東北芸術工科大学美術館大学センター学芸員として、肘折温泉での「ひじおりの灯」など東北各地でアートプロジェクトを実践し、2014年に「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」を立ち上げた宮本武典さん。2023年には収蔵作品の紛失などで出直しを図るアーツ前橋のチーフキュレーターに着任し、新たに地域のプレイヤーとの協働により、「第一回 前橋国際芸術祭 2026」(2026年9月19日〜12月20日)を始動。人生の多くの時間を地域型アートプロジェクトとともに歩んできた宮本さんに、自らの取り組みを振り返っていただいた。

宮本武典(アーツ前橋チーフキュレーター、前橋国際芸術祭 2026プログラムディレクター、東京藝術大学准教授)
●地域との出会い〜原美術館から東北芸術工科大学へ
29歳のとき、山形市の東北芸術工科大学で学芸職に就きました。それまでは、大学院を出てバンコクとパリで仕事をした後、原美術館の学芸室でアルバイトをしていました。東京でのインプットを捨てて、縁故のない地へ移住したのは、結婚を機に安定した生活を求めたからです。
東北での暮らしは15年に及び、東日本大震災の悲劇も間近で経験したものの、2人の娘に恵まれ、家庭も仕事も充実した本当に幸福な日々でした。子育てをきっかけに、「キュレーター」としてだけではなく、「一人の父親」としても地域に根ざして生きていきたいという意識が芽生えました。国内外の都市で流れるように生きていたので、それは「別の人間に生まれ変わった」と思えるぐらいの大きな変化だったと思います。
子どもが生まれるまでは、正直にいうと、「地域」という場や言葉を、どこかアートの「素材」として「使って」いたと思います。
また、原美術館という、当時の現代美術の最先端に触れられる場所から、東北の美術館大学センターに移ったので、どうしても「啓蒙するぞ」という意識も強かったと思います。着任して何本か、背伸びして著名な作家たちの企画展もつくりましたが、地元の新聞記者に「このアーティストと山形にはどんな関わりが?」と質問されて答えに窮し、在京のアートジャーナリストからは「こんな展示は東京でも見られるよ」と一蹴されました。
誰のための、何のためのアートなのか?
キュレーターとしての未熟さ、傲慢さ、解像度の低さに打ちのめされる一方で、娘たちの故郷・山形については、もっと深く知りたいと思うようになっていました。しかし移住して2〜3年は、「生活」と「仕事(キュレーション)」は、まだまだ乖離している状態だったと思います。

「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014」ポスター
●民俗学との出会い〜「みちのおくの芸術祭」としての結実
蔵王丘陵に建つ東北芸術工科大学は、街区とキャンパスを隔てる壁がなく、敷地内に娘たちが通う幼稚園があり、自社営業の美味しい学生食堂があり、まっすぐで健康的な学生たちがいました。当時、東北芸術工科大学に研究室を構えておられた民俗学者の赤坂憲雄さんとの出会いも大きかったです。
フィールドワーカーたちと訪ねた農山漁村の民俗文化は、都市の文脈でしかアートを語れなかった自分にとって、見るもの・聞くこと・触れるもの全てが新鮮でした。同時に、それらの民俗知が時代の変化とともに急速に失われている現実も知りました。

肘折温泉「ひじおりの灯」(2015年)ポスター


曺徳鉉展「FLASH BACK」2009年
東日本大震災の復興プロジェクトでは、牡鹿半島や相双地区で、コミュニティ支援に奔走しました。巨大な喪失のなかでも、つくづく東北における「地域」とは、子どもとお年寄りを中心に支え合う「家族の集合体」なのだと感じさせられました。
生業・学校・祭がつなぐ東北の有縁の世界で出会う「地域」とは、記号ではなく具体としての「固有の物語たち」であり、それらをもっと知りたい・聞きたい・伝えたいという思いが、3.11を経てますます強くなっていきました。
しかし、「地域を知る方法」として、私にはアートという手段しかありません。そのため、私の東北での実践は必然的に民俗学における「オーラルヒストリー(聞き書き)」と「フィールドワーク(現地調査)」を参照した、アーティスト・イン・レジデンスのプログラム生成に傾斜していきました。
西雅秋、曺徳鉉、立花文穂、荒井良二、三瀬夏之介、石川直樹、和合亮一、向井山朋子など、招聘するアーティストたちのリサーチに伴走する東北の旅は、いくつもの展覧会や書籍、アートサイトの設立に結実していきました。
30代をかけて東北の風土に身体化してもらったこのスタイルは、東京・群馬に拠点を移した現在も変わらず、キュレーターとしての私の足場となっています。

「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2016」ポスター。毎年同じ児童をモデルに起用し、2年ごとに成長・復興していく東北を表現した


荒井良二《山のヨーナ》山形ビエンナーレ2018
2014年に山形市出身の絵本作家・荒井良二さんと創設した「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」は、東北各地で展開してきたアートプロジェクトの実践知を、3.11以後の地域創造のために「山分け」するプラットフォームでした。
この芸術祭のキュレーションとアートディレクションには、冒頭に述べた「父親」としての私的な眼差しが自然と編み込まれています。そうなると、大津波後の、あるいは離村廃村の「ドキュメンタリー」では哀しすぎました。核となるアーティストとして荒井良二さんを芸術監督に指名したのは、この祭を希望と教訓を編み込んだ「新しい伝承(=おとぎ話)」として設計したかったからです。
私たち家族は2019年に山形を離れるのですが、その後にキュレーターとして参加した「東京ビエンナーレ2020/2021」や東京芸術劇場の多文化共生プロジェクトでも、「オーラルヒストリー」は常に私の実践の「地域を知る方法」の入口であり続けました。

『東京ビエンナーレ2020/2021 見なれぬ景色へ ―純粋×切実×逸脱―』公式記録集

『東京影絵/Tokyo shadow puppet theater』2020年

東京藝術大学油画専攻宮本武典ゼミ『Little Ueno / リトルウエノ』2023年
●山形から前橋へ〜街とホワイトキューブをつなぐ
2023年に南條史生さんに声をかけられて、収蔵作品の紛失とハラスメント問題で揺れていたアーツ前橋のチーフキュレーターに着任し、その再出発をお手伝いすることになりました。
南條さんはご存知なかったようですが、実はその数年前に、私たち家族は家人の健康問題で山形を離れ、妻の実家がある群馬に転居していました。偶然にも長女が前橋女子高校に通っていたので、群馬でも私は父親として娘がお世話になっている地域に関わることになりました。
2023年はアーツ前橋の開館10周年で、着任早々に周辺地域を巻き込んだ国際展「ニューホライズン 歴史から未来へ」を担当することになりました。「ニューホライズン」はアーツ前橋の館内だけでなく、周囲にあるアーケード商店街や、使われていない百貨店のフロアなども使って、サイトスペシフィックな作品群を制作・設置する大型展でした。
私は市街地のプログラムをキュレーションしたのですが、前橋のことを何も知らないまま地域に入ったこの時のトライ・アンド・エラーが、それから3年後の今年9月に開幕する「第一回 前橋国際芸術祭 2026」の基盤になっています。

アーツ前橋 開館10周年記念展「ニューホライズン 歴史から未来へ」ポスター

アンドリュー・ビンクリー《ストーン・クラウド》2023年

蜷川実花《Breathing of Lives》2023年
元商業施設を美術館にコンバージョンしたアーツ前橋には、空洞化した中心市街地一帯の再活性化を牽引する役割が求められています。学芸スタッフが一新されても、その設立のコンセプトとミッションに変わりはなく、以来3年間、現館長の出原均さんは紛失問題を受けてコレクションの管理体制の強化を、私はアート事業のための官民連携のチームビルディングに務めてきました。
2026年現在、前体制下での不祥事について追及や改善を求める声は、地元住民からもアートメディアからも聞かれなくなり、一定の信頼を回復できたと安堵しています。
またこの間、後述する民間主導での前橋国際芸術祭2026実行委員会の設立につながっていく動きとして、前橋創業のアイウェアメーカー「JINS」の田中仁会長がリードする再開発事業が進み、藤本壮介さんらが手がけた現代建築群が世界から注目されるようになっていました。

白井屋ホテル(撮影:木暮伸也)

DDAA LAB 元木大輔による社会実験「MUJI for Public Space in Maebashi うすい店」展2025年

演劇集団「マームとジプシー」による回遊型インスタレーション《Curtain Call》2025年
私はアーツ前橋を拠点に、演劇集団「マームとジプシー」の藤田貴大さんや、DDAAの元木大輔さんらと社会実験的なプロジェクトを街なかで展開していましたが、並行して館内でも何本かの企画展をキュレーションしました。
これまでいくつかの美術館やギャラリーの立ち上げや運営に関わってきましたが、コレクションを有するこの規模の公立館で企画展を手がけるのははじめてで、私のようなオフサイトで実践を積んできた人間にとってホワイトキューブは、便利ではあるものの、別の意味で扱いづらさもありました。東北での私の活動をもっとも近くで見てきた妻は、そのことにすぐ気付いたようです。
「あなたのつくってきた展示は、いつもそこで“何かが起こって”いてワクワクしたけど、アーツ前橋では“終わったこと”の記録を見せられているみたい」
まさにそれが、私が公立館のホワイトキューブに上手くアジャストできなかった、美術館とアートプロジェクトの文体の違いだったのです。
一方で、捉え方によっては、この学芸チームの組織編成はなかなかユニークだと思いました。地域型アートプロジェクトの専門家が、公立美術館のチーフキュレーターとして展覧会を監修するという人事は、現実にはなかなか起こりにくいでしょう。

ポスターデザイン:須山悠里(suyama design)、撮影:エレナ・トゥタッチコワ

山縣良和《After All》アーツ前橋での展示風景/2024年

「向井山朋子 Act of Fire」展(2026年/アーツ前橋)展示風景より
そこで私は、美術館から街に出ていくアウトリーチ的なアプローチと並行して、内部のホワイトキューブに街場のストリート性を引き込んでいく意識で企画展をつくっていきました。またその際は、館名が「アート」ではなく「アーツ」であることを踏まえ、建築・ファッション・演劇・音楽・詩など、他領域とコラボレーションを積極的に試みました。
ファッションデザイナー 山縣良和さんの大規模個展「ここに いても いい リトゥンアフターワーズ」では、アーツ前橋全館に放置自転車や近郊農家の壊れた軽トラック、空き家に残された家具家電など大量の粗大ゴミを持ち込み、縮んでいく地域社会の現実をホワイトキューブに逆流させました。
●官民協働で挑む「前橋国際芸術祭」
街場から美術館に引き込むのは作品や人流だけではありません。前橋市の財政は現状のままでは令和11年度に財政調整基金が底をつく見込みで、厳しい局面を迎えています。来年度から館の予算も減らされていくことが予想され、資金調達も含めた民間との新しいパートナーシップの仕組み化が急務でした。
今年9月に第1回を開催する「前橋国際芸術祭2026」は、他地域の芸術祭のように、自治体の首長が主導するスキームでは不可能だったでしょう。行政だけに頼らないまちづくりの仕組みを模索してきた前橋だからこそ始動したプロジェクトと言えます。
JINSの田中仁さんをリーダーに民間がダイナミックに進めてきた再開発に、アーツ前橋が積み重ねてきた地域型アートプロジェクトの実践知とネットワークを結びつけることで、資金・空間・プログラムの3つを持続可能で発展的なものにしていきたいと考えています。

「前橋国際芸術祭2026|めぶく。Where good things grow.」ポスター
81年前の夏、前橋はアメリカ空軍の集中爆撃を受け、中心市街地の80%が焦土化しました。街区は再建されましたが高度経済成長期に建てられた鉄筋コンクリート造建築群は経年劣化が面的に進行しています。また、モビリティの変化や大型商業施設の進出による郊外への人口流出も深刻で、前橋市中心市街地は「典型的なシャッター街」として教科書に掲載されるほどでした。
そこで前橋市は10年前の2016年に官民連携でまちづくりビジョン「めぶく。Where good things grow.」を策定し、藤本壮介さんや平田晃久さんといったスターアーキテクトを招いて再開発を進めます。「白井屋ホテル」や「まえばしガレリア」など、「建築とアートの街・前橋」のランドマークがすでに誕生していますが、今後も大規模な建築プロジェクトが複数計画されています。
こうした都市風景の大転換期にはじまる前橋国際芸術祭は、第1回の開催テーマを、この地域再生へのうねりの起点となった10年前のビジョン「めぶく。Where good things grow.」をそのまま継承し、先行した建築計画を土台にアーティストの活動や市民の感性の芽吹きを起こしていくソフト事業として設計しました。
建物を造るだけでなく、ビエンナーレ形式の芸術祭の生成プロセスを、アーティスト・イン・レジデンスや市民工房などのアートプログラム開発と、これらを社会実装していけるプレーヤーの育成につなげていくのです。

マウントフジアーキテクツスタジオ「前橋クリエイティブシティプロジェクト〈稜線がつなぐ まちづくり 前橋リッジライン〉」(道路空間イメージ/ 2040年完成目標)

アーツ前橋で滞在制作をおこなう日系カナダ人のアーティスト アレクサ・クミコ・ハタナカ Photo by Johnny Nghiem

アーツ前橋のメインギャラリーを市民工房に変容させるドットアーキテクツの《アーキジム》 Photo by Shinya Kogure
私は現在、東京藝術大学の専任教員でもあり、実践的研究のフィールドとしてアーツ前橋の再出発をお手伝いしてきたのですが、さらに国際芸術祭のディレクションとなると、完全にオーバーワークです。それでもこの企画の監修を引き受けた理由は、前橋国際芸術祭2026の総合プロデューサーで実行委員長でもある、JINS創業者・田中仁さんの熱意でした。
前橋国際芸術祭の生成における「当事者」とは、私にとって前橋が生み出した田中仁という稀有な企業家の物語です。財政難から行政が文化支援を積極的に担えなくなるなか、利他の精神で公共・公益に投資できる田中さんのようなアントレプレナーが日本各地に生まれていけば、地方創生はより現実に近づくでしょう。
この芸術祭をそのロールモデルにしたいのです。
さらに言えば、ここまでの3年間で、前橋市中心市街地を見る解像度が格段に上がったこともあり、文化芸術によるまちづくりに心血を注ぐ、「幾人もの田中さん」が、実は街区のあちこちに存在していることに気が付きました。
前橋国際芸術祭のディレクションでは、私個人が「前橋をこのように見せたい・表現したい」と全てを統治するのではなく、この街区に存在する多くの「当事者たち」の活動や自主運営のアートスペースに光を当て、「いくつもの前橋、多面的な前橋」を浮かび上がらせたいと考えています。

第一回 前橋国際芸術祭 2026実行委員長 兼 総合プロデューサーの田中仁。株式会社ジンズホールディングス代表取締役会長CEO、⼀般財団法⼈⽥中仁財団代表理事

前橋市職員も含めた有志市民による《移動式公開編集会議アルケノード》のモバイル編集室。前橋国際芸術祭2026の地域協働プログラム参加作品
すでに全国各地で多くの芸術祭が組織されている現在、前橋国際芸術祭は言うまでもなく後発の、「遅れてきた地域型アートプロジェクト」です。しかしもはや私は、他の芸術祭との差別化やキュレーションの独自性を、この芸術祭の当初設計に組み込むことに意味を感じていません。
それは継続のうちに、自ずとこの土地と人が自ら形づくり、証明していくことだと思うのです。田中さんと私の仕事は、それが起こりやすい文化的な土壌と協働の仕組みを、群馬・前橋の風土に適合する配分を探りながら耕し、育むことだと考えています。
私は今年で52歳になります。
娘たちの巣立ちは間もなくでしょう。
体力的にもモチベーション的にも、これまでのような現場主義のトライ・アンド・エラーで「新しい方法やスタイル」を開発することは難しいと感じています。
90年代の地域型アートプロジェクト黎明期から今日までのおよそ30年間が、私が属していた時代でした。そしておそらく次の世代は、震災とコロナ禍を経験した私たちよりもっと困難な、「地域」と「国際」を背負っていくことになるでしょう。
次なる担い手たちと、ここ前橋の終わりなき地域開発のプロセスを共にしながら、これから少なくとも8年をかけて、私なりの経験知を若い世代に伝えていきたい――ここ前橋でそのバトンを上手く渡せることができたら、私にとっての「地域とアート」は完結するのだと思っています。
宮本武典(みやもと・たけのり)プロフィール
アーツ前橋チーフキュレーター、前橋国際芸術祭 2026プログラムディレクター、東京藝術大学油画専攻准教授。1974年奈良生まれ。キュレーションした近年の主な展覧会に「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2014〜2018」、「隈研吾 石と木の超建築」(2020年/角川武蔵野ミュージアム)、「new born 荒井良二」(2023~2025/横須賀美術館 他)、「山縣良和 ここに いても いい リトゥンアフターワーズ」(2024年/アーツ前橋)、「諏訪敦 きみはうつくしい」(2025〜2026年/WHAT MUSEUM)、「向井山朋子 Act of Fire」(2026年/アーツ前橋)など。群馬県桐生市在住。
