一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.9

吉川由美(文化事業ディレクター・演出家)

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 2022年10月1日、宮城県南三陸町に、被災地で最後発の震災伝承施設となる「南三陸311メモリアル」がオープンした。縁あって、私はこの震災伝承施設の展示構成・コンテンツ制作を担当することになった。

 

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隈研吾建築都市設計事務所設計による道の駅さんさん南三陸の一角が「南三陸311メモリアル」。
左下の中橋、右下に見える南三陸さんさん商店街も同所設計。

 

 町には展示物となりうる津波被災遺物がほとんど残されていなかったこともあり、住民たちの被災体験の証言から展示コンテンツを構成した。

 

 のべ81時間になる89人の証言をアーカイブ。町内各場所でのエピソードを紹介するだけでなく、いざという時、もし自分だったらどう行動するかを来場者同士が対話し考える映像シアターを設けた。住民の証言をもとに繰り出される問いは、命を守るためにどうすればよいのかという葛藤につながるようにし、あえて来場者が問いを持ち帰るように構成している。被災した住民の思いを代弁するような伝承施設にするため、役場のみなさんと議論を重ねながら、「対話」と「葛藤」にこだわって作り上げたコンテンツである。

 

 災害伝承では「“語られる話”しか語られない」と、柳田國男は言っている。生死のはざまでの体験は、思い出すことさえつらいものだということを、私たちはカメラをまわす度にひしひしと感じてきた。一方で記憶の封印を解き、絞り出すように語られる訥々とした言葉ほど、災害がもたらした悲しみ、苦しみ、痛み、災禍を生き抜く力を強烈に伝えるものはない。住民の皆さんの協力がなければ、この展示は実現できなかった。

 

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南三陸311メモリアルの展示ギャラリー入口

 

 もうひとつ展示でこだわったことがある。それは、「防災」というカテゴリーにとどまらず、「すべてを失ったとき人はどう生きるのか」という普遍的な問いに出会える場にしたいということだった。震災直後、全国・世界の人々からご支援をいただいた。「生きる」ことへの問いを共有できる場を作ることが、被災地から支援者への恩返しであると私たちは考えた。全国・世界の人々においでいただけるような、言語や世代を超えた普遍的な場を創り出すために、伝承施設内にアートを内蔵することにしたのである。

 

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ラーニングシアターでは2種類のプログラムが上映される。上映時間が決まっているので、WEBサイトの時間割から事前予約がおすすめ。https://onl.tw/8BbXaRe

 

 フランスの現代美術家 クリスチャン・ボルタンスキー氏に制作を依頼したのは、2019年6月に来日された時だった。ボルタンスキー氏は東日本大震災の直後に三陸沿岸に足を運び、その惨状を目にしていた。お会いするとすぐに「南三陸の作品なら、すでにイメージしている」と語った。その作品とは、彼の代表作であるビスケット缶を重ねたタワーで空間を埋め尽くすインスタレーション「MEMORIAL」だった。

 

 なぜ震災伝承施設にアートなのか?

 

 災害の伝承施設では、津波など大自然の破壊力や被災状況を見聞きし、「恐ろしい」「大変だったんだな」と誰もが共感する。だが、それはどこか他人事だ。そもそも人は、自分に限っては自然災害に遭うことなどないだろうと考えている。平穏な日常では、一度に多くの命が失われることの悲惨さを想像することも難しい。私はかねてから、災害がもたらす「死」という残酷な現実に向き合わなければ、決して自分ごととして防災について考えないのではないかと感じてきた。

 

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クリスチャン・ボルタンスキー「MEMORIAL
PHOTO : 二村友也

 

 アートには、それに向き合うすべての人を当事者にする力がある。ボルタンスキー氏のインスタレーション空間に足を踏み入れた人は、ひと飛びに異世界に連れ去られる。積み上げられた箱が示すものは何か、そこに流れた時間はどれほどなのか、誰もが考えずにはいられなくなる。おびただしい数の無個性な箱は、失われた唯一無二の存在や命の尊厳を逆説的に訴えかけてくる。そこにリアルな内的体験が成立する。

 

 東日本大震災の体験者がこの世にいなくなった未来にも、この作品は言語と時を超えて、世界の人たちに命の尊厳について問い続けるだろう。津波被災を過去に幾度も経験し、これからも経験することになるであろう南三陸町に、この作品が恒久設置されたことは大きな意味がある。

 

 このアートゾーンを経て、来場者はシアターに入る。上映される映像は、3.11の夜の満天の星空の再現から始まる。あの夜の星のまたたきは、翌日の夜明けを見ることができなかった人たちの魂の最後の燃焼だったのではないか。そう問いかけられた時、「死」が決して遠い世界のものではないと感じるはずだ。

 

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ラーニングシアターでは上映の途中に1分間の対話タイムが挟まれる

 

 開館から1か月で無料ゾーンの来場者は29,000人を超え、有料ゾーンには2,600人ほどの皆様にご来場いただいた。「他の伝承施設とは視点が異なり心が動く」「自分はどう行動すればいいのかを突きつけられた」というご感想をいただいており、うれしく思っている。

 

 館内には写真家 浅田政志氏が2013年から住民たちを撮影してきた「みんなで南三陸」の作品群も展示されている。試練の時をそれぞれの職場やコミュニティで支え合いながら生き抜いて来た住民たちの姿が生き生きと焼き付けられている。住民一人一人が背負っていたであろう苦難を想像すると、その笑顔はまぶしすぎる。町民たちはこの写真の前でいつまでも語り合っている。アートは、言葉を尽くさなくても、多くを伝えてくれる。

 

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浅田政志「みんなで南三陸」の47作品から常時19点が展示される。

 

 「みんなで南三陸」は、企業などからの支援と南三陸町観光協会の協力を得ながら、私が主宰する任意団体で続けてきたものだ。

 

 そもそも私がこの町に関わることになったのは、2010年。町の女性たちと行った「きりこプロジェクト」がきっかけである。みんなで中心街の店や家々の宝物や思い出などを取材。秘められた物語を切り紙で可視化し、住民が共有することで、新たな町のつながりや魅力を創り出そうと、2010年の夏、約20人ほどの町の女性たちと共に650枚の切り紙を中心街の家々の軒先に飾り付けた。日常の中にさまざまな物語が潜んでいたことを、住民たちと再発見した夏だった。次年度もプロジェクトをさらに続けようと計画していた矢先に、無数の物語を内包した町は、跡形もなく消えてしまった。

 

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2010年夏、震災前の中心街で行われた「南三陸みんなのきりこプロジェクト」

 

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2012年夏、建物が流失した跡地に掲げたきりこボード
※「きりこ」とは宮城県北部の神社に伝わる神職が作る神棚飾りのこと。「南三陸みんなのきりこプロジェクト」は、この表現様式に倣い、人々の物語を切り紙にして軒先に飾り付けたコミュニティアート・プロジェクト。

 

 

 変わり果てたのは町の姿だけではない。一軒一軒の建物の中で行われていた季節の風習、代々継承してきた伝統や矜持、ひとりひとりのささやかな宝物や思い出のよすがとなるものが人知れず失われたことこそ、住民たちの真の悲しみだった。

 

 私たちはきりこプロジェクトを続けながら、住民の心に焼きついている光景や記憶を「きりこ」で可視化し続けて来た。それは時に犠牲になった人たちへの供養の役目をも担いながら、災禍後を生きる人たちの人生を讃え合う切り紙として、住民の皆さんに受け入れられていった。コロナ前までは、公営住宅の集会所などで、住民の皆さんと旧き良き時の思い出を語り合い、切り紙に表す活動を行っていた。その中で時折被災体験も語られた。一人一人の人生の物語は、長編映画にできるようなドラマだっだ。

 

 柳田が言うように、被災体験は「語られる話しか語られないものだ」ということを、その現場で実感した。震災前から続けて来た、一人一人の話に傾聴して切り紙を作るこのプロジェクトでの体験から、「南三陸311メモリアル」の展示への考え方が生まれていったように思う。

 

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一人一人の人生の思い出を「きりこ」にし、コミュニティの人々にその物語を披露しながら贈呈する。

 

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人々のさまざまな物語が白い切り紙で可視化される。毎夏店舗や事業所などに飾り付けている。

 

 震災後はこのほか、小学校の子どもたちと自分たちをめぐる状況を振り返り歌にする「未来を歌に」プロジェクトや、津波流失地の土からガラスを生成するプロジェクト、地域に伝わる行山流水戸辺鹿子躍を総合的に学ぶ小学生向けのワークショップなどを行ってきた。そのすべては、この地で生きる人たちが、自らの日常に普遍的な価値を見出す取り組みだった。

 

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2012年2月、町内5つの小学校で子どもたちと一年を振り返る歌作りのワークショップを行った。町立伊里前小学校にて。

 

 形ある物が洗いざらい失われたこの町で、住民たちは見えざるものの大切さを痛切に感じた。

 

 行山流水戸辺鹿子躍の継承者たちは、この供養の躍りが、地域の人たちの精神的な支えになっていることを身をもって知った。同地区の漁師たちは利他の心を発揮し、命豊かな海の環境を未来に贈るためにみんなで養殖筏の数を3分の1に減らし、日本で初めての国際認証を取得した。林業者たちも宮城県初の国際認証を取得し、南三陸町は海・山、二つの国際認証を持つ世界でただひとつの町になった。さらに、2018年には日本初の藻場でのラムサール条約登録を果たした。「いのちめぐるまち」を創造しようという理念と文化が、復興の過程でこの町に根付いていった。

 

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浅田政志「みんなで南三陸」より

戸倉かき生産部会のみんな

 

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浅田政志「みんなで南三陸」より

行山流水戸辺鹿子躍保存会のみんな

 

 南三陸町の人々の姿は、自然と共生する厳しさと喜びを雄弁に語る。私は、利他の心を発揮しながら復興を果たしてきた住民の皆さんに、人としてのあり方を教えられたひとりである。

 

 災禍を経て、南三陸町には「めぐるいのち」を思う文化が育まれた。人間の小ささと命の尊さを体感させるアートを震災伝承施設に恒久設置したことで、町はノンバーバルな発信力を得た。世界中の人々が言語や世代を超えて「いのち」について語り合い、生きる喜びを体感できる「いのちを思うまち」へと南三陸町は歩みを進め始めたのだ。

 

 住民たちが歩んだ復興のプロセスは、文化に裏打ちされた地域創造につながっていこうとしている。それは、住民たちが自らの人生を肯定し、誇りながら生きることに直結するに違いない。

 

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八戸ポータルミュージアム はっちのプロジェクトから
左/Kosuge1-16×八戸三社大祭山車組のみなさん×市民によるdashijin-land
右/写真家 田附 勝が八戸の海岸部の人々の暮らしに密着撮影した作品群「魚人」より

 

 

 宮城県のえずこホール、青森県の八戸ポータルミュージアム はっちなどで、私は一貫して住民の営みに軸足を置いて文化事業を進めてきた。どんな地域にも、地域の人たちが豊かに生きるための知恵や喜び、固有の価値が内在する。当たり前すぎて見えにくかったものが、アートを介して再発見されるとき、新たなエネルギーが生まれ、人々が輝き出すのを、私は何度も目の当たりにしてきた。

 

 地域に根ざした文化的なプラットフォームを地域住民たちが主体的に認識し、自ら耕そうとしなければ、文化事業を落下傘のようにいくら投下しても、それはなかなか芽吹かない。文化施設がその事業を通して、人々が暮らしを営む場との関係性を紡がなければ、そこで生きる人たちの背中を押すことはできないのではないかと、私は今改めて感じている。

 

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ラムサール条約に登録されている志津川湾。南三陸町のいのちの海だ。

 

 

南三陸311メモリアル

住所:宮城県本吉郡南三陸町志津川字五日町200番地1(道の駅さんさん南三陸内)

TEL:0226-47-2550

開館時間:9:00~17:00

休館日:火曜、年末年始

入場料:レギュラープログラム(60分)1000円、高校生800円、小中学生500円/ショートプログラム(30分)600円、高校生500円、小中学生300円 ※WEBサイトからの事前予約推奨

Web:南三陸311メモリアル

 

吉川由美 プロフィール

仙台市出身。文化事業ディレクター・演出家。文化芸術を核に、コミュ二ティ、地域資源、観光、教育、医療、福祉などをつなぎながら、地域に活力と新たな価値を創り出す活動を進めている。宮城県大河原町のえずこホールで開館から10年、コミュニティプログラム運営に取り組み、2010年からは青森県八戸市の八戸ポータルミュージアム はっちで、アートプロジェクトをディレクションした。2021年11月3日に開館した八戸市美術館ではオープニング展「ギフト、ギフト、」のディレクターを務める。南三陸町でアートプロジェクトを開始したのは2010年。東日本大震災で甚大な被害を受けた同町で、復興に向け、アート活動を通した支援プロジェクトを展開してきた。「南三陸みんなのきりこプロジェクト」は、2013年第6回ティファニー財団賞を受賞。 2022年10月1日に開館した南三陸町東日本大震災伝承館「南三陸311メモリアル」のラーニングプログラム制作と展示ディレクションを担当。演出家として、ダンス、演劇、朗読などの舞台で活動するほか、東北各地の大規模イベント、式典などを多数演出。 
有限会社ダ・ハ プランニング・ワーク  代表取締役 アートイニシアティヴ ENVISI代表。