一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.8

平田オリザ(劇作家・演出家・青年団 主宰・芸術文化観光専門職大学 学長)

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 私の暮らす兵庫県北の但馬地方は、東京都とほぼ同じ面積を持ち人口は16万人弱、その中心の豊岡市は23区と同じ面積を有して人口は8万人。典型的な過疎地域だ。

 この広大な地域に、これまで4年制大学が一つもなかった。大学の誘致は悲願であり、また地方創生の切り札とも考えられてきた。

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芸術文化観光専門職大学キャンパス

 一方で私が生業とする演劇界にも、大きな悲願があった。日本には演劇の実技を本格的に学べる公立大学がない。わかりやすい例でいうと、多くの先進国では高校の選択必修に演劇がある。日本では「音楽・美術・書道(まれに工芸)」だが、普通の国は「音楽・美術・演劇」だ。韓国も5年ほど前にすべての高校の選択必修に演劇を入れたと聞く。台湾、シンガポールでも演劇の授業を持っている高校は多くある。日本はアジアの先進国の中でも、この点で後れをとっている。

 多くの国の多くの高校には、音楽や美術の先生がいるのと同じように「演劇」の先生がいて、その育成のために国公立大学に演劇学部がある。日本にだけ、このサイクルがない。

 昨年の春、他府県に先駆けて、演劇やダンスの実技が本格的に学べる公立大学として、兵庫県立芸術文化観光専門職大学が開学し、私はその初代学長に就任した。地域と業界の悲願が重なって、新しい大学が誕生したのだ。

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平田オリザ氏による授業風景

 少子化の時代、この過疎の地域に大学を作って学生は集まるのかと心配されたが、初年度は平均で7.8倍、偏差値が高めに出たので2期目の今年は若干下がったが、それでも4倍弱の高倍率を維持している。受験者は北海道から沖縄まで幅広く、入学者の85%が第一志望となっている。

  なぜ観光と芸術なのかとも、よく問われる。しかし日本以外の多くのアジア諸国は、観光政策と文化政策は一つの省庁が司っている。日本だけが文化庁は文部科学省、観光庁は国土交通省にあって一体型の政策となっていない。

 コロナ以前、日本、特に関西はインバウンド観光で賑わってきた。これはもちろん観光業界の大きな努力の賜だが、一方で外的な要因としては円安と東アジアの経済発展があげられる。中国と東南アジアに10億人近い中間層が一挙に出現しつつある。年間の所得が3百万円を超えたあたりから、どの国の人々も海外旅行に出かけ始める。中国、東南アジアの人々が初めての海外旅行先に、安くて、近くて、安心安全な日本を選んでくださった。

 しかし、次にもう一度日本に来てもらうのに、富士山を何度も観たいという方は少ないだろう。2度目、3度目の海外旅行では食やスポーツも含めたコンテンツが重要となる。これを観光業界では「文化観光」と呼ぶ。その中でも日本が特に弱いのが、夜の文化観光だと言われている。ブロードウェイのような家族で安心して楽しめるミュージカルなどナイトカルチャー、ナイトアミューズメントが少なく、多くの外国人観光客が「日本は夜が退屈だ」と嘆く。

 かつては男性しか旅行をしなかったから、観光地のそばに歓楽街を作っておけばよかったが、今は家族旅行が主流だ。ジェンダーを越えて喜ばれるもの、子どもと一緒に楽しめるもの、参加体験型のもの、そういったエンタテイメント、アミューズメントが用意されていなければ観光地としては発展が望めない。本学は、そのようなエンタテイメントを企画し、運営し、実践できる人材を育成していきたいと考えている。

 芸術文化観光専門職大学は、芸術と文化と観光を個別に学ぶ大学ではない。文化観光の中でもとりわけ重要な芸術文化に特化した観光学、すなわち「芸術文化観光学」という新しい、しかしこれからの日本になくてはならない領域を学ぶ大学だ。

 私は早くから学長就任が内定していたため、開学に先駆けて2年前に、この但馬の地に家族で移住をした。主宰の私が引っ越したので、劇団も移転をすることになった。豊岡市には稽古場の紹介をお願いしていたのだが、JR江原駅前に元の町役場であった瀟洒しょうしゃな建物があり、思い切ってそこを買い取って本格的な劇場とした。

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江原河畔劇場(ERST)

  大学の開学、劇団の移転と連動する形で演劇祭も始めることとなった。

 2019年9月に試行として第0回を開催、20年にはコロナ禍で客席数を半分にしたものの延べ5千人の観客が訪れ、5千泊の実績を残した。この数は神鍋高原の9月の宿泊者数を10%以上引き上げる結果となった。

 芸術文化観光専門職大学では、1年次は全員が、2年次以降も志望者が、この演劇祭に実習生として参加する。半分の学生が参加したとしても、150名のきわめて優秀な学生ボランティアが常に確保された恵まれた演劇祭となる。

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「豊岡演劇祭2020」

  大学も演劇祭も、豊岡、但馬の地域課題と直結している。豊岡市の観光において城崎温泉がエンジンであることは間違いない。しかし但馬地域には、竹田城や生野銀山などすぐれた観光スポットが他にも豊富にある。まだ、その回遊性は確保されていない。まだまだ観光地としての伸びしろはある。

 最終的に目指すのはアジアの富裕層の長期滞在だ。そのためには昼のスポーツと、夜の時間帯のアートが必須となる。本学は、但馬地域が国際的なリゾートへと脱皮するための重要な役割を果たすことになる。

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「豊岡 meets 大道芸」 ©Daichi Asakura

 文化観光の強みは、シーズンを問わない点にもある。9月に演劇祭を行うのは、そこが但馬の観光のボトムだからだ。但馬地方はゴールデンウィーク、夏の海水浴、冬の蟹とスキーといったように、季節によって集客が限定される。文化観光はその隙間を埋めて通年集客を実現できる。通年集客が実現できれば、通年雇用が可能となり有能な人材が観光業界に流れ込んでくる。本学は、そのサイクルの中枢になり得る。

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たじま児童劇団『十五少年・少女漂流記』舞台写真

 豊岡市はそれ以外に、市内36のすべての小中学校で演劇教育を導入している。すでに、その授業を受けた経験のある高校生たちの中にも本学を志望する生徒が誕生している。

 産官学がこれほどまでに連携し、舞台芸術を核にして地域創生を行う例は世界でも例を見ない。豊岡、但馬の挑戦を、ぜひ注視していただきたい。

平田オリザ プロフィール

劇作家・演出家・青年団主宰。芸術文化観光専門職大学学長。江原河畔劇場 芸術総監督。こまばアゴラ劇場芸術総監督。豊岡演劇祭フェスティバル・ディレクター。

1962年東京生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞。1998年『月の岬』で第5回読売演劇大賞優秀演出家賞、最優秀作品賞受賞。2002年『上野動物園再々々襲撃』(脚本・構成・演出)で第9回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2002年『芸術立国論』(集英社新書)で、AICT評論家賞受賞。2003年『その河をこえて、五月』(2002年日韓国民交流記念事業)で、第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。2006年モンブラン国際文化賞受賞。2011年フランス文化通信省より芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞。 京都文教大学客員教授、(公財)舞台芸術財団演劇人会議理事、日本演劇学会理事、(一財)地域創造理事、豊岡市文化政策担当参与、宝塚市政策アドバイザー、枚方市文化芸術アドバイザー。