沖縄の古典芸能であり、2010年にユネスコの無形文化遺産に登録された組踊。約70作品ある中から組踊の創始者・玉城朝薫が創作したといわれる朝薫五番のひとつ「孝行の巻」を映画化し、映文連アワード2022を受賞した『シネマ組踊 孝行の巻』が話題となっている。プロデュースしたのは東京に生まれ、国立劇場おきなわの開場スタッフになったのを契機に沖縄に移住した大野順美さんだ。2010年には組踊を中心とした沖縄伝統芸能の舞台制作を行うステージサポート沖縄を設立(2013年に一般社団法人化)。琉球芸能プロデューサーという肩書きで仕事をする大野さんに、組踊との出会いから映画のプロデュースまで、組踊に寄せる思いを寄稿していただいた。
琉球版ミュージカルともいわれる組踊には「聴きに行く」という言葉があるほどなので、音の調整も入念に行われた。拍子木の音1つにしても、3日位かけて丁寧に調整した。共同プロデューサーの横澤氏は数々の邦画を手掛けてきた音響プランナーでもあるため、立方の唱えや地謡の音楽は生の舞台に引けを取らない上質なものとなった。
本作が前2作と異なるのは、民間企業が一般劇場公開用映画として製作した点だ。映画は公演記録映像とは本質が全く異なる。再演や後世に残すことが目的ではなく、映像を通じて組踊を理解し魅力を知ってもらうことを大前提に、エンターテイメント映像として楽しめることが第一の目的である。そのための工夫として、組踊の上演形式そのものは全く変えず、カメラによる多角的な撮影だけではなく、本編に入る前にナビゲーターが歴史やみどころなどを案内する“解説編”を加えた。
また、日本語字幕にも注力した。『孝行の巻』は朝薫五番の中でも対句が多い演目であり、対句表現の美しさも観客に知ってほしい気持があったが、表示字数が多くなれば文章に気を取られ映像を見逃してしまうため、監督と話し合った結果、字幕表示は1文字でも字数を減らし、かつ中学生程度でも理解できる言葉選びに努めた。完全に意訳の部分もあるが、物語の世界観を壊さない程度に一瞬で頭に入ってくる文章を心がけたつもりである。見巧者や研究者にとっては納得いかない和訳もあるかと思われるが、“伝統芸能”というだけで避けてしまう層を取り込むことを優先した結果である。
伝統芸能を見慣れない人にも理解しやすい工夫をする一方、絶対に譲れなかった点は「本編ノーカット」である。YouTubeやTikTokなど短編動画に慣れている若年層には長編鑑賞が厳しいかもしれないが、組踊は“間”を楽しむ芸能であるため、ダイジェスト映像にするのは本質を違えてしまう。生の舞台と同じ時間軸で鑑賞してもらうことで「次は公演に行ってみようかな」と思ってもらえることを期待していた。
完成した映画『シネマ組踊 孝行の巻』は、翌22年「沖縄国際映画祭」にワールドプレミア特別招待され、 監督や出演者は3年ぶりに復活したレッドカーペットへの出演を果たした。その後、沖縄県内では桜坂劇場・沖縄市音市場・宮古パニパニシネマなどで上映され、翌23年、東京渋谷ユーロスペースを皮切りに大阪・京都・神戸・横浜・名古屋・仙台・宇都宮・広島・佐賀・福岡など全国主要都市での上映も行われた。おかげで「組踊を全く知らなかったけど、いつか実際の舞台を観に沖縄へ行きたい」という声を多数いただくことができた。また、映像文化製作者連盟主催の映文連アワード2022においてパーソナル・コミュニケーション部門優秀企画賞も受賞した。
『シネマ組踊 孝行の巻』東京開催案内
もちろん、華々しいことだけではなく苦労もあった。製作費はなんとか工面できたものの、配給宣伝費まで手が回らないのだ。映画業界では“宣伝費不足はインディペンデント映画ならばよくあること”と言われるものの、「せっかくの作品をお蔵入りさせてはいけない」という思いから、配給会社がクラウドファンディングを立ち上げてくれた結果、宣伝費を何とか集めることができた。この活動は、資金集めと同時に映画の前宣伝にもなるという良い効果も生み出してくれた。
今後は、修学旅行で沖縄を訪れる中高校生に滞在ホテル等で夕食後のコンテンツとして本作を楽しんでもらえないかと画策している。伝統芸能は若い世代から触れておくのが肝要だと自分の経験から強く思うため、将来の観客になるであろう10代に組踊を発信したいと思っている。
全国民に組踊を好きになってほしい、とは言わない。「組踊という2文字を覚え、組踊が踊り(dance)ではなく演劇(play)であることを全国民に分かってもらう」ことが私の野望である。
●「生きる喜び」としての文化の力
さて、先日初めて韓国へ赴いた。2024年6月23日(慰霊の日)に合わせて、能と組踊と韓国の伝統芸能の合同公演を東京・高円寺で実施するため、出演者の調整に行ったのだ。初めて生で見る韓国の伝統芸能農楽(ノンアク・プンムル)の迫力に圧倒されたが、それ以上に農楽にかかわる人たちのパワーに感動した。生命の輝きというのはこういう事かもしれないと感じた。
かつて沖縄も芸能にこれだけの地力を持っていたはずなのに、今はシャイで合理的なZ世代の背中に身を潜めてしまっているのだろうか。人間が生きるためには衣食住が必須だが、なぜ生きたいと思うか、生きる喜びを実感できるのは実は芸能文化の力にゆだねられている所が大きいように思う。生命をつなぐ医療や福祉ももちろん大切だが、文化は己のアイデンティティそのものだ。
生命が輝くようなキラキラした一瞬に出会えれば、自分の生きる意味が発見できることがある。私は、私に「好奇心」という生きる力を与えてくれた組踊に今日も心を支えられながら、組踊がいつかバズる日を夢見て、1人でも多くの人に届ける仕事を続けていきたい。