一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.7

田村一行(大駱駝艦)

 田村一行©松田純一※トリミング済み.jpg

 鎖につながれ蠢く白塗りの裸体。見てはいけない何かを覗くような背徳感と押さえられない好奇心。地獄の中心に立ち昇天してゆく紛うことなき怪物・麿赤兒。始めて目にした大駱駝艦の舞台『雨月~昇天する地獄』は映像であったものの、私のそれまでの表現への価値観、思考の根幹を全て覆させました。
 

 その時に真っ先に浮かんだ気持ちはただの「感動した」「面白かった」ではなく「一秒でも早くあの世界に行きたい」でした。そして大学に入学してまもなく大駱駝艦の門を叩き、あっという間に四半世紀が過ぎていきました。


 見えざる物と生きるのは舞踏家の特権です。ですがここのところあらゆる人が見えない魔物と対峙しています。最近の生活に関わる変化はとても早く、逆に変わらないものが良く分かります。私から当然のように踊りは無くなりませんでした。


 人類が生存していくために一丸となって戦う中、私は少しの罪悪感と共に裸になって身体を白く塗り、いつものように身体を奇妙にくねらせていました。今、小学1年生の娘までもが得体の知れない疫病に踊らされています。


 マスクの中の先生はどんな表情をしているのでしょう。給食の時間はウイルスとの戦いの場ではありませんし、友人に触れるということは特別な行為ではありません。疫病がもたらす被害は物理的に数値化できるものだけではありません。将来この呪縛が解けることはあるのでしょうか。


 私はこの騒動の先に、古き良き日々の感覚を思い起こすためにも、踊り・芸術・表現というものが本当に求められる時代が来るのだと感じています。なので私はその日のため今日も身体を白く塗り、奇妙に身体をくねらせるのです。

 

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大駱駝艦・天賦典式 創立45周年公演 『超人』『擬人』(撮影:川島浩之)

 
 さて、私は大駱駝艦の舞踏手、田村一行と申します。2011年から現代ダンス活性化事業の登録アーティストとして活動させていただいております。


 自分にとっての踊りとは、師匠麿赤兒の教えが自分なりの血となり肉となったものに他なりません。各地では大駱駝艦のメソッドを中心に、様々なアウトリーチ・ワークショップ・市民参加作品の創作等を実施させていただいています。


 舞踏の歴史は1959年、秋田県出身の舞踏家・土方巽の『禁色』という作品から始まりました。舞踊の三大要素と言われる「ステップ・ジャンプ・ターン」は排除され、天へ向かって高く美しく跳ぶのではなく、時に畑仕事をする農民のようながに股になり、時に病床に伏せる女のように身体を捻じ曲げる。かつて誰も観たことのない表現は世界中に衝撃を与え、それまでの価値観を大きく転換させました。


 私の所属する大駱駝艦は1972年麿赤兒によって創設され、その様式を「天賦典式(この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする)」とし、世界に類を見ない舞踏カンパニーとして活動を続けています。


 舞踏はたくさんある舞踊のジャンルの中の一つでありながら、「それら以前のもの」とも言えるものです。私にとっては、田植え中に汗を拭う農民の所作、孫の元へ歩み寄る老人の危なげな歩行、台所に立つ母の背中、泣きじゃくる赤ん坊、初めて火を見て驚く原始人のジャンプ、求愛する鳥のステップ、樹皮に擬態し微動だにしない蛾、風にそよぐ蓮華草……このようなものこそを踊りだと考えます。


 踊りというと「動き」自体に目が行きがちですが、身体が「どこで、何を、どのように感じているのか」ということに注目するのです。例えば誰かが祈る姿、驚く姿を踊りとするならば、いかに心から祈るか、いかにその驚きと同じ驚きを体験するかが重要だと言えます。そこに上手い下手はありません。


 「踊りとはこういうものだろう」「表現とはこういうものだろう」という固定概念で外側の形を真似するのではなく、身体に何が起きているのか、どんな風景の中で何を感じ、何に動かされているのかという事と真剣に向き合う、それこそが私にとっての良い踊り・魅力的な肉体となるわけです。


 動くことだけが踊りではありません。立っていることだけ、座っていることだけでも踊りは始まります。表現とは自分が自分の意思で「する」ことではなく、そこに存在し「いただく」行為のことだと考えているのです。


 私は麿さんから振付をいただく時、動きを見るだけでなく麿さんがその時どんな世界にいて何を感じているのだろうかということをパッキングしようとします。それは温度や質感であったり、目に見えない色んなものを含んでいます。


 イメージとは「言葉にできない多くのものを含んだ全体像」です。そして「振り」とはその動作・仕草をしている時の人間が感じている感覚や背景を含んだ全てです。動きだけを真似しても「それっぽい何か」で終わってしまうのです。そこにある見えない風景・感覚こそが身体の密度となるのです。

 

 私は外国人を対象にワークショップをする際、「皆さんは雷が鳴ったら咄嗟にどういう行動を取りますか」と聞いてみます。それぞれに頭を抱えて震えたり、胸の前で十字を切ったりしてくれます。


 そこで私がお腹を手で押さえて見せます。そして「日本人は、咄嗟に、必ず、この仕草をします」と言うと、当然不思議そうな反応を示します。「雷様がへそを取って食べるので、へそを守らなければなりません」と説明を加えると、一同は神秘の国、日本を感じることになるのです。このように咄嗟に取る日常の身振り・手振りは、文化や取り巻く社会によって様々です。


 一体何が自分という存在を作っているのでしょう。


 大駱駝艦の最も基本的で重要な体の状態の一つとして、自分の周囲こそを実体と捉え、身体自体は自分の形をした空洞なのだという考えがあります。美の概念、善悪の観念、ゆるぎないと感じ疑いもしない様々な価値観は、文化や時代、環境によって大きく異なってくるものです。


 日本の子供は雷が鳴ったらおへそを隠します。当然であるはずの常識・習慣は、文化や時代によって作られ、それが無意識に植え付けられているものです。戦争が始まれば、大切な者のため人を殺さないといけないかも知れませんし、疫病が流行すれば、簡単に友人に近付くことすらできなくなりました。


 生まれ育ったタイミング、周囲の価値観、それはその人間のオリジナリティであり、人間を形成するための大きな要素です。


 このように、祖先から受け継いだ血を含み、自分が生きている文化・時代・環境・風土・民族・教育・宗教・言語などあらゆる周囲のものが自分を形作っています。すなわち自分とは自分以外の全てだと言い換えることができるのです。

 

©鹿島聖子※クレジット入り.jpg

 
 アウトリーチで出会う子供達、ワークショップに集まる興味深い表現者たち、市民参加作品で踊る皆様は、そこにしかない時間を背負い、そこにしかない特権的な風景を既に纏っています。それは訪れる場所で、一瞬だけ軒下を借りるだけの余所者には決して真似することのできないオリジナリティ溢れる身体です。

 

 表現・芸術・踊り・舞踏は全ての人間の中にあるものです。


 私の役目とは、既に持っている他者の個性、身体の魅力に指を指すだけに過ぎません。そうして日本中の興味深い踊りを盗み見ながら、私は自分という表現する身体を作り上げていただいているわけなのです。

 

 そして現代ダンス活性化事業を通して、私はたくさんの物語とも出会わせていただきました。


 うきは市の日岡古墳の同心円文は私を異世界へと誘い、珍敷塚古墳に描かれた死者を運ぶ船に乗って二匹のヒキガエルと共に冥界を旅しました。高知では旅芸者をしながらお遍路し、土佐の山間より出ずる自由民権歌を耳にする。荒谷の朝靄の向こうからは祖先達のえんぶり摺りの音が聞こえてきます。


 赤い玉は美しい乙女に姿を変え、その女性を追って渡来し神となった天日槍(アメノヒボコ)。その子孫の田道間守(タジマモリ)が常世から持ち帰った不老不死の実の香りは未だ豊岡を彷徨い、竹野の海に死を覚悟して浮上したリュウグウノツカイは、私に異世界の話しを語りかけてくれました。

 

豊岡市民プラザ「リュウグウノツカイ」.JPG

大駱駝艦・田村一行舞踏公演 市民参加型クリエイション公演『リュウグウノツカイ』
提供:豊岡市民プラザ・NPO法人プラッツ


 狩人の息子達が叩く祈りの一音は、夕暮れの大井川に乗って彼方の世界に響き、長洲町では「カンネンサイ、カンネンサイ」と金魚が嫁入り唄を歌います。飯山市小菅神社で行われる三年に一度の修験の神事、一晩山に籠った少年は赤い服を着てヤマンバと手をつなぎ、燃えてゆく二本の柱松。八尾市の河内音頭と血天井、土佐清水から生まれたジョン万次郎の流離譚は未だ続き、宮古の海と風が運ぶ物語、豊橋の町中から聞こえる妖怪のささやき…。
 

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令和3年度公共ホール現代ダンス活性化事業 市民と創造するダンス公演

『舞踏 豊橋妖怪百物語』撮影:萩原ヤスオ

 

 私は部屋にこもらねばならない陰鬱な時間、そっとその異界への扉を開いてみるのです。そこには自分の歩いた痕跡が確かに残っています。


 思い返せば、どれだけの場所で、どれだけの話しが、どれだけの人が私を踊らせてくれたでしょう。それら全てはこの上なく光栄な、かけがえのない財産です。


 そのことは私にとって、世界がこれからどんな驚くべく変化をもたらそうとも変わることがないものです。私はどんな状況に置かれても、その怪しげな扉を探す旅を続けるのでしょう。そしてその扉の案内人と、踊りを見届けてくださる方のため、身体を白く塗り、奇妙に身体をくねらせるのです。

田村一行 プロフィール

日本大学芸術学部卒。1998年大駱駝艦入艦、麿赤兒に師事。以降、大駱駝艦全作品に出演。02年、『雑踏のリベルタン』を発表。同作品により第34回舞踊批評家協会新人賞受賞。08年、文化庁新進芸術家海外留学制度によりフランスへ留学。地域の文化や風土を題材とした作品の創作にも意欲的に挑み、独自の作品を発表し続けている。小野寺修二、宮本亜門、白井晃、渡辺えり、笠井叡、ジョセフ・ナジ、小松原庸子の舞台など客演も多数。また、子供から高齢者まで幅広い対象者への舞踏ワークショップ・アウトリーチを各地で展開し、好評を得ている。11年より(一財)地域創造「公共ホール現代ダンス活性化事業」登録アーティスト。 

大駱駝艦 http://www.dairakudakan.com/