一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.10

熊倉純子(東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授)

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●人情のまちが“無縁社会”の象徴に

 東京の足立区千住。年配の方には「3年B組金八先生」の舞台といえば、イメージが沸くだろうか?


 暴走族だのヤンキーだの、ワイルドな若者も多いが人情のまち――。しかし、それはもはや20世紀の話だ。現在は、多くの路線が乗り入れる北千住駅周辺はデパートや商業ビルが立ち並び、商店街もにぎやかだ。江戸四宿の宿場町として栄えた面影はさすがにないが、にぎやかな駅周辺でも一本裏道にはいると昭和の匂いのする路地が残り、個性ある風景が広がる。交通の便が良いので、街道沿いにはマンションがどんどんと建ち、新たな住人も増えている。公営市場があるためか立ち飲み屋がグルメ雑誌によく取り上げられ、飲み屋横丁は年中活況を呈している。

 

 古き良き人情と、新しい活気に満ちた千住。しかしそのイメージは、2010年の事件で大きく揺らぐことになる。「都内最高齢111歳、30年前に死亡か? 自宅に遺体」というのが朝日新聞の記事だが、人情のまち千住は、「無縁社会」の象徴となってしまった。

 

 イメージの問題のみならず、新たな住人の地域に対する愛着の低さや、古くからの住人とのコミュニケーション・ギャップを憂慮した区は、区政80周年を機に「新たな縁の創出」を政策課題と設定した。そして、2006年に千住に誘致した東京藝術大学に協力依頼に訪れる。無縁社会から一歩でも前進すべく、新たな縁を創出するための文化事業、それが2011年に始まった「アートアクセスあだち 音まち千住の縁(*)」である。

 

●地域密着型のアートプロジェクト「音まち」

 「音まち千住の縁」、通称「音まち」は、地域密着型のアートプロジェクトで、私の研究室でアートマネジメントを学ぶ学生たちの実践授業の現場でもある。招聘アーティストたちに、市民参加の形態でどんなプロジェクトをまちに仕掛けたいかを問い、アーティストが発案した計画に公募で市民を募る。興味のある人々が集まって一緒にプロジェクトを考え実現していく、プロセス重視型の事業である。

 

 アーティストの個性やテーマによってプロジェクトはさまざまで、集まる市民たちもそれぞれのプロジェクトによって大きく異なる。また、中核的なプロジェクトは複数年にわたって継続的に実施され、「縁」をつむいでいくのが最大の特徴といえる。以下、いくつかのプロジェクトの様子を紹介する。

 

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野村誠千住だじゃれ⾳楽祭「千住の1010⼈」(2014年)©加藤健
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野村誠千住だじゃれ⾳楽祭「⾵呂フェッショナルなコンサート」(2012年)©森孝介

◎千住だじゃれ音楽祭

 音楽家の野村誠による「千住だじゃれ音楽祭」は、音まち発足当初から13年目を迎えるプロジェクトだ。音楽祭で行われる「千住の1010人」という屋外コンサートでは、事前公募で集まった市民音楽家たちや招聘アーティストらが共演し、聴衆を含めた1000人以上の人びとによる合奏やパフォーマンスが繰り広げられる。また、長年の活動の中で自然発生的に市民音楽家たちの「だじゃれ音楽研究会」が発足。月に1度程度、藝大千住キャンパスなどに集まって即興演奏のセッションを行い、「千住の1010人」や定期演奏会に向けて活動を続けている。

 

 だじゃれ音楽研究会のメンバーは、登録人数は100人ほどだが転勤や移住などでゆるやかに入れ替わり、常時活発に参加するコアメンバーは15名程度である。大きなイベントの主旨や演目を野村と考えたり、地域内外での出張ライブを野村抜きで行ったりしている。千住生まれ千住育ちのメンバーもいるが、たまたま千住に居を構えた人が転居後も参加し続けたり、遠くは沖縄の小学校の先生がいたりと、むしろ野村の謎めいた音楽の自由さに惹かれて各地から千住に集まった人々の方が多い。

 

 数多くの楽曲を制作したが、銭湯でのライブのために皆で考案した「ケロ輪唱」、夫婦で参加する熟年メンバーが発案した「ボロボロボレロ」など、歴史には残らなさそうな名曲を数々生み出し、大真面目でだじゃれ音楽に邁進している。コロナ禍ではzoomを使ってセッションを繰り返し、野村の知己の海外の演奏家も数多く参加した。これまで千住がどこにあるかよく知らなかった人々に千住を広報することに一役買い、ついには国際的な活動にまで成長したが、謎めいた即興演奏に首をかしげる区役所幹部も多い。

 

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⼤巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住2014 太郎⼭」昼の部「しゃボンおどり」の様⼦(2014年)©加藤甫
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アートプロジェクトがつむぐ縁のはなし⼤巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住」の11年
 

◎Memorial Rebirth 千住
 老若男女、区役所の幹部にまで愛されるのが彫刻家の大巻伸嗣が提案する「Memorial Rebirth 千住」である。通称メモリバは、1分間に約1万個の小さなしゃぼん玉を発生させる機械を50台~90台ほど置いて、1回約30分間、その場の風景をしゃぼん玉で一変させるパフォーマンスである。小中学校の校庭や公園、魚市場の駐車場、商店街などで開催され、「だじゃれ音楽祭」同様に、音まち発足当初から続くプロジェクトは今年で13年目を迎える。最初の頃は大巻と事務局で場所を決めていたが、4年目からは準備段階から参画する市民チーム「大巻電機K.K.」が発足し、開催地を相談している。「大巻電機K.K.」は、駅の向こう側に全面移転してきた東京電機大学の学生やOBたちがマシンのメンテなどに毎年複数名参加していることから、命名された。

 

 Memorial Rebirthは大巻の代表作のひとつで、全国各地で開催されているが、毎年開催を続けているのは千住のみで、5年目からは年に1度の本番前に「大巻電機K.K.」が10台ほどのマシンを自由に使って区内のいろいろな場所で自分たちが考案したプレイベントを行っている。

 

 しゃぼん玉は子どもたちにもわかりやすい企画で親子連れの観客も多く、「大巻電機K.K.」のメンバーは区内の小中学校のPTAの父兄が多い。彼らの伝手で本番に向けて会場や付近の学校にも働きかけて、独自に開発した「しゃボンおどり」の演奏に吹奏楽部の出演を依頼したり、踊りを事前に練習して本番では台の上で見本を見せる小中学生を募ったり、区内の他大学にも働きかけてサポーターを集めたり。本番の日は朝から設営やリハーサルが進むにつれて、総勢約200人の手伝いや市民出演者が集まるようになった。「しゃボンおどり」で牧歌的な雰囲気の「昼の部」、LED照明でしゃぼん玉が七色に輝く幻想的な「夜の部」の2部構成が昨今の本番に定着した上演形態である。

 

 コロナ禍でこの3年間は本番が開催できなかったが、「大巻電機K.K.」はむしろ独自の活動を活発にし、児童養護施設や個人宅、幼稚園の卒園式などに少数のマシンを持ち込んで行う「メモリバのホームステイ」を大巻とともに考案し、これまで10か所ほどで実施してコロナ禍で交流できない人びとを癒してきた。

 

 さらに、10周年を記念して記録冊子を発行すべく、これまで関わった100名近い人々に学生たちがインタビューを行った。昨年完成し、ウェブでPDF版の閲覧が可能である(**)。また、社会的インパクト評価を中心に、11年でつむがれた縁の可視化を試みた評価パートは、私の研究室で博士課程を修了した卒業生の専門家たちが取り組んだもので、こちらもウェブ版で説明動画が公開されている(***)。冊子のタイトルは、学部1年から4年間この企画に携わった学生の案が採用され、冊子の版型も女子学生たちの声できまったので、年配のかたがたには字がやや小さくて恐縮である。

 

◎仲町の家とイミグレーション・ミュージアム・東京
 「仲町の家」は北千住の駅から徒歩10分ほどの静かな住宅街の中に佇む古民家である。江戸時代に千住のまちづくりに貢献した武家の子孫の住宅で、「まちで文化的なことをするのに役立てて欲しい」という大家さんのご厚意で安価で借りている。土日月・祝と定期的にオープンし、音まちが主催事業を行うこともあるが、多くは藝大生や千住内外の文化系NPOや個人が無料で借りて展覧会やコンサート、落語会などを開催している。千住の文化サロンとして、まち歩きのテレビ番組で紹介されることも頻繁にあるため、音まちを知らない人もふらりと立ち寄る。イベントが開催されていないときは、市民スタッフや学生の「コンシェルジュ」が家の中を案内し、談話する。音まちの入り口ともいえる拠点である。

 

 2022年の12月は、音まちのもう一つのメインプログラムで、アーティストの岩井成昭が主宰する「イミグレーション・ミュージアム・東京」の展覧会が「仲町の家」で開催された。イミグレーション・ミュージアム、すなわち移民博物館は、多くの国に公立施設として存在するが、日本にはそもそも「移民」という法的概念が存在しない。しかし、ブラジルやフィリピン、ベトナム、ミャンマーなど、さまざまな国から働きに来ている在留外国人は増えていて、日本の内なる国際化は静かに進行している。こうした海外ルーツを持ち日本に暮らす人々の表現を扱うのが岩井の「イミグレーション・ミュージアム・東京」(通称IMM東京)である。2013年から音まちのメインプログラムに加わり、さまざまな形の展覧会や勉強会、フィリピン流のパーティ・イベントなどを行ってきた。

 

 公募で海外ルーツをもつ日本在住の人びとの作品を募る展覧会は、2020年のオンライン開催から3回目を数える。今回の展覧会は、「Cultural BYO…ね!」と題して、58組の応募者から約70点の作品が寄せられた。また、区内4つの小学校に藝大の留学生らがワークショップに訪れ、多文化社会に対する子どもたちの理解を深めるべく努めた。IMM東京の公募市民メンバーは「IMMねいばーず」というグループ名で、都内の内なる国際化が進む地域のリサーチを行っている。5~10名ほどのメンバーは、学生や多文化共生に関心のある20代から30代の人びとが中心である。

 

●行政とNPOの役割

 こうして学生たちはさまざまな学外の人びとから学ぶ。まちの大人たちは、時に厳しく叱り、時に優しく学生たちの悩みを聞いて、親や教師には言えない話に耳を傾ける。理不尽かつ自分勝手な大人の振る舞いに泣かされることもある。行政とアーティストと市民参加の大人たちとの間を右往左往することが、地域型アートプロジェクトのマネジメントなのかもしれない。ただし、20歳前後の学生たちと、自身の仕事や生活に忙しいまちの大人たちのヒューマンドラマで文化事業が成立するわけではない。プロフェッショナルとして関わる行政と、特にNPOの専門スタッフたちの活躍があってこそ、学生や市民のみなさんの力量がそれぞれに発揮されることは、忘れてはならない重要なポイントである。

 

 芸術文化施設の中ではなく、まちや人々の日常生活の近くにアートが訪れる活動は、まちなかの利用申請、許認可、学校や福祉施設との橋渡しなど、行政の力がなければ進まないことがたくさんある。また、行政には人事異動がつきものだし、学生も長くて数年で卒業してしまう。こうした中で年月をかけて縁をつむぎ続けるために不可欠な存在が、NPOの有給スタッフたちである。行政とNPOの専門スタッフで、区内のさまざまな資源を編集するのがアートプロジェクトだが、特に、区の政策と連動した絵図を描けるアドボカシー能力を高めるには、長年の経験がものをいう。音まちでは、二人のフルタイムスタッフがディレクターと事務局長を長年献身的に務めているが、行政スタッフと違って昇給がないのが大きな課題といえる。専門スタッフが職業として誇りを持て、長期雇用も可能な財政基盤はどうしたら実現するのだろうか。

 

●はじまりは「取手アートプロジェクト」

 行政と市民、学生、NPOの協働体制のモデルは、「取手アートプロジェクト(****)」(通称TAP)で培われたものである。茨城県取手市には、やはり東京藝術大学のキャンパスがあり、TAPは1999年の開始からやがて25年を迎えようとしている。

 

 2009年までの11年間は、年に1度、小さな芸術祭を開催していたが、2010年にNPO法人「取手アートプロジェクトオフィス」を立ち上げて、イベント型からまちの暮らしに密着するかたちに大きく舵を切った。「あしたの郊外」をメインテーマに団地や農協跡地の廃屋を拠点とし、2017年からは藝大取手キャンパスの学食「藝大食堂」を運営したり、駅ビルの商業施設の文化スペースの運営を業務委託されたりしている。

 

 私が教える音楽環境創造科は2001年に取手キャンパスに設置され、2006年秋に千住に移転したのだが、移転までのTAPは私の研究室の学生より学外の若者たちの方がはるかに多かった。各地から集まった若者たちは最大時には50名ほど、インターンとしてプロジェクトの運営を体験した。この時の若者たちは、現在、全国各地のアートの現場や中間支援組織などで専門スタッフとして働いている。現在のNPOのコアスタッフもインターン経験者が多く、各地で専門職として働いたのちに取手に戻ってきて市民となり家庭を築いている。

 

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取手アートプロジェクト《アートのある団地》

●社会の可塑性

 25年も続けて、いったい取手のまちは変わったのだろうか? 風景は相変わらず、少子高齢化もおそらくは同様ではなかろうか? しかし、市役所にはTAPの理解者が多く、団地ではスタッフたちは「アートさん」と呼ばれ、市民の「わけのわからないもの」への寛容度は高い。駅ビルの業務委託や学校へのワークショップの派遣依頼など、少しずつ各方面から声がかかることも増えているようだ。アートの「つなぐ力」は漢方薬のようにじんわりと人に働きかけ、思考の体質を変えるのかもしれない。

 

 千住でも、特に区内在住の人が多い「大巻電機K.K.」のメンバーに新たな活動を始めた人たちがいる。もちろん、もともと地域への関心が高く行動する意欲に満ちているから音まちにも参加したのであろうが、メモリバでの活動のなかで相当な負荷を引き受けたことが、次の一歩の背中を押したとも考えられる。

 

 大巻は、先述の記録冊子に収録されたディスカッションの中で、「社会の可塑性を高める」と述べている。「可塑性」とはまさに彫刻家らしい言葉だが、つまり粘土のようにかたちを変えることのできる性質といえる。人の思考と行動に変化を刻む力がアートにはある、大巻はそう信じているのだ。

 

 まちなかに彫刻などを置くパブリックアートは、風景に働きかけて、それを見た人びとの心に間接的に作用をおよぼすものである。それに対してアートプロジェクトは直接的に人びとに作用することを試みる。参加を誘って行動を促し、行動の中で思考に変化が刻まれ、思考の変化が新たな行動につながる。もちろんアートの力は人の外観を変化させるわけではない。時をかけて人びとに作用して、地域やコミュニティを捏ね、粘土というよりはむしろパン生地のように内部に発酵を促すのかもしれない。

 

 

註)

*アートアクセスあだち 音まち千住の縁は、足立区・東京藝術大学音楽学部および大学院国際芸術創造研究科、NPO法人音まち計画の共同主催による事業。2021年度までは、アーツカウンシル東京のアートポイント計画。公式ウェブサイト:https://aaa-senju.com/

 

**「アートプロジェクトがつむぐ縁のはなし~絵物語・声・評価でひもとく、大巻伸嗣<Memorial Rebirth千住>の11年」PDF版:https://tarl.jp/archive/mr_11/

 

*** 評価パートを中心とした開設動画サイト:https://note.com/tokyoartpoint/n/na282a981a731

 

**** 取手アートプロジェクト公式ウェブサイト:https://toride-ap.gr.jp/

 

熊倉純子 プロフィール

パリ第十大学卒、慶應義塾大学大学院修了(美学・美術史)。(社)企業メセナ協議会を経て、東京藝術大学教授。アートマネジメントの専門人材を育成し、「取手アートプロジェクト」(茨城県)、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(東京都)など、地域型アートプロジェクトに学生たちと携わりながら、アートと市民社会の関係を模索し、文化政策を提案する。東京都芸術文化評議会文化都市政策部会委員、文化庁文化審議会文化政策部会委員などを歴任。監修書に『アートプロジェクト─芸術と共創する社会』、共編書に『社会とアートのえんむすび1996-2000──つなぎ手たちの実践』(共編)、共著に『「地元」の文化力―地域の未来のつくりかた』など。