一般社団法人 地域創造

特別寄稿 ビューポイント view point No.16

 地域創造が設立された1994年に、人口わずか2,400人ほどの北海道上川郡朝日町に300席のホールを有する「あさひサンライズホール」が誕生した。朝日町役場の職員として開館準備から携わり、市町村合併、指定管理者への移行などを乗り越えて、現在、館長を務める漢幸雄さんに、激動の30年を振り返っていただいた。

 

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漢 幸雄一般社団法人舞藝舎専務理事、あさひサンライズホール館長)

 

●激動に流されて30年

 

 1994年9月、北海道の山あいの小さな町・上川郡朝日町で産声を上げたあさひサンライズホールが2024年、開館30周年を迎える。刻一刻と変化のスピードを上げた激動の時代を体験した30年だった。

 

 人口わずか2,400人ほどの僻地の町で劇場建設の声が上がったのは昭和の終わりだった。当時の町長が老朽化した社会教育施設等の建て替え時期が迫る中、劇場を中心とした複合施設の建設を公言した。

 

 初めての劇場建設は、紆余曲折を経てなんとか開館にこぎつけることができた。キャパ300席の舞台にバンケットホールや公民館図書室などを備えた複合施設で、以来、町内のほとんどの行事はこの施設を中心に開催されることになった。

 

 当時、町役場職員だった私は計画の素案から関わり、開館に合わせて所管の教育委員会に出向して2020年に定年。その後、自ら一般社団法人舞藝舎を立ち上げて指定管理者となり、現在まで35年以上、ここに居座っている。

 

 明治末期の開拓以来、劇場のなかった朝日町に劇場を建てようというのであるから賛否両論、小さな町を二分するような出来事であった。小さな町にとって劇場は贅沢という意見は当然あった。それでも世は公立ホールの建設ラッシュ。毎年100館を超える施設が津々浦々に建つような時代で、現在までに全国で優に3,000館を超えるほどになった。

 

 北海道の地方では珍しくはなかったが、生の舞台芸術に触れる機会がほとんどなかったこの町に建てる劇場には当初からミッションがあった。まずはライブで観るという当たり前の機会を提供すること。そしていつかは誰もが舞台に関わって生活をしていくという豊かさを持つこと。これである。
 

 開館に当って劇場は夢を掲げた。

   まず富んだ土壌を作る

   そのためには耕す手の力を抜かず、倦まず、

   そしていつかはそこが沃野となる

   種を蒔く

   空を見上げ、天に祈る

   やがて花が咲き、種を形作り、次の世代へと繋がっていく

 

 これを実現するために具体的な事業を展開するのだが、わずか300席では採算ラインを超えることは難しいし、プロモーターなどへの貸し館利用は期待できなかった。キャパが少ないということは、鑑賞型事業を主催するためには赤字を補う補助金や助成金が不可欠であり、そのための財源を捜して、あちらこちらの助成を探し出しては申請することの繰り返しだった。工夫をしながら事業を組み立てるしかない現実があった。

 

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旧朝日町俯瞰

 

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あさひサンライズホール

 

 開館からしばらくの間はオールジャンルでの鑑賞事業を提供した。観劇経験のない住民が観客へと育つための先行投資といえようか。その数はこの30年で400回を数える。同時期に開館した全国の劇場は市民参加型の事業を次々と展開し、大きな成果を上げ始めていたが、あさひサンライズホールは生まれたばかりの観客が自発的な意志をもつまではと、住民から声が挙がるのを待った。

 

 開館から10年目。自らも舞台に立ってみたいという声がようやく届き始めた。2003年度に札幌から演出家を招聘して1年間滞在してもらい、参加型の演劇公演を制作した。その後は、在京のプロの演出家を招き、45日間の滞在で制作した。この「体験版 芝居で遊びましょ♪」シリーズは毎年1回、厳寒期の3月に1回だけの公演を打つという事業として継続している。

 

 スタッフを含む延べ参加者は約1,000人。近隣市町村から参加する人も多く、芝居仲間の輪が地域を超えて広がっている。

 

 演じるのは学芸会以来というド素人集団だったが、その参加者からアマチュア劇団が二つ、舞台美術・小道具・衣装・音響のチームが生まれた。一部はプロ劇団の全国ツアーに関わるようになり、舞台製作の基盤がこんな田舎町にも存在するようになった。余談だが、この参加者同士で何組も結婚したのは意外な結果だった。

 

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体験版芝居で遊びましょ♪Vol.1「明日も陽だまりで」演出 斎藤ちづ 2004年3月公演

 

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体験版芝居で遊びましょ♪Vol.21「国語の時間」作演出 わかぎゑふ 2024年3月公演

 

 並行するように、この頃から学校へのアウトリーチも本格化した。2005年に隣町の士別市と合併し、15小中学校へのアウトリーチが始まった。それ以前は地元の小中学校へのアウトリーチだったが、合併後は全市内の小中学校に事業を拡大した。現在は閉校により10校程度に減少したものの、年間に90回程度のワークショップ、公演を子どもたちに届けている。士別市の小中学校に通う子どもは最低でも年間2校時(2時限)はプロの許で舞台芸術を体験できるようになっている。

 

 教職員のほとんどは舞台製作に関するノウハウを持っていないため、学芸会などでは苦労が多い。それならというので、教職員が出演する演劇公演「センセイノチカラ」をシリーズ化し、現役の教職員がプロの演出家の下で舞台に立って学ぶ機会を提供した。また、小中学生が出演する演劇公演「学校と子どもと芝居」もシリーズ化し、学校行事には音響・照明などの機材も提供している。 

 

 演劇を事業の中心にしたのは誰でも参加でき、参加者数に合わせて戯曲を書き下ろすことができるからだ。これまでいずれのシリーズでもオーディションを実施したことはなく、参加したい人には出演してもらっている。

 

 

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センセイノチカラVol.12「サイレントおばあちゃん」作演出 納谷真大 2019年12月公演

 
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学校と子どもと芝居Vol.10「井の中の蛙大海を…に沁みる」作演出 納谷真大 2024年3月公演

 

 この30年は世の中が大きく変化し続けた時代だった。アナログからデジタル、少子高齢化、人口の大都市集中、指定管理者制度の導入から劇場法の制定等々、そして新型コロナでの右往左往。加えて朝日町には市町村合併もあった。

 

 小さな町が乏しい予算をやりくりして捻出していたサンライズホールの事業予算は、合併して士別市朝日町となってから急激に縮小され、現在では開館当時に比べると10分の1程度にまで圧縮された。それに対して、我々が行ったのは自主事業の内容を鑑賞型事業から参加・創造型事業へとシフトすることだった。

 

 舞台芸術はアナログなもの、言い方を変えれば人間的なものだと思っている。デジタル技術の進歩が表現を支えるための優れたツールであるうちはよかったが、AIが身近になるにつれて人間の能力を凌駕するような存在になっている。そんな時代にあっても、生きている人間が実際に舞台で表現することを実現する場が劇場なのだ。参加・創造型事業によってようやくその一歩を踏み出すことができるようになったのではと思っている。

 

 一般財団法人地域創造もあさひサンライズホールと同じ年に設立され、全国の劇場、特に地方の劇場にとっては刺激的な事業を展開してきた。劇場はミッションを持ち、自主事業を展開し、裾野を広げるためにワークショップやアウトリーチを実施するという取り組みはそれ以前の劇場ではあまり意識されてこなかったように思う。全国の劇場から事業報告が続々と届き、果敢に新しいことに挑戦しているものが多く、劇場が本来持っているべき多様性、柔軟性が試されている感があった。 

 

 もちろんすべての事業が成功したわけではなかっただろうが、30年にわたる試行錯誤のおかげで地域に存在するそれぞれの劇場の役割や立ち位置が明確になってきたのではないかと思っている。この30年は、少なくとも劇場は舞台を貸し出すだけが仕事ではないという当然のことに気付くことのできた期間になったと確信している。

 

 一方で社会の変化は当時の私たちの想像を遥かに超えている。少子高齢化は地方から始まり、経済は冷え切って財源の縮小は加速した。指定管理者制度等の歪みが安定した劇場経営に影を落とすようにもなった。若い世代を中心に情報の伝播速度は加速化し、ライブだけではなくバーチャルなものにも抵抗感が少なくなってきた。朝日地区の人口は1,000人程度にまで減少し、高齢化も進んだ。

 

 これからもその変化のスピードは緩むことはないだろう。30年を一つの区切りとしてここでいったん立ち止まり、これまでを振り返り、将来を見据えねばならない。ささやかであってもこの地域に住む人々にとって、舞台が、舞台芸術が、より身近に存在し続けるために劇場は何をすべきかという原点に戻らねばならないと感じている。

 

 当初掲げた夢をこれからも見続けられて、変化を伴いながらも次のシーンに繋げていけるために、私たちがしなければならないことはなんだろう。限界集落に近い状態になったこの地域でも劇場は必要なのか。それは何故か。社会が変わると同時に人も変わっていくのか。

 

 立ち止まる暇もなく試行錯誤を繰り返しながら、決して安定だけを見つめることはせずにニーズの一歩先を捕まえていくことを考えたいと思う。ほかの町や劇場を羨んだところで何も始まらない。ここに在る劇場ということに真摯に向き合い続けたいと、30年となる単なる節目に改めて覚悟している。

漢 幸雄 プロフィール

1960年生まれ。現在は、一般社団法人舞藝舎専務理事、あさひサンライズホール館長。1978年に朝日町役場、2005年に市町村合併により士別市職員となる。1989年から文化施設建設の企画に携わり、1993年に教育委員会へ出向し、翌1994年にあさひサンライズホールをオープン。2003年に同ホールの事業を演劇中心とする方向へ転換し、市民参加劇「体験版 芝居で遊びましょ♪」、2007年に市内教職員による演劇公演「センセイノチカラ」を立ち上げ。また、アウトリーチ事業にも力を入れる。2020年3月に定年退職後、一般社団法人舞藝舎を立ち上げあさひサンライズホールの指定管理者となる。