像は前述EPADポータル、充実の戯曲デジタルアーカイブは日本劇作家協会特設サイト(https://playtextdigitalarchive.com/)参照。
*7 デジタルトランスフォーメーション化。ITにより社会をよりよく変化させ、新たな価値を創出すること。

 

今後の課題

 最後に自分から見えた、ネットワークと舞台芸術界が直面する課題を挙げます。

 残念ながら、我々の社会は今後も少なくとも何年にもわたって、感染症や災害のリスクに対してセンシティブにならざるを得ない「リスク過敏社会」であり続けるでしょう。その中でライブイベントが輝きを放ち、社会に活力を与え続けるには、もっともっと強じんな存在になる必要があります。

 そのためには、EPADに代表されるようなDX化・アーカイブ化との幸福な結合も進化させる必要があります。また、政府や自治体とのエビデンスベースに基づく開催制限の交渉、業界内のガイドライン作り、契約・規約慣行の見直し(イベント中止や払戻・支払い条件など)、保険や政府支援制度のありようも、不断の見直しと努力が必要になります。それを担う、舞台芸術界のステークホルダーの意見をどう集約して発信するかの組織論は、その要となるでしょう。

ネットワークの取り組みは、つまりそのための活動であり、その道筋がついた時に(少なくとも今の形での)役割を終えるように感じます。

福井健策 プロフィール

1965年生まれ。日本の弁護士、ニューヨーク州弁護士。エンターテイメント領域、著作権法を専門分野とする骨董通り法律事務所 For the Arts 代表パートナー。「エンタテインメント法実務」(編著)「改訂版 著作権とは何か」など著書多数。デジタルアーカイブ学会理事や、政府審議会・委員会の委員を歴任。2020年に立ち上がった緊急事態舞台芸術ネットワークの世話人として「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化(文化庁EPAD)事業」を牽引。

骨董通り法律事務所
https://www.kottolaw.com/