地域創造の公共ホール現代ダンス活性化事業・支援事業の登録アーティストとして全国各地の公共ホールとともにアウトリーチなどに取り組んできたコンテンポラリーダンスのセレノグラフィカ。代表の隅地茉歩さんに、近年増えている支援を必要とする人々とのワークと、そこに携わることの思いについて寄稿していただいた。
隅地 茉歩(振付家・ダンサー、セレノグラフィカ代表)
●はじめに
ダンスアーティストとしての活動を通じて出会うさまざまな現場は、必ずしも最初から和らいでいるとは限りません。その場にいる人のこれまでと今を、全て受け止め吸収してきた身体の群れは、無言の声をあげています。まずその重なり合った無声の響きに耳を澄まします。というよりも、その響きに身を浸すことからすべてが始まります。
近年の活動の中で、年を追うごとに割合が増えている、支援を必要とする現場。その現場と「アート」の関わりについていくつかお話ししたいと思います。
●感覚の平野に、この身体で立つ
就労しづらい若者たち、と聞いてどんな人物像を思い浮かべるだろう。今年度で11年目となる「じぶんみがきダンス」ワークショップには、「まず家の外に出る」「誰かとコミュニケーションを取る」「リラックスしたい時にリラックスする」ことを望む方々が集う。京都若者サポートステーションと、実施会場となっている京都市東山青少年活動センターの連携事業である。「無業状態にある15歳から49歳までの方(学生可)」が対象。社会や周囲とフィットすることに足踏みのある方たちと、ワークショップの趣旨そのものに関心のある方たちが共に参加する形で、最少催行人数は6人と定められている。
ダンスのワークショップというと、笑い声や笑顔の散見する、それなりに賑やかな印象を抱きがちかもしれないが、それとは異なる空気感の中でワークは進む。全体を通して静かで、必要以上の声量で話す人がおらず、かといって、ワークの進行に難渋をきたすかというとそうでもない。こちらが提案する内容に、黙々と、淡々と取り組んでいってくださる。
「雑音の出ていない身体」の群れとでも言うのだろうか。何かを慎重に咀嚼している動物、毒だと察知したら黙って吐き出す、そんな生き物のように感じることもある。重要に思えるのは、参加者たちにとって、必ずしもダンスが関心の優先事項ではないということである。「はたらくことも見えてくる 自分のからだと向き合うと」というチラシのことばが有効に働いているのではないだろうか。
この企画の立案者であるベテランユースワーカーの方は、青少年活動センターが主催するプログラムを通して、多様な演劇人やダンスアーティストのワークショップに数え切れず立ち会ってこられた。以前この方にロングインタビューをさせて頂いた際(注1)、セレノグラフィカの、あるワークショップメニューに着目していることを話してくださった。
ペアになって向かい合い、リーダー・フォロワーを決めずに互いの動きをゆっくりトレースしていくというもので、言語を用いず、身体の動きで「交信」していく。ほんの数分なのだが、沈黙の中の膨大な情報をキャッチしながら、お互いにそれらを発散し交換し続けることになる。「自分ひとりの力でこの世界に生きているというような勘違いを起こさないように、人間が成長過程で通るべき重要な認識のプロセスを」、やっている本人にその自覚がなかったとしても、身体感覚を以て学び直しているのではないかという仮説を聞かせてくださった。
数多の事業の膨大な振り返り文章をテキストマイニングする作業の中で、ダンスに関わった人たちから「生きる」という言葉が比較的多く出てくるとも言っておられた。以来、このプログラム終了後の参加者のアンケートがまた違ったようにも読めてくる。「思わぬ反応もあって、きっと相手もそうなのかな、と思った」「仲間に身体をあずけたら、わけもなくほっとする感じ」「新しい何かを誰かといっしょにやりたくなった」など。
もちろん、このような反応を求めてワークを行う訳ではない。いつだって結果など未知数で、それを操作するように何かを行うことはない。繊細な身体はとても小さなことにも勘づく。不用意に示される評価に敏感であり、自分の身体や心の自然に対して、何らかの過剰な力が働くことに敏感である。参加者同士、次第に目と目が合うようになり、そして、少しずつ自分のことを話してくれるようになる。いつしかナビゲートしている私たちを介さずに参加メンバーでの雑談の時間が増えていく。日常の中のその冒険に、ただ注意深く寄り添うだけである。
●愛おしいと思える自分に、もう一度出会い直す機会を
スマートフォンを持ち込むことのできないワークショップ現場は珍しい。セキュリティのしっかりした扉の数が多く、いったいどういう経路を通ってワークショップ会場に到着したかがわからないということも珍しい。2022年の末、セレノグラフィカは東日本少年矯正医療・教育センター(少年院)に在院している少女たちと出会った。社会との繋がりが限定的な場所で、毎日日記を付け、日々のカリキュラムに取り組んでいる概ね十代の女子たち。医療措置課程の設けられているこの場所には、彼女たちを虐待した相手も、犯罪に誘い込んだ相手もやって来ることはない。
発足以来数多くのアーティストによるワークショップを実施しているNPO法人芸術家と子どもたちは、「何かその後の人生を生きていく上での力になるような体験をつくることができるかもしれない」との思いで、少年院でのアーティスト・ワークショップをスタートしたとのことだった(注2)。セレノグラフィカの場合、初年度は各回60分、全4回、体育の時間の枠で実施した。コロナ禍の影響もまだ残っており、全員がマスクを付け、身体間の距離も充分に取り、相互に接触はしない条件下での進行。とはいえ、他の場所で行うワークのメニューを抜本的に変更したことはなかった。毎回、相手の匂いを嗅ぎ分けるような感触の静謐な時間が流れた。
数回目のワークの場で、「人差し指を追いかけて」というメニューを行った。向かい合って人差し指を出し、ジャンケンで負けた方が、勝った方の指先を追いかけていく。その際、ある少女が、相手の私がすぐには反応できないような高い場所や低い場所へ、ちゃめっ気たっぷりに指を動かしてきた。好奇心から生まれたアイデアを、「やってみよう」「やってもいいんだ」と、まず自分が受け入れて初めてイタズラっぽいことや冒険が始まる。彼女の、勢いが宿った眼差しや張りの漲った身体を見て、「この子はこの先きっと一人で歩いていくだろう」と確信させてもらえる瞬間だった。
施設内には、目立つところに「再犯させない」と書かれたポスターが貼られている。法務教官の方々はじめ、この施設に勤務する人たち全員の悲願であるこの言葉が、「再犯しない」という決意の言葉に変わり、在院者の身体に獲得されて、内から滲み出すようになって欲しいと感じずにはいられない。
院内の有志のみが観覧する短いダンス作品の最終発表の際には、一人ひとりのカーテンコールの時間を設けた。体育館の横幅ほぼいっぱいを、たった一人で真っすぐに歩いて観覧者の前であいさつをする。わずか40秒ほどの持ち時間は、本人にとっては実際よりも長く体感される時間だったのではないだろうか。生真面目なおじぎ、工夫のあるワンポーズ、小さい頃が想像できるような笑顔。提示されるものは人それぞれだったが、年齢相応のあどけなさと共存する、どこか毅然とした全身の表情が、「私は再犯しない」という無言の宣言のようにも見えた。
同センターでは、美術のアーティストとの取り組み(注3)も始まっている。矯正教育における新たなアプローチとして始まったこの試みが、現在少年院で過ごす子どもたちの「本当の意味での社会復帰」(注4)実現に少しでも可能性を発揮するものであってほしい。こうしている今日の日も、少年院で自己の更生にさまざまな思いで取り組んでいる子どもたちがいる。彼らが、これから自分がどうなっていきたいのかを曇りなく思い描くことができ、それに耳を傾けてくれる相手がいる社会であることを心から願う。
●美しさは不揃いと知った日
「障害者、だけどちょっと不良」と少しイタズラっぽく自分のことを語るのは北九州市在住のNさん。「小さい時はバレリーナになるのが夢じゃった。それがちょっと叶ったかな」と呟いたのは同じく北九州市在住であった故Iさん。Nさんはサリドマイド薬害の後遺症で両腕がなく、視覚にも障害があり、故Iさんは脳性麻痺で生涯電動車椅子を使って生活をされていた。
お二人との出会いは2014年、北九州芸術劇場と北九州障害者芸術祭の協働で生まれたダンスプロジェクト、レインボードロップス(注5)のスタートに遡る。セレノグラフィカの関わり方としては月にほぼ一度ペース。半年間のワークショップを踏まえた2016年の公演でも、同じく2020年の公演でも、お二人にはソロダンスを踊って頂いた。特に2020年の公演に向けては、それぞれにロングインタビューを試み、ご自身の障害とどのように向き合って来られたのかを伺った。語ることに抵抗もあるのではないかというこちらの心配をよそに、幼い頃から当時に至るまで、障害とともに生きて来た思いを率直に話してくださったNさんと故Iさん。その録音の一部はご本人たちの快諾を得て、公演本番の場で、どんな音楽よりも雄弁にお二人のダンスを彩った。
大学で担当している「身体表現論」の講義では、授業のトピックごとに毎回演劇作品やダンス作品を映像で鑑賞する時間を設けているが、この授業の終盤に、私はNさんのソロダンスを見てもらうことにしている。90名を超える履修者の3割近くはアジア圏からの留学生で、当然反応はさまざまだ。腕の代わりに全てを足で操作し、普段使いのカトラリーを小道具に、身体を駆使して踊るNさん。学生たちは驚きを隠せず、最初は小さな抵抗感も覚えつつ、それでも次第にNさんの開示する11分半に引き込まれていく。「靴下を履く、脱ぐ、スプーンやコップを持つという所作がきれいでうっとりした」「何かがないのではなく、表現の仕方が増えただけと捉えたい」「主人公の女性、生きるに満足、誇りがあり、音楽と一緒に揺れて、光と共に来て私たちをよろこばせた」「これが充分のダンス」。鑑賞の視野の拡充という、講義としての秘めた狙いはあるものの、学生のコメントは、その狙いなどあっさりと超えていく。
鑑賞の翌週、履修学生全員のコメントを無記名で一覧にしたテキストを配布し共有した後、このプロジェクトの企画立案から本番に至る道のりを詳しく話すことにしている。知的障害や聴覚障害、視覚障害のある人、それらがない人を含め、30人近い出演者が安心してダンスを楽しみ、本番を踊る喜びで充満するまで、劇場担当スタッフ、アーティスト、アシスタント、劇場と協働した障害者福祉協会アートセンターのスタッフが、全ワークショップ、全リハーサルの一部始終に立ち会い、記録し、振り返りを共有し、次回に繋げる。この具体的なことの積み重ねが事業そのものであること、本番に向け劇場入りしてからはテクニカルスタッフも加わり、出演者含めて総勢42名、誰が欠けてもブレンドの異なる仕上がりとなったであろうことを伝えていく。
ゆくゆく芸術活動の場作りに関わりたいという学生は、「舞台って、得意な人が集まってやっているもののように勘違いしてました」と言った。一人の担当者の真心から発したアイデアが、共感する人たちの賛同を得て、悩みをも血肉にしながら形になっていく尊さの一例。これが、当時の現場には関わってもおらず、観客でもなかった若者に伝わっていくことの意味をしみじみ思う。今各地で行われている、多くの障害者を含めた市民参加の公演に、「今あるこの身体で踊るだけ」というある種の確信に満ちた出演者が増え、ささやかでもそれを支えることを喜びとする人が増えていって欲しい。
●おわりに
これらの事例に共通していることは、いずれも、熱意と計画性に溢れた、気の確かな企画者の胸の中にともった小さな灯がきっかけとなっているということです。
2007年、私たちは地域創造の公共ホール現代ダンス活性化事業の登録アーティストとなり、以来、支援事業も含めて断続的に15道府県25箇所に赴きました。当たり前ですが、私たちが登録アーティストとして訪れた先に、一つとして同じ劇場はありませんでした。館長さんと二人の職員だけでテクニカル面も含めてほぼ全ての業務をこなしているホール。広い事務所に数十人ものスタッフがいて、セクションごとに業務に当たっているホール。そのいずれにも、いずれにしかできないことがあるということを、その後15年以上かけて実感していくこととなりました。
近年、支援を必要としている人たちを対象としたワークショップやアウトリーチの現場に出かけることが増えてきました。これは、さまざまなジャンルのアーティストに共通して起きている状況でもあるはずです。
現場とは、アートに触れた人たちから、出かけて行った側が何かをもらう尊い場のことだと考えます。提供する側も、救われながら進むのでなければおそらく企画は続いていかないでしょう。提供する側も、提供される側もそこから元気を得られるのでなければ企画は生き延びていかないでしょう。ただ、生き延びた企画はきっと、関わる者に隔てなく成長を与えてくれると信じています。
”側”という、分ける意識に繋がりがちなこのことばをもはや超え、いっしょに喜んで、踊って、泣いて、笑う(注6)。他者間の距離の取り方や在り方を固定させず、弾力に満ちた関係性を構築する。
さて、地下で菌糸が音もなく根を広げるように蔓延する昨今の生きづらさに対して、アートはこれから何をしていくでしょうか。
(本文注)
注1)セレノグラフィカ「語る」ダンスプロジェクト『身体のことば 振付家の視点から』
2021年3月発行 企画・執筆:隅地茉歩
注2)NPO法人芸術家と子どもたち ”カラダとココロがおどるとき~少年院での実践(アーティストのこえ)~” コラム
2023-04-20 https://www.children-art.net/post_column/post_column-9492/
注3)NPO法人芸術家と子どもたち ”【シンポジウム報告】少年院×アーティスト~矯正教育におけるアーティスト・ワークショップの可能性~<後編>” コラム
2024-03-28 https://www.children-art.net/post_column/post_column-11218/
注4)同(注3)より、山本宏一氏(法務省矯正局少年矯正課課長)の発言から。
注5)北九州芸術劇場と北九州障害者芸術祭との協働で生まれたダンスプロジェクト。障害のあるなしに関わりなくダンスを楽しみ、それぞれの個性や可能性を発揮できる場として誕生した。
https://q-geki.jp/projects/2018/rainbowdrops/
注6)納谷衣美主催/書く講座「書くことの風」講師アサノタカオ氏による、トリン・ミンハ、ゾラ・ニール・ハーストンについての講義内容(2023年10月21日)から。speak about ではなく speak near by。共感覚につながるスタンスのこと。
参考/今福龍太『クレオール主義』2003年5月発行。
隅地 茉歩(すみじ まほ) プロフィール
振付家・ダンサー。徳島県出身。セレノグラフィカ代表。同志社大学大学院文学研究科修了。私立高校の国語教師として在職中にダンスと出会い、1997年に阿比留修一とセレノグラフィカを結成。その後国内外でダンサーとしての研鑽を積む。2005年、アウトリーチとの出会いの衝撃を機に国語教師を退職、ダンスアーティストとしての活動に専念。繊細で大胆、かつ不思議で愉快な作風と、緻密な身体操作によるワンダームーブメントが持ち味。TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD2005 にてグランプリに当たる「次代を担う振付家賞」を受賞し、受賞作品で英仏豪のダンスフェスティバルにも招聘される。デュエット作品の創作を基軸に、ソロやグループ作品の創作も手がけ、カンパニー外へも作品を提供。「身体と心に届くダンス」をモットーに全国各地でワークショップやアウトリーチに多数取り組み、地域の劇場との協働事業や他ジャンルのアーティストとのコラボレーションなどを通して、身体感覚の覚醒と幸福感の関係を探求。京都精華大学非常勤講師。地域創造「公共ホール現代ダンス活性化支援事業」登録アーティスト。